そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

8月16日(土)やっぱり大雨

2014年08月16日 | 公開

 いやな予感はしていたのである。今日びの天気予報は正確だ。

 10:00過ぎの新幹線で京都へ。京都は大雨で、後ろの列車から米原付近の雨にため運転見合わせになった。岡山へ移動する列車を30分早いのに変更し、Hさんに会う。Hさんはもと大学院で研究指導を担当した人で、秋の学会発表の相談に与る。2時間弱、下発表を聴いて意見を述べた。

 岡山へは定刻に出発。同じ号車に大学職員のHさんが乗っておられたので、ご挨拶。これを奇遇と申すべし。

 在来線乗り換えに十分な余裕ができたので、酒と肴、岡山だから葡萄を買う。ところが大雨のため、伯備線は備中高梁と新見間で運転見合わせとの放送が…。椅子に座って酒を飲み、葡萄も全部食ってしまった。

 特急は2時間遅れで出発。動くだけでも有り難や。しかし、やたら信号待ちの停車が続いて、1時間は遅れただろう。高梁では花火大会が行われていたがな。22:41に松江着。3時間遅れた計算になる。特急料金の払い戻しを受け、タクシーに乗る。愛想のよい運転手さんだったので、釣りはいらんと1000円札を渡した。池波正太郎『男の作法』を実践する。タクシーを降りると、道に老母が立っていた。とにかく着ているものを全部洗濯機に投げ込んでスイッチオン、シャワーを浴びる。汗まみれになった。缶ビールを2本、島根和牛の石焼?とミニトマトのマリネを肴に飲む。

 1時間ほど老母の話を聞いてから、茶室で寝る。帰省の目的は、老母の話相手になり、墓参りをするに尽きる。

 


8月11日(月)時間を間違えた!

2014年08月11日 | 校長は日々是口実

 円形脱毛症はすっかり治ってしまったが、髪の毛がかなり鬱陶しくなってきた。月曜なので床屋は休み。

 編集会議の開始時刻を、てっきり18:00と思いこんでいたら、14:00だった! 慌てて電車に乗り、駅からはタクシーを飛ばすも2時間遅刻。面目次第もございません。19:30まで会議に臨む。予定の議題は終了した。

 海外研修に出掛けた娘は、受入れ先で、いま私が校長をしている高校の出身者数名と一緒になったそうだ。狭い世界である。というか、1学年300名ちょっとの学校で、そんなに語学研修留学をしているのか!と驚嘆する。こういう点は、非常に積極的だよなあ。

 帰宅してビールを飲む。また暑くなってきた。


8月10日(日)無事到着

2014年08月10日 | 公開

 娘は無事に到着したらしい。両親の知人様に空港まで迎えに来ていただき、宿舎へ入るまでお世話になったようだ。そんなことも自分一人で行うのが修行、研修だと思うがな。まあ、銃器所持が認められているお国だけに、親としては、心配が無いわけではない。まずます頂好。

 昨夜は栄螺が食えて幸せであった。七味をたっぷりかけて食った。

  タイ風グリーンカレーは、いささかパンチ不足だった。(涙

 


8月9日(土)調理する夫

2014年08月09日 | 公開

 長崎原爆忌。娘が研修のため国外へ出発する日なので、同居人が成田まで送って行った。ずいぶん涼しい。台風接近のせいであろう。

 家事をする夫というのは、まだまだ多くないのだろうか。夕食の準備は、家に居る者の為事である。先日からどうしても、どうしても栄螺が食いたいとの思いが募り、駅近くのスーパーに買いに行く。

 こういうものは、単純に調理すればよろしい。酢の物を作り、枝豆も茹でた。冬瓜の残りも、鶏スープの含め煮にして、冷蔵庫で冷やしておく。

 調子にのって、主食はタイ風グリーンカレーにした。ガマン専任先生にいただいた台湾産川茸も入れてみた。ココナッツの風味をつけて、結構本格的。

 こうなったら、ゴーヤ・チャンプルーも作る。ゴーヤはわたを除去し、切って塩しての下ごしらえがしてあったので、3分もかからない。こちらにも川茸を使った。一口大の川茸は、まことに使いやすく、重宝である。台湾土産はこれにかぎる。

 今夜の食卓は、全体にグリーンっぽくなった。まあまあ、これくらいささっと調理が出来ると、粗大ゴミとは言われまいて…。

 


8月8日(金)久しぶりで高校へ

2014年08月08日 | 校長は日々是口実

 K県立高校のK先生が訪問されるというので、高校へ応対に行く。今日は停電・断水とのことで、事務所は閉まっているが、仕方が無い。新幹線駅改札でS先生と落ち合い、ねこ教諭に同道いただいて、まずは近所の蕎麦屋へ。教頭先生にも合流いただき、このお店でかなりの時間懇談する。

 高校へと移動すると、既に停電・断水は復旧していた。校長室で懇談を続け、設備点検の関係者以外は誰もいない校内をご覧いただく。

 台風の早い影響か、雨も降り出したが、新幹線駅近くの、学校法人所有の建物内で開かれている近在出土の埴輪などの展示をご覧いただいた。折よく専門のKさんがおいでになったので、説明をしていただく。なぜか「笑う埴輪」が、当地の名物?なのだ。

 

 17:00前の新幹線は混んでいたが、ばらばらに座ることができた。乗り換え駅でワインと食材を買う。明日、外国へと出かける娘が、家に帰ってきていた。おでこ丸出しの髪型にしているので、まるでダダ星人戸塚宏校長みたいである。眼鏡をかけていると、アンジェラ・アキみたいだとは思うのだが…。母ちゃんはガラモン、ないし菅井きんに似ていると思う。お父様は、金日成だけどね。ど~いう家族ぢゃ!?

 あと40日ほどで退任となるので、校長室の私物はほぼすべて持ち帰った。残してあるのは、抽斗の中に印鑑と名刺、8マン先生にいただいたホルスターに収めてある護身用拳銃(K教授に頂戴したベビーナンブ)、それに体育館履き用の黒いバブーシュと、それを入れる黒く小さなトートバッグくらいである。酒が1本あるが、これは寮長さんに差し上げて、ナイトキャップにしていただこうと思っている。9月になって、始業式と、打ち合わせと、職員会議で、3回ほど登校すれば、もう二度とこの地を訪れることもあるまいて(自腹で新幹線代を支払う筋合いはないからな)。しかし、こうして久しぶりに高校にやって来ると、たしかに草の匂いがする。countryというのが、当地まず第一の特徴であることに間違いは無い。いやはや、素敵なところなんだがなあ…。やり様次第で、最強の高校になること請け合いだが(今でも全国偏差値順位で2桁台!に位置しているもんね)、それは、学校法人理事会と、高校根付きの専任の教諭の方々が、共同責任でもって、かつ真に大所高所からお考えになるべきことなのであり、もとよりただの他所者に過ぎぬ私なんぞの為事ではありませんわ。


8月7日(木)本日も事務局員

2014年08月07日 | 公開

 またまた「なかつよ文学会」の事務局員業務である。大学へ行く。

  大会関係の準備、私がやらなければならない仕事は、おおむね一段落。一斉休業明けの業務は、大蔵大臣、代表委員に領導していただかなくては。

 13:00に終わったので、炎天下、坂をのぼって「高七」へ。畳の席にもうお客は一人もおらず、カウンター席は、私の直前にお入りになった初老?のご夫婦が右脇を占め、後からご老人が入ってきて、左隅にお座りになった。つまり私が真ん中という仕儀だ。ゆっくり飲むには、やはりこの時間だな。

 もちろんハートランドをお願いする。ヒート・アイランド・ビールをください!と、つまらん洒落を言った。いつものように掻き揚げ付きをお願いし、ご飯とお付けはごくごく少しということにする(ゴクゴクはビール!)。小鮎の天麩羅がほろ苦くて美味であった。初老ご夫婦はあなごを注文しておられたが、ちと羨ましいような気もしたぞなもし。

 池波正太郎のてんぷらの食い方の話を申し上げたら、大将が、それは正しい!とおっしゃる。持っていた文庫本を、思わず差し上げた次第。

 坂をおりて、「Cafe GOTO」へ。カプチーノと頼めば、冷たいのにしますか?と言われる。へえ、アイス・カプチーノがあるのかと、それをお願いした。これまた美味であったよ。

 神楽坂で豆腐を買おうかなとも思ったけれど、メトロを途中下車する元気は出なかった。そのまま帰路へ。魚屋へも、八百屋へも、立ち寄る気力無し。

 同居人から電話がかかってきたので、貝が食いたい! 貝より始めよ!と訴えた。栄螺が食いたい気がしたが、魚屋には無かったそうだ。麻婆豆腐もいいかな。しかし、準備する気力無し。姑殿が、おいなりさんがありますよとおっしゃったので、飯を炊くのもやめにした。


8月6日(水)お稽古事

2014年08月06日 | 公開

 久しぶりにお稽古事に。S先生の「真似」を只管。しかし、本当の本物というのは、凡慮の及ぶところに非ざるなり。どうも途中から冷房が切られたらしい。AV機器も操作方法がいまいちよく分からなかった。申し訳ないことである。

 台湾帰りのO社長と「AMA」へ行った。シュワシュワしたものが飲みたくて、ハイボールにすることが多くなったな。カレーは少し辛くしてもらったはずが、ずいぶん辛かった。これもまたよし。花椒の利いた麻婆豆腐が無性に食いたい。

 先日、編集委員会の席上、東京GG大学のS教授に、あなたは池波正太郎を読んでおいででしょう?と言われたが、ふふふ、読んでいなくもない。「てんぷら屋に行くときは腹をすかして行って、親の敵にでも会ったように揚げるそばからかぶりつくように食べなきゃ」(『男の作法』)なんて、けだし至言である。「高七」の大将に、お教えしたい。「一房のブドウを手にして高く持ちあげ、その下へ大きく開けた口をもってゆき、下の方からガブガブと頬張」る(『江戸の味を食べたくなって』)という甲州式ブドウの食い方も、素敵である。たしかに美味い。


8月6日(水)事務局員仕事…

2014年08月06日 | 公開

 なかつよ文学会事務局員としてのお仕事、印刷物の処理をしに大学へ。研究室受付が移動して、新しくなっていた。紙を持って行って印刷させてもらったが、不具合で半分オシャカになった。(涙) 気を取り直して作業を続ける。

 研究発表要旨の編集も、1人だけ返信が無くて往生する。8日は高校に行かなければならない(しかし停電!のよし)。9日から19日までは、大学は実質完全休業状態となる。さすれば、明日また大学へ出て来て、作業をせにゃならんか、ふう。

 ポスターの発注はなんとか済ませた。そうこうしていると、隣の研究室を訪ねておいでのYさん、Kさんが、扉をノックして入って来られた。こちらで請け負っている作業もある。

 同居人には、いつ松江に帰るのよ?と言われる。妹の帰省とは日にちをずらす必要あり。また、京都で弟子に会う必要が生じたので、都合を知らせてもらった。京都で泊るかなあ。

 アメリカへ行く準備は、全然進まない。いっそお土産は、全部軽い雷おこしにしようと思うが、如何だろう?


8月6日(水)広島原爆忌

2014年08月06日 | 公開

 広島原爆忌。8:15に黙禱すること、例年のごとし。 黙禱しながら、今朝は薄茶を冷水点てにしたら、喜ばれた。

 炎暑といふもさらなり。なかつよ文学会の事務をとり行う。するとM教授から電話があり、早い者勝ちに敗れたとのこと。やれやれ、ますます暑くなったわい。箇所長を辞めると、すぐこれだ。どっちが楽ちんなのか、分からない。

 平野聡『「反日」中国の文明史』を読了する。実に分かりやすい説明だったが。


8月5日(火)山形土産

2014年08月05日 | 公開

 朝は痛風の病院へ行く。数値は可もなく不可もなし。私に合うかもしれない薬が開発されたというお話をうかがったが、もう少し様子を見ましょうということになった。

 USBメモリを研究室に忘れたので、取りに大学へ行く。次期T学部長のM教授とすれ違った。組閣が完了したそうで…とお声掛けする。

 昼食には「冷やしすだち」が食いたくなって、「築地布恒更科」へ。「湯津上屋」へ…との思いも頭をよぎらんでもなかったけれど、時間の余裕を見て築地へ行ってしまった。ううん、こと「冷やしすだち」に関して言えは、いったん「湯津上屋」の繊細さを知ってしまうと、他の店のものはガサツとしか言わざるを得ない。せめて種だけは取ってほしいかな。つゆも…なあ。よし、最終講の日は、絶対に「湯津上屋」だ!と心に決めた次第。

 講座は女性の私家集を扱う回で、教頭先生ご専門の「四条宮下野集」を読む。受講者に宇治ご出身の方がおいでなので、密かに敬意を表する。最終講のプリントも配布してしまった。予習をしたいとのご要望が寄せられたせいである。順徳院の家集みたいなテクストを扱う予定。

 上野駅でロゼ・ワインを買って帰宅する。八百屋で西瓜を買った。飯を炊いて、ひと眠りしていたら、同居人が山形から帰ってきた。牛蒡の肉巻きを芯に、さらに蒟蒻を巻き付けたお土産?が、まことに美味であった。


8月4日(月)迷店?「つず久」へ

2014年08月04日 | 公開

 なかつよ文学会の常任委員会が行われる。秋の大会の大要を決める重要な会議である。ペットボトルのお茶を12本買って(欠席連絡1名)、会議室を開け、冷房をかけて、議題書などをセットする。

 定刻に開始し、ちょうど60分で終了した。私の取り柄は、ひたすら会議が短いことだと自負する次第。

 後始末をして、18:00からお稽古事、といっても本日は暑気払いという話だった。それでも I さんのお点前で、お薄を一服いただいた。ずいぶん省略したお点前だったが…。

 Kさんにご相談すると、「つず久」の名が出た。N師匠が電話され、5人入れることを確認。我々3名が先行し、まず生ビール。師匠が到着されると、ひたすら熱燗で21:00過ぎまで飲む。

 海鞘が美味しかった。下掲はど迫力の巨大鮪刺し!

 鯨のベーコンも豪華豪華。葱に巻き付けて、北京ダックのようにしていただく。

 もちろん締めは、名物「わさびめし」である(ピンボケになったので、画像は省略)。「つず久」では、トイレに行く客が通るたび、席を立たなければならない。うなぎの寝床とは、この店のことをいふべし。

 私の隣は中学生がコーラを飲んでいた。ボクシングのチャンピオンなのだそうだ。I さんが着物姿で、家元がどうのこうのという話を大声で交わしていたせいか、隣の中年アベックに、舞踊関係の方々ですか?と尋ねられた。

 同居人は学生を引率して米沢へ行った。メールを送ったが、返事はない。老母のところにプレゼントが到着したよし。


8月2日(土)幹事会に参加

2014年08月02日 | 公開

 東京出雲学生会の幹事会へ行く。12:00から、神田明神門前の蕎麦屋である。まずは明神様にお参り。

 一番若い幹事のYさんが、集合時間を1時間間違えて遅参された。結局2時間半ばかり長っ尻して、延々と飲む。

 Yさんは「神社ハイボール」をご注文あそばされた。谷中生姜入りハイボールなのであった。

 同居人は勤務先のオープンキャンパス。ワークショップを担当するらしい。私はといえば、勤務先のオープンキャンパスには呼ばれなかった。もはや老人だから、お役に立たぬということなのだろう。老兵は死なず、去りゆくのみ。


8月1日(金)高校生のお相手

2014年08月01日 | 公開

 仙台の高校2年生6人組の訪問を受ける。グループ研究で「とりかへばや」物語に取り組んでいるので、オープンキャンパスで上京した際に、専門の大学教員を訪ねる…という企画らしい。本来ならば物語文学専門のJ教授が適役なのだが、あいにくご都合が悪く、次善の人間として白羽の矢が立ち、お引き受けした。ただしJ教授の研究室の博士課程の院生Kさんは「とりかへばや」がご専門、私も修士論文の副査を務めた関係で、特にお願いして、お借り請け?申した次第である。

 13:30から15:00までの予定が、30分ほど超過した。男子2名、女子4名のグループだったが、リーダーの女子はなかなかしっかりした生徒さんで、フレンドリーにお話しができたと思う。しかし、内容はLGBT…みたいなことになって、Kさんの説明も、結構哲学的だった。

 なるほど、現代の高校生が、この作品に関心を抱くというのも、実に興味深い。もっとも、マンガ化されてもいる。Kさんによれば、なかなか優れたマンガなのだそうだ。

 私自身は、これが仮名による物語作品であるところに、大きな鍵があるのだと思うが、そこまで話は深まらなかった。まあ、悪左府頼長の「台記」や、西鶴の作品なども話題になったが、よく読み込んでいる高校生たちで感心した。それにしても、日本の物語文学の想像力、描写力は、「世界文学」としてたしかにどこか突出したところがある。Kさんが、「我が身にたどる姫君」には激しいレズビアン・シーンがあるよと紹介したところ、高校生たちは目をシロクロさせていた。

 まあ、「とりかへばや」もきょうび、古典の教科書に載る(彼らが使用している教科書に掲載のよし)時代だから、藤岡作太郎も真っ青ということだな。

 帰路、神楽坂で豆腐珈琲豆を買う。「うつわや釉」に寄ったら、茶花を頂戴した。栗と撫子と女郎花。大阪出張から帰宅した同居人に連絡し、デパートで待ち合わせて松江の老母の誕生日のプレゼントを選び、送ってもらうよう手配した。同居人がSさんへのプレゼントを選ぶのにもつきあったが、ご自分でもスカーフをお買い上げになった。❤形の迷彩模様という、面妖なシロモノねるも、よくお似合いである。

 明日は、いづこも同じオープンキャンパス。