そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

5月8日(日)代々木上原井上家へ

2011年05月08日 | 公開

 朝、京都のF先生に電話する。やはりR家のご意向についてであった。かねての算段どおりに、お願い申し上げる。K子様がご来駕くださるよし。

 14:00に井上家へお伺いする。「語る会」まであと1ヶ月をきったので、詰めの確認のため、集まれる者が参集した。Nさんがスライドショー用の写真をスキャナーで取り込むというので、そのついでということになった次第。Nさんたちは午前中から作業をしたらしいが、写真帖を見始めたら埒があかんぞなもし。あとは今度の水曜、Wさんに会場の確認と打ち合わせに鈴掛樹大学へ行っていただけば万全?だ(私も行こうと思ったら、運営主任懇談会とやらに呼び出された)。まあ、結構いい加減なところもあるが、詰め過ぎても窮屈。しかし、発起人にもそれぞれの性格があるからなあ。

 広報通知については、だんだんと気が回ってくるもの。しかし、もの事はパーフェクトにはいかないぞよ。ブログHPに出したのだから、ある程度頬被りをしませんか? さて、当日はS舎さんのお世話により、小冊子を配布する予定で、その名称をど~しましょうということに。結局、「井上宗雄先生の足跡」といった至極穏当な線に落ち着いたが、「足跡」を仮名書きにして「即席」と引っ掛け、疎かな点の言い訳にしては・・・と発言し、一笑に付された。(汗

 帰宅して、×××氏に発起人拠出金督促のメールを出し(すぐ支払うと返信あり)、未亡人に頼まれた如是庵先生へのお知らせの手紙をしたため、発起人代表M先生へもご報告のお手紙を書く。この前はM門跡門主猊下へ書状を差し上げたしなあ。こういうことばっかりしている私。鳩居堂の便箋封筒がいくらあっても足りん(足りんはエストニアの首都である)。


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