米国西海岸時間の6日午前6:00に宿舎を発つ。フロントでチェックアウトしたら、支払いはすべて洗井大学が手配してくださっていた。ローカルの電話を2回掛けたが、それは請求されなかった。
雨の中をシ―タック空港へ向かう。サンフランシスコ経由なので、アメリカン航空とアラスカ航空のコードシェア便に乗らなければならない。アメリカン航空のカウンターに行ったら、アラスカ航空へ行けと言われ、タッチパネルでうまく発券できず、特別なチェックインカウンターに並ぶよう太っちょのオバサンに指示される。そのカウンターが学生アルバイトのネエチャンで、後ろからアジア系のベテランが指示するのだけれども、モタモタしていてイライラしてくる。トランクは大小2個。小が小さすぎるので、結局大がオーバーウェイトだと言われ、追加料金をふんだくられた。
なんとかチェックを終えて、そこそこの時間にゲートへ辿り着いて、持参の握り飯とレバーソーセージを食った。しかし、アラスカ航空機の垂直尾翼には、「みのもんた」みたいなオッサンの顔が描かれているが、ありゃなんじゃらほい?
サンフランシスコに着いてJALのカウンターでボーディング・チケットをもらう。ハットにサングラス、それに杖をついているので、親切にしてもらった。足が悪いフリをしないと、素振り用木刀がわりの棍棒を機内に持ち込むのは難しかろう。まあ、腰がおかしいから、満更ウソではない。
マイレージでビジネスクラスにグレードアップしたので、「さくらラウンジ」が使えた。早速鮭のおにぎりを食って、白ワインを鯨飲。20分前にゲートへ行く。
待合席で隣に座った日本人のオバサンは、話の内容から私の住まいの隣街の方らしい。私も×××ですと声を掛けたら、???という顔をする。やはり日本人には見えませんか?と尋ぬれば、ええ中国の方かと思いましたと言われたぞなもし。やっぱり裕福な華僑か、チャイニーズ・マフィアの幹部に見えるらしい。
機内に入り席に座る。すると前から順に乗客に日本語でサービスしてきた客室乗務員のネエチャンが、またぞろ私にだけは英語で話しかけてくる。ああ、そんなにも中国人みたいなのですかなあ? 昔、中国社会科学院の李先生から、バカ田の大学院生の中で一番中国人として通用するのはあなたですと言われたことがあったでのう。今日は特に変な恰好をしているし。
まあ、なんとか落ち着いて、映画を見ながら日本酒を飲(や)る。肴はオリーブの実やスモークド・サーモンを切ってストッカーに詰め、楊枝を添えたのをシアトルで作ってきた。美味、美味。そうしたら、マイ箸を1本、座席の隙間にストンと落としてしまったのだ。まあ仕方が無い。着陸1時間前のヒマな時間に、親切な客室乗務員さんが一生懸命探してくださったが、見つからなかった。まあいいですわ、割り箸みたいなものだし(本当は1膳3000円くらいする)、精進落としだと思いますからとお礼を申し上げた。
日本時間7日の16:20に成田着。なつかしの故国は少し暑かった。バッゲージをピックアップしようと待っていると、背後から、お箸ありましたあ!と件の客室乗務員さんが、息せき切ってやってくる。これは申し訳なし、だんだん、だんだん(と、なぜか出雲弁になった)。あな、うれしや。税関の検査も事無く済み、荷物は宅配に頼んで身ひとつと杖?を持って家路につく。
久しぶりにJRの電車に乗ったが、なんと日本人はとげとげしいのだろうと、いささかショックを受ける。シアトルのメトロでは、こんなことはなかった。ちょうど夕刻のラッシュ直後だったせいもあるかもしれない。アメリカ人はずいぶん互いに気をつかっている。そのことを言葉に出してちゃんと言うし、アイコンタクトを欠かさない。帰宅してテレビを観ると、菅政権のエライさんが出て喋っている。ああ、日本の政治家はなんとカッコ悪いのだろうと、またまた軽いショックを受けた。どうやら、たかだか2ヵ月余で、私も相当アメリカに毒されてきた?らしいぞ。
英語と日本語の切り替えがうまく行かない。ぶつぶつ英語を喋っている自分にはっとしたりする。コンビニで買い物をしたら、うっかり英語で返事をした。気取っているわけではない。おそらく数日間は、変な感じで過ごすことだろう。
雨の中をシ―タック空港へ向かう。サンフランシスコ経由なので、アメリカン航空とアラスカ航空のコードシェア便に乗らなければならない。アメリカン航空のカウンターに行ったら、アラスカ航空へ行けと言われ、タッチパネルでうまく発券できず、特別なチェックインカウンターに並ぶよう太っちょのオバサンに指示される。そのカウンターが学生アルバイトのネエチャンで、後ろからアジア系のベテランが指示するのだけれども、モタモタしていてイライラしてくる。トランクは大小2個。小が小さすぎるので、結局大がオーバーウェイトだと言われ、追加料金をふんだくられた。
なんとかチェックを終えて、そこそこの時間にゲートへ辿り着いて、持参の握り飯とレバーソーセージを食った。しかし、アラスカ航空機の垂直尾翼には、「みのもんた」みたいなオッサンの顔が描かれているが、ありゃなんじゃらほい?
サンフランシスコに着いてJALのカウンターでボーディング・チケットをもらう。ハットにサングラス、それに杖をついているので、親切にしてもらった。足が悪いフリをしないと、素振り用木刀がわりの棍棒を機内に持ち込むのは難しかろう。まあ、腰がおかしいから、満更ウソではない。
マイレージでビジネスクラスにグレードアップしたので、「さくらラウンジ」が使えた。早速鮭のおにぎりを食って、白ワインを鯨飲。20分前にゲートへ行く。
待合席で隣に座った日本人のオバサンは、話の内容から私の住まいの隣街の方らしい。私も×××ですと声を掛けたら、???という顔をする。やはり日本人には見えませんか?と尋ぬれば、ええ中国の方かと思いましたと言われたぞなもし。やっぱり裕福な華僑か、チャイニーズ・マフィアの幹部に見えるらしい。
機内に入り席に座る。すると前から順に乗客に日本語でサービスしてきた客室乗務員のネエチャンが、またぞろ私にだけは英語で話しかけてくる。ああ、そんなにも中国人みたいなのですかなあ? 昔、中国社会科学院の李先生から、バカ田の大学院生の中で一番中国人として通用するのはあなたですと言われたことがあったでのう。今日は特に変な恰好をしているし。
まあ、なんとか落ち着いて、映画を見ながら日本酒を飲(や)る。肴はオリーブの実やスモークド・サーモンを切ってストッカーに詰め、楊枝を添えたのをシアトルで作ってきた。美味、美味。そうしたら、マイ箸を1本、座席の隙間にストンと落としてしまったのだ。まあ仕方が無い。着陸1時間前のヒマな時間に、親切な客室乗務員さんが一生懸命探してくださったが、見つからなかった。まあいいですわ、割り箸みたいなものだし(本当は1膳3000円くらいする)、精進落としだと思いますからとお礼を申し上げた。
日本時間7日の16:20に成田着。なつかしの故国は少し暑かった。バッゲージをピックアップしようと待っていると、背後から、お箸ありましたあ!と件の客室乗務員さんが、息せき切ってやってくる。これは申し訳なし、だんだん、だんだん(と、なぜか出雲弁になった)。あな、うれしや。税関の検査も事無く済み、荷物は宅配に頼んで身ひとつと杖?を持って家路につく。
久しぶりにJRの電車に乗ったが、なんと日本人はとげとげしいのだろうと、いささかショックを受ける。シアトルのメトロでは、こんなことはなかった。ちょうど夕刻のラッシュ直後だったせいもあるかもしれない。アメリカ人はずいぶん互いに気をつかっている。そのことを言葉に出してちゃんと言うし、アイコンタクトを欠かさない。帰宅してテレビを観ると、菅政権のエライさんが出て喋っている。ああ、日本の政治家はなんとカッコ悪いのだろうと、またまた軽いショックを受けた。どうやら、たかだか2ヵ月余で、私も相当アメリカに毒されてきた?らしいぞ。
英語と日本語の切り替えがうまく行かない。ぶつぶつ英語を喋っている自分にはっとしたりする。コンビニで買い物をしたら、うっかり英語で返事をした。気取っているわけではない。おそらく数日間は、変な感じで過ごすことだろう。
海外から帰ると、色々と調子が合わないことが多いのでしょうね。 特に、シアトルのような良い所で長期なら尚更と思います。
日本の都会では、公共の場所で知らない人に気を使わないのかもしれません。 アメリカ人はドアを開けたり、知らない人でも一言声をかけるとか、気をつかっていると思います。
>アラスカ航空の尾翼
始めてみた時にチェ・ゲバラかと思ったのですが、エスキモーだと判りました。
>日本人には見えない
私が、台湾にいると「現地語」(北京語にあらず)で話しかけられます。 お腹が出てきたせいだと思います(笑)
ご出発直前にみょーなメール
失礼いたしました。
天かける空をばこえて伝へたる敷島心やがてひらかむ