勝海舟は明治三十二年(1899)、七十五歳で世を去った。当時としては比較的長命したことに加え、旧幕臣、薩長双方にも人脈を有し、幕末維新の重要な局面に関与した。
同時代でいえば、小栗上野介や福沢諭吉、少し時代は下るが蜷川新(官僚、法律家、小栗上野介の甥)など、海舟嫌い、アンティ海舟という人間も多い。薩長軍が江戸に迫ると、一戦も交えずに江戸城を明け渡した弱腰、さらに幕臣でありながら、明治政府で要職を務めた変節を批判する声は今なお強い。
しかし、江戸を戦禍から救い、慶喜を助命し徳川家を存続させ得たのは、あの場面では海舟しか成し得なかっただろう。鮮やかな印象を残す乾坤一擲の手であった。やはり海舟の功績は否定しえない。
海舟の生涯を追えば、そのまま幕末史を描くことになる。この本では海舟の生涯や歴史を記述しただけでなく、海舟と関与した、さまざまな知られざる人物・人脈を紹介している。
改めて、この本に紹介されている史跡を回ってみたが、たとえば谷中霊園の成川尚義の墓とか蓮光寺の山口泉処(直毅)の墓、本伝寺(大塚)の木城花野の墓などは発見できなかった。この本は二年前に出版されたもので、この二年間のうちに移葬、あるいは処分されてしまったものもあるかもしれない。
同時代でいえば、小栗上野介や福沢諭吉、少し時代は下るが蜷川新(官僚、法律家、小栗上野介の甥)など、海舟嫌い、アンティ海舟という人間も多い。薩長軍が江戸に迫ると、一戦も交えずに江戸城を明け渡した弱腰、さらに幕臣でありながら、明治政府で要職を務めた変節を批判する声は今なお強い。
しかし、江戸を戦禍から救い、慶喜を助命し徳川家を存続させ得たのは、あの場面では海舟しか成し得なかっただろう。鮮やかな印象を残す乾坤一擲の手であった。やはり海舟の功績は否定しえない。
海舟の生涯を追えば、そのまま幕末史を描くことになる。この本では海舟の生涯や歴史を記述しただけでなく、海舟と関与した、さまざまな知られざる人物・人脈を紹介している。
改めて、この本に紹介されている史跡を回ってみたが、たとえば谷中霊園の成川尚義の墓とか蓮光寺の山口泉処(直毅)の墓、本伝寺(大塚)の木城花野の墓などは発見できなかった。この本は二年前に出版されたもので、この二年間のうちに移葬、あるいは処分されてしまったものもあるかもしれない。
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