史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

円山公園 Ⅳ

2018年11月09日 | 京都府
(大雲院)


大雲院

 大雲院の開山は天文八年(1539)のことである。天正十五年(1578)、正親町天皇の勅命により、織田信長、信忠父子の菩提を弔うために御池御所(烏丸二条南)に開創され、織田父子の碑を建て追善供養した。その後、豊臣秀吉は、寺域の狭隘なるを見て天正十八年(1590)、寺町四条に移し、「大雲院」の三文字を親書した。その勅額は今も本堂に掲げられている。以来、その地に伽藍を擁していたが、周辺が繁華となったため、真葛ヶ原と呼ばれる現在地に再移転している。
 かねてより大雲院の祇園閣碑を見たいと思っていたが、たまたまこの近くを通りかかった時、大雲院と祇園閣を特別公開であることを知った。実は祇園閣碑だけ見ることができれば、それで満足だったのだが、入口の男性に「それはできません」ときっぱりといわれてしまったので、六百円を支払うことになった。結果的には十分値打ちのあるものであった。


佐土原藩戦没招魂塚


豊烈曜後之碑

 まず、境内に進むと、佐土原藩戦没招魂塚がある。この佐土原藩戦没者招魂塚および豊烈曜後之碑(顕彰碑)は、中京区寺町通りの一角にあったが、碑石の風化荒廃甚だしく、朽ち果てる寸前であった、佐土原町では、郷土先人の偉業を後世に伝えるため、昭和五十八年(1983)、大雲院の協力を得てこの地に碑石を復元移転した。いずれも慶應四年(1868)の戊辰戦争における佐土原藩出身者の戦死者を慰霊するためのものである。


祇園閣

 祇園閣は、大倉喜八郎の建てた鉄筋コンクリート造り三階建ての建物で、内部の壁面には観無量寿経変想図、釈迦説法図、千手観音図等が描かれ、京都市街地にありながら独特な空気を発する空間になっている。


祇園閣碑

 大雲院の場所は、大倉喜八郎の建てた別荘真葛荘(昭和三年(1928)竣工)の跡地にあたる。大倉喜八郎は、京都の新名所をすべく祇園祭りの鉾を模した高さ三十六メートルの祇園閣を建てた。喜八郎は祇園閣の完成を見ることなく他界したが、息喜七郎が翌年、祇園閣の前に碑を建立した。揮毫は西園寺公望八十歳の書である。

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