(渉成園)
名勝 渉成園
回棹廊(かいとうろう)
渉成園は東本願寺の飛び地境内地(別邸)である。十三代宣如上人が三代将軍徳川家光から東本願寺の東側の土地を寄進された。宣如上人は、承応二年(1653)に隠退して自らの隠居所をここに定め、渉成園と名付けた。文政年間には頼山陽が「渉成園記」を撰して「渉成園十三景」を紹介した。回棹廊の十三景の一つでえある。
渉成園は、創立以来、幾度かの火災に遭い、現在の建物は元治元年(1864)の蛤御門の変による炎上以後に再建されたものである。
十四代将軍家茂、十五代将軍慶喜も渉成園をことのほか気に入り、何度も訪れた。慶喜は「渉成園」と揮毫した額を残している。ほかにも尾張藩主慶勝や福井藩主松平慶永(春嶽)も渉成園に遊んだことが記録に残っている。
明治天皇御小休所枳殻邸
慶応四年(1868)三月二十一日、同年閏四月八日、明治五年(1872)六月四日、明治十三年(1880)七月十四日と、四回に渡り滞在している。明治十三年(1880)の滞在の折には、大宮御所から東本願寺に建物が移築されることになり、渉成園には車寄せが移築された(現在の大玄関の建物)。
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