(デクス凱旋門)
ここから先は、史跡訪問とは関係なく、マルセイユ市内の観光地を歩き回った記録である。
デクス凱旋門
デクス凱旋門(Porte d'Aix)は、マルセイユ・サン・シャルル駅から歩いて五分。
パリでもそうだったが、フランスでは浮浪者が街にあふれている。華やかな印象の強いフランスにおける陰の一面を見る思いがした。マルセイユでも駅周辺からデクス門周辺エリアは浮浪者が多く、しかもモノの腐ったような悪臭が鼻をつく。
フランスの治安の悪さや失業率の原因を有色人種や移民の多さに求める向きもあるだろう。有色人種がフランスに多いのは、戦前フランスがアフリカや東南アジアで植民地支配を拡大した歴史がある。彼らの先祖の多くは半ば奴隷のようにしてこの国に連行されてきたのである。もとを糺せば、フランスという国の過去の行いが今に影響しているということなのである。
(ヴェスティージュ公園)
ヴェスティージュ公園
ヴェスティージュ公園(Port Antique)は、1967年に発掘された古代マルセイユ港の遺蹟である。紀元前三世紀頃、この周辺に海岸線があったという証左である。
(サン・ヴィクトール修道院)
サン・ヴィクトール修道院
(Abbaye Saint-Victor)
修道院の内部
ノートルダム・ド・ラ・ギャルド・バジリカ聖堂から真っすぐ坂を下ってきた場所にある古い教会である。中に入ると一瞬にして厳粛な空気に変わる。
(マルセイユ石鹸博物館)
マルセイユ石鹸博物館
(Le Musée du Savon de Marseille)
こちらに来て初めて知ったことだが、マルセイユは石鹸で有名なのだそうだ。旧港に臨む通り沿いにマルセイユ石鹸博物館がある(入場料小さい石鹸付き二・五ユーロ、大きい石鹸付き五・五ユーロ。無論、私は小さい方を選択)。
昔ながらの石鹸製造工程を再現
もともとプロヴァンス地方(南仏)はオリーブオイルの大産地で、中世以来石鹸の製造が盛んであった。十七世紀には、マルセイユは良質の石鹸の産地としてヨーロッパ中に知られるようになっていた。
隣接するミュージアム・ショップで石鹸を購入することができる。昔ながらの工法で製造した石鹸は、何か懐かしさを感じる風合いで、お土産に最適である。
(サン・ジャン要塞)
港町として栄えたマルセイユは、海洋からの攻撃に備えるために港湾の入り口に要塞を設けた。北側にあるのがサン・ジャン要塞(Fort St-jean)、湾口を挟んで南側にあるのがサン・二コラ要塞(Fort St-Nicolas)である。
サン・ジャン要塞
(サン・マリ―灯台)
この灯台は1855年に完成し、1922年には電化されたが、現在はその役割を終えている。
サン・マリ―灯台(Phare Sainte Marie)
「米国回覧実記」にもサン・マリー灯台の銅版画が掲載されている。
(サン・二コラ要塞)
サン・二コラ要塞
(サン・ジャン要塞側から撮影)
(サン・ローラン教会)
サン・ローラン教会は、サン・ジャン要塞の入口の向かい側に立つ古い教会である。
サン・ローラン教会
(Eglise Saint Laurent)
(サンフェレオル・レ・オーギュスタン教会)
旧港に面した場所に立つサンフェレオル・レ・オーギュスタン教会(Église Saint-Ferréol les Augustins)は、十五世紀の建造。白亜のファサードが印象的である。
サンフェレオル・レ・オーギュスタン教会
(マルセイユ大聖堂)
マルセイユ大聖堂(Cathédrale La Major)
マルセイユ大聖堂は十九世紀の建築。正式にはサント・マリー・マジュール大聖堂という。横縞模様の外壁が美しく、ノートルダム・ド・ラ・ギャルド・バジリカ聖堂から街を見下ろしても目立つ存在である。私が訪問したのはまだ朝早かったため、堂内には入れなかったが、外観だけでも一見の価値はある。
(マルセイユ・プロヴァンス商工会議所)
マルセイユ・プロヴァンス商工会議所
カヌピエール通り沿いにあるマルセイユ・プロヴァンス商工会議所の重厚な建物。目の前に回転木馬がある。
(マルセイユ市立歌劇場)
マルセイユ市立歌劇場
かつてこの場所には大劇場があったが、火災によって焼失し、現在の市立歌劇場は1924年に再建されたものである。
(サン・サンヴァント・ポール教会)
サン・サンヴァント・ポール教会(Église Saint-Vincent de Paul)は、十九世紀に建立されたネオゴシック建築様式のカトリック教会。時間切れで訪問できなかったが、マルセイユのランドマークの一つである。
サン・サンヴァント・ポール教会
(カプシーヌ広場)
噴水と呼ばれているが、残念ながら水は流れていない。1778年に建てられ、1863年に現在地に移設された。
フォッサティ噴水
マルセイユから次の目的地リヨンに向かうTGVは九時四十五分発であった。朝から市街地を歩き回り、ホテルに預けていた荷物を取りに戻り、汗を流して半ば駆けるようにして駅に着いたところ、そのTGVが一時間遅れということが掲示されていた。そのせいで元々四時間しかなかったリヨン滞在時間は三時間になってしまった。
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