(静神社)
静神社
静神社は、鹿島神宮、香取神宮とともに古くから東国の三鎮守と称された古い歴史を有する神社である。天保十二年(1841)の火災で全焼し、現在の社殿は徳川斉昭によって再建されたものである。
監物斉藤君墓
桜田烈士の一人、斉藤監物の墓がここにあると聞いたので、静神社を訪ねた。静神社には迷わず行き着いたのだが、斉藤監物の墓の場所が分からない。境内で掃除をしていた男性に聞くと、
「静神社を出て、池の周りのサイクリング・ロードを数百メートル行ったところに在る」
という。言われたとおり、サイクリング・ロードの傍らに斉藤家の墓が在った。
斉藤監物は、常陸静神社の神官。藤田東湖に師事し、剣術も能くした。安政五年(1858)の勅書降下問題では、高橋多一郎と計って部下の神官を上京させ、伊勢、京都、大阪を巡歴させた。万延元年(1860)の大老襲撃の打ち合わせを済ませると、同志海後磋磯之介、鯉淵要人と脱藩した。桜田門外の変では重傷を負って、脇坂邸に自訴して斬奸状を提出した。三月八日、傷のため吟味中に死去。年三十九。
静神社
静神社は、鹿島神宮、香取神宮とともに古くから東国の三鎮守と称された古い歴史を有する神社である。天保十二年(1841)の火災で全焼し、現在の社殿は徳川斉昭によって再建されたものである。
監物斉藤君墓
桜田烈士の一人、斉藤監物の墓がここにあると聞いたので、静神社を訪ねた。静神社には迷わず行き着いたのだが、斉藤監物の墓の場所が分からない。境内で掃除をしていた男性に聞くと、
「静神社を出て、池の周りのサイクリング・ロードを数百メートル行ったところに在る」
という。言われたとおり、サイクリング・ロードの傍らに斉藤家の墓が在った。
斉藤監物は、常陸静神社の神官。藤田東湖に師事し、剣術も能くした。安政五年(1858)の勅書降下問題では、高橋多一郎と計って部下の神官を上京させ、伊勢、京都、大阪を巡歴させた。万延元年(1860)の大老襲撃の打ち合わせを済ませると、同志海後磋磯之介、鯉淵要人と脱藩した。桜田門外の変では重傷を負って、脇坂邸に自訴して斬奸状を提出した。三月八日、傷のため吟味中に死去。年三十九。
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