史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

久御山

2018年07月06日 | 京都府
(東一口)
 久御山(くみやま)町東一口は、「ひがしいもあらい」と読む。どう頭を捻っても読めない難読地名である。一説に巨椋池に囲まれた場所で、陸続きだったのが「一口」しかなかったからこの地名が付いたとも。「いもあらい」は「忌み祓い」が転じたものだともいわれるが、定説はない。
 山田家住宅は、東一口の漁業権の総帥の家。主屋の規模は当時の三分の一程度に縮小されているものの、書院の間や欄間等に往時の姿をとどめている。長屋門は当家の玄関を飾るにふさわしい重厚なもので、総欅の扉がもち、軒の塗り籠め仕上げ、出格子やその小屋根など、いずれも雄渾な造りである。


山田家住宅

(華台寺)
 明治四十五年(1912)、当時の御牧村村長山田與四五朗の遺徳を顕彰するために菩提寺である華台寺の門前に石碑が建てられた。撰文は衆議員議員奥繁三郎。篆額は西園寺公望。奥は山田村長のもと、御牧小学校の教育を務め、のちに政治家となり西園寺のもとで立憲政友会の幹事長の職を務め、衆議員議員にもなった人物である。


華台寺


山田翁頌徳碑


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