史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

吉野

2018年11月02日 | 奈良県
(如意輪寺)


如意輪寺

 足利氏との争いに敗れた後醍醐天皇は京都を逃れ、吉野の行宮に身を寄せた。以来四年間、京都に帰ることを夢見つつ、延元四年(1339)、病床に就き「身は仮へ南山の苔に埋まるとも魂魄(たましい)は常に北闕(京都)の天を望まん」と身もだえるように崩御した。後醍醐天皇の遺体を北向きに葬ったのが、塔尾陵(後醍醐天皇陵)である。


後醍醐天皇陵

 如意輪寺境内には天誅組関連の石碑がある。一つは藤本鉄石の招魂碑である。


鉄石先生招魂之碑(藤本鉄石招魂碑)


小楠公髷塚碑文

 もう一つが小楠公髷塚碑文。慶応元年(1865)に津田正臣(津田出の実弟)によって建立された。撰文は森田節斎。

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