(暁雨館)
暁雨館は、入野村の庄屋第十代当主山中時風が自らの住居に名付けた住居号である。寛政七年(1795)には、伊予を訪ねた小林一茶も暁雨館に立ち寄ったと記録されている。
伊予土居は、寛政の三博士と称された尾藤二洲に学んだ近藤篤山が生まれた場所である。近藤篤山は「伊予聖人」と称された儒者、教育者であるが、その門下から尾埼星山(山人)が生まれ、星山は私塾松菊者を開いて、この地で多くの人材を育てた。星山の門下に合田福太郎や安藤正楽がいる。合田福太郎は中央政界で活躍し、郷土の発展にも尽くした政治家である。安藤正楽は非戦・反差別を主張した政治家であり、思想家でもある。
暁雨館における展示を見ていると、尾藤二洲以来の思想・学問の流れが脈々と受け継がれたことを理解することができる。
暁雨館
暁雨館の展示
暁雨館の庭園
暁雨館の庭園は、庄屋山中家の築造したものがそのまま受け継がれている。庭は枯山水式の庭園で、多くの飛び石が配され、五葉松をはじめ赤松、シラカシ、イヌマキといった古木が見事である。
(井守神社)
井守神社
日清戦争記念碑
井守神社境内の日清戦争記念碑は、尾埼星山の筆。どういう文字で、何が書かれているのかよく分からない。
尾埼星山は勤王の志厚い人で、文久三年(1863)、生野の変に敗れて四国に逃れた澤宣嘉を匿い、のちに長州に送り届けた。明治元年(1868)には西条藩学教授となり、学頭に進み、兼ねて藩政参与となり権少参事、文武館総督となったが、明治四年(1871)退官。爾来、私塾を開いて地方青少年の教育に努めた。明治三十六年(1903)、年七十八で没。
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