史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

新居浜 Ⅲ

2020年12月05日 | 愛媛県

(瑞応寺)

 瑞応寺は、住友家や別子銅山と所縁の深い曹洞宗の禅寺である。別子で発生した火災や水害の犠牲者の墓などがある。本堂左手の長泉堂には、別子銅山の殉難者を祀っている。

 

瑞応寺

 

別子銅山殉難流亡者碑

 

 この石碑を求めて瑞応寺を訪ねること少なくとも四回、ひょっとしたら五回に及んだ。この日は朝一番で新居浜駅まで行って、そこでレンタサイクルを調達して、汗だくになって訪問してやはり行き当らず。夕刻、仕事を終えて出直し、お寺の受付にいた女性に尋ねて、女性が「詳しい人」に電話をして確認してくれて、ようやく場所が分かった。瑞応寺に隣接するひかり幼稚園の西側から山に入ると、その西側に住友金属鉱山㈱別子事業所が管理する墓地が広がっている。宝篋印塔の右側から登っていくと、そこに鉱山殉難者の墓地があり、そこに建っている。ようやく行き着くことができて感無量であった。

 

 この碑は、明治三十二年(1899)の台風で別子銅山関係者が五百人以上も亡くなった慰霊の碑である。その三周忌に建立され、法要が営まれた。住友別子工業所はこの大災害を受けて、新居浜に移転した。撰文は西園寺公望の実弟住友吉左衛門。西園寺公望筆。明治三十四年(1901)八月建立。

 

(正法寺)

 有り難いことに新居浜駅前の駐輪場でレンタサイクルが始まった。朝六時半にホテルの近くのバス停からバスで駅に移動する。貸し切りであった。

 仕事を終えて、正法寺に向かった。ホテルから大生院の正法寺まで距離にして七・五キロメートルもあり、しかも緩やかな上りとなる。自転車で正法寺に到達したときには、汗がしたたり落ちた。

 

石鉄山正法寺

 

近藤篤山詩碑

 

 新居浜市大生院にある正法寺は、「小松聖人」とも称される近藤篤山が訪れた寺院である。寺の駐車場に近藤篤山の詩碑が建てられている。

 

大生院山下偶成

 

 渓水清如玉

 鏘々咽石鳴

 不妨只濯足

 山客無冠桜

 

 

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