史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

美濃加茂

2015年06月06日 | 岐阜県
(太田宿中山道会館)
 太田宿本陣の向かいにある中山道会館には、太田宿関係の資料などが常設展示されている。そこに太田宿所縁の人々が紹介されている。
 たとえば尾張藩主徳川慶勝。慶応四年(1868)閏四月、甲信越地方の一部の藩が新政府に服従しなかったため、慶勝は総督に任じられ、本部を太田宿本陣福田家に定め、ここに七十五日滞在した。この時、本陣福田太郎八は御用金千両を寄進したほか、親戚を説いて同じく千両を寄進させたという。
 また尾張藩側用人の田宮如雲は、尾張藩が太田代官所を名古屋城の北の守りとして北地総管所と改称し、総管に任命された。この時、田宮如雲は農兵隊(草薙隊)を組織して指揮を取った。


太田宿中山道会館

 元治元年(1864)、天狗党も太田宿を通過している。武田耕雲斎は本陣に宿泊した。耕雲斎の歌碑があるらしいが、場所が特定できず。

(旧太田宿本陣門)


旧太田宿本陣門

 太田宿の本陣は、かつてこの町の中心的存在で、明治以降も太田町役場が置かれていた。現在、この場所には本陣門が再建されている。
 この門は、文久元年(1861)和宮が江戸に向かう際に新築されたものである。一行は同年十月二十四日、太田宿に宿泊した。平成十四年(2002)に美濃加茂市教育委員会により解体修理が施されている。
 遡れば、安政年間には井伊直弼もこの本陣に宿泊しているし、時代が下って元治元年(1864)には武田耕雲斎がここに泊まり、もてなしの返礼として贈られた兜が伝えられている。

(旧太田脇本陣林家住宅)


旧太田脇本陣林家住宅

 脇本陣林家住宅は、明和六年(1769)に建築された主屋と天保二年(1831)に建築された表門と袖塀、それに裏の二棟の土蔵から成る。林家は、脇本陣としての役目のほか、太田村の庄屋や尾張藩勘定所の御用達を務めた旧家である。

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