史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

舞子 Ⅱ

2018年06月09日 | 兵庫県
(舞子ビラ神戸)
 この日は快晴であったが、妙に風の強い日であった。海から絶え間なく吹き付ける烈風のため、芝生のガーデンでのバイキングは中止となり、それどころか庭に立ち入ることさえできなかった。


舞子ビラ神戸

 かつてこの地は、有栖川宮家別邸があった。明治二十一年(1888)の夏、有栖川熾仁親王は避暑にきてこの丘陵にのぼり、海を眺めて「これこそ天下の絶景」と感嘆した。明治二十六年(1893)、この地に別邸の建設を始め、翌年秋には建物が竣工したが、その年の暮れ、日清戦争で広島大本営に出仕中、病気にかかり、明治二十八年(1895)一月十五日、竣工間もないこの別邸にて療養ののち逝去した。熾仁親王の弟威仁親王もこの別邸を愛し、しばしば逗留した。明治天皇もこの別邸を非常に懐かしく思い、明治三十三年(1900)の兵庫県下行幸、明治三十五年(1902)の陸軍特別演習、明治四十一年(1908)の海軍特別大演習の際など、いずれもこの別邸に宿泊した。大正六年(1917)には住友家がこれを譲り受けて迎賓館として利用した。終戦後、米軍によって館内は洋式に改められ、その後、オリエンタルホテルがこれを引き継いで経営した。昭和四十一年(1966)、神戸市が買収して、「市民いこいの家 舞子ビラ」として発足した。さまざまな曲折を経て現在は舞子ビラ神戸として営業を続けている。


舞子ビラ神戸内 有栖川家関係の展示
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