(耳取古戦場)
耳取古戦場
院内口から進入した庄内・米沢・仙台藩同盟軍は、総勢三千。横手を前に軍勢を二つに割り、庄内藩一番隊と米沢藩兵は横手城の攻略に向かった。庄内藩二番隊と仙台藩兵は角間川方面に進攻した。慶応四年(1868)八月十一日、列藩同盟軍は田村新町の秋田藩伝馬役所を占拠して休息を取った。角間川に駐屯していた秋田藩兵は列藩同盟軍の動きを探知し、同日午後四時頃から砲撃を開始した。列藩同盟軍も鉄砲で応戦。やがて激しい白兵戦となった。夕暮とともに秋田藩兵は角間川に退却し、同盟藩軍は周囲の民家に火を放って横手方面に退いた。この戦闘で秋田藩軍に九名、仙台藩軍に二名の戦死者が出た。
耳取古戦場
院内口から進入した庄内・米沢・仙台藩同盟軍は、総勢三千。横手を前に軍勢を二つに割り、庄内藩一番隊と米沢藩兵は横手城の攻略に向かった。庄内藩二番隊と仙台藩兵は角間川方面に進攻した。慶応四年(1868)八月十一日、列藩同盟軍は田村新町の秋田藩伝馬役所を占拠して休息を取った。角間川に駐屯していた秋田藩兵は列藩同盟軍の動きを探知し、同日午後四時頃から砲撃を開始した。列藩同盟軍も鉄砲で応戦。やがて激しい白兵戦となった。夕暮とともに秋田藩兵は角間川に退却し、同盟藩軍は周囲の民家に火を放って横手方面に退いた。この戦闘で秋田藩軍に九名、仙台藩軍に二名の戦死者が出た。