夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

シェラザード/浅田次郎/下巻読了

2009-07-27 05:29:44 | 私の本棚
 昨日シェラザード下巻を読みきった。R.コルサコフ作曲のシェラザードを聞きながら、雰囲気を楽しんでいる。
弥勒丸という豪華客船が、終戦間際の4月に予定航路をはずれ、アメリカ軍の潜水艦の魚雷数初を被弾し沈没する。そしてその船には軍の謀略情報に乗せられた民間人2千人が乗船していたのである。日本の捕虜となっているアメリカ人などへの食料を届ける目的で、緑十字を船体に刻んで、攻撃されないことを約束された船のはずであった。
 そうした戦争という時代背景の中で、人々の愛のドラマが進行していく。引き上げ船の乗船を求める人々と、愛する人や無関係な子どもたちを危険のある船に乗せたくない恋人の葛藤劇も織り交ぜられる。何も知らない人々は、乗ることが安全と考えるのであるが、乗らないことの安全もそこにはあった。食料を乗せて予定の航路を進むはずの船が、金塊を途中で積み込んで航路を上海に取る。日本軍の情報は筒抜けで、潜水艦に取り囲まれ、敢え無く海の藻屑と消えてしまう。

 かつての恋人同士軽部と律子。その二人に宋老人(生き残った一人)が言う最後の言葉が印象深い。
 「偶然なんて、人生にそうそうあるものではありませんよ。偶然という言葉はね、事実の免罪符。わかりますか。人はみな、都合の悪いことが起こると、偶然のせいにする。そうではない。偶然などというものは、人生にいくつもない」
 軽部はもう一度律子とやり直せると考えた。がしかし、律子は軽部と自分自身について思う。恋人軽部と別れた15年間。その間自分は軽部を愛し続けた。
 忘却は苦悩から免れる早道に違いない。だがこの人は、その道を選んだために、アナログで軽薄で、エゴイストである上に自己喪失者に成り下がってしまったのだ。忘却をせずに悩み続けてきた自分は正しかった。

 こう考えた彼女は、軽部との別離を決意し、タクシーに一人乗り込む。その別れの言葉が「さようなら」ではなく、「よーそろ」という船乗りの言葉であった。

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