2月26日(日)
-2℃が最高気温、(最低-5℃)の厳寒の一日。細かな雪が降っています。それでもPM5時頃になっても、いつもとは違う空の明るさがあります。本当に辛抱ももう少しという感じです。
さて藤沢周平著「臍曲がり新佐」を読みきりました。藤沢は1997年1月26日に逝去しています。もう15年も経っているのかと、不思議な感じでもある。宮沢賢治、遠藤周作、北杜夫、井上ひさし・・・みんな亡くなっているが、彼らには生きた作品がある。いつ読んでもそこには作品たちが、活き活きとして私達に語りかけているのだ。小説家を始めとする物書きの、そこが素晴らしく羨ましいところだと思う。
藤沢作品をたてつづけに読み進むうちに気づいたことがある。それは、根底に流れる温かな人間観である。人間そのものがいつの時代も完全なものではなく、弱さや強さ、美しさと汚さ、善と悪の両極が必ず心の中に住んでいることを、突きつけられる思いである。
悪人であっても、一分の良心がある。貧乏人であっても、心の中には清廉潔白なすがすがしい生き方もある。そんな意味では藤沢の作品に一貫しているのは、ヒーローとして祀り上げられた偉人たちではなく、貧しい足軽や下級武士たちの物語である。
心の動きが右に左に動く様、その心理描写の素晴らしさ。思わず自分までもが、主人公と一心同体となって、うろたえたり、ヒヤヒヤしてしまう。そして、武士として願いを叶えた後の満足感と達成感の中で、死んでいくことをうかがわせる終末場面。
また次の作品に手が伸びそうになっている自分がそこにある。
-2℃が最高気温、(最低-5℃)の厳寒の一日。細かな雪が降っています。それでもPM5時頃になっても、いつもとは違う空の明るさがあります。本当に辛抱ももう少しという感じです。
さて藤沢周平著「臍曲がり新佐」を読みきりました。藤沢は1997年1月26日に逝去しています。もう15年も経っているのかと、不思議な感じでもある。宮沢賢治、遠藤周作、北杜夫、井上ひさし・・・みんな亡くなっているが、彼らには生きた作品がある。いつ読んでもそこには作品たちが、活き活きとして私達に語りかけているのだ。小説家を始めとする物書きの、そこが素晴らしく羨ましいところだと思う。
藤沢作品をたてつづけに読み進むうちに気づいたことがある。それは、根底に流れる温かな人間観である。人間そのものがいつの時代も完全なものではなく、弱さや強さ、美しさと汚さ、善と悪の両極が必ず心の中に住んでいることを、突きつけられる思いである。
悪人であっても、一分の良心がある。貧乏人であっても、心の中には清廉潔白なすがすがしい生き方もある。そんな意味では藤沢の作品に一貫しているのは、ヒーローとして祀り上げられた偉人たちではなく、貧しい足軽や下級武士たちの物語である。
心の動きが右に左に動く様、その心理描写の素晴らしさ。思わず自分までもが、主人公と一心同体となって、うろたえたり、ヒヤヒヤしてしまう。そして、武士として願いを叶えた後の満足感と達成感の中で、死んでいくことをうかがわせる終末場面。
また次の作品に手が伸びそうになっている自分がそこにある。
私は毎日自分の言動を肯定したり
否定したりしながら生きてます。