夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

娘たちとの正月の暮らし

2014-01-05 06:25:47 | つれづれなるままに
1月5日(日)雪  きょうの最高気温の予報は-1℃

 いよいよ今日で、正月休みも終了です。今回の休みは12月28日(土)から今日5日(日)までの連休で、最長の9日間でした。
 
 この間娘達もなんとか体調も崩すことなく、今日一日を自宅で過ごして明日からまたケアホームへと戻っていきます。

 次女はおむつをしないでも排尿での失敗はなく、トイレ誘導をすると必ず答えてくれた。排便の方だが昨年辺りからイレウスに影響するからと、いつの間にかお腹が張っていたり、お通じがない日が2日以上続くと、浣腸を施行されていた。今回帰宅期間中で、次女は毎日ではないが2日おきにお通じがあり、浣腸をすることもなかった。

 我々両親はイレウス症は困るが、必要以上に今ある力を使わないで薬に頼りたくないという思いがあった。次女は排便をするときには膝立ち状態や、立ち上がって「フッ!」と息を止めて出すことが多い。この所は良便で、硬い便なので処理もしやすいし汚れもそんな気にならない。

 この2年間ほど毎日の排便が、どの程度あるか施設と自宅で記録している。量(重さ)、毎日あるかの確認である。こうしてなんとか、次女の健康状態の維持ができている。



 長女はこれまでになく行動的で、自宅の廊下を上腕の力だけで移動している。
 私だったらこんな移動はしないで、諦めてその場で何かを楽しもうとするいるかもしれない。

 長女はおよそ10メートルの廊下を、居間から客間まで移動している。

 そしてまた戻ってくることが増えた。移動しようとする気持ちは、彼女の好きなキーボードがそこにあるからとそう思っていた。しかし昨日まで滞在していた義妹夫婦がその客間に休んでいるので起こしたら迷惑だと、親が彼女がその休んでいる部屋に移動しなくても良いように、キーボードを居間に置いた。

 彼女は初めは居間でキーボードで愉しむ風だったが、しばらくすると客間を目指そうとして移動を開始していた。つまり、キーボードだけが彼女の目的ではなかったのかもしれない。客間という空間とキーボードがある場所を、彼女は目指して移動するのであるということがわかった。

 この移動を腹ばいで行う彼女は、おかげで心肺機能を強化するという運動を自ら行って健康状態を維持しているのかもしれない。

 好きなモノが彼女にいくつかあって、この頃は特に本当に良かったと思う。

 

年賀状

2014-01-04 10:14:58 | つれづれなるままに
1月4日(土)雪

 早朝に目覚めて道路の雪の状態確認をした。すると除雪をして行った跡が山になっており、6時から除雪機で雪を飛ばした。湿った雪だった。
 大方の予想を毎日天気が覆して行く。津軽の積雪はまだ20センチに届かない。有り難いことだ。

 例年にないことのもう一つは、ほとんどの賀状を25日までに手書きをして投函していたことだろう。

 年賀状を頂いていつも感じることがある。日常生活にほとんど往来していない方から、近況を短く書かれて来ると、とても懐かしく思ったりその方との思いでを頭に描いている。しかし、昨今のパソコンでの印刷だけで、「謹賀新年」とか「アケオメ」だけの賀状はどうにもその方が自分との関係をどのように思われているのか伺い知れない。惰性で出さなければならない賀状ほど空虚感以外なにものでもない。しかしそれでもひょっとして今年はいいかな?と思って出さないでいると、ひょっこりと3日以降にやって来る賀状もある。そもそも年賀状はどんな意味を持っているのか・・・?

 幼いころは近隣の親戚縁者や交流を持っている方々が、年始の挨拶に来宅していた。遠方でそれが出来ない方は、挨拶状を出す以外に方法がない。しかし最近は年始回りという風習は非常に狭くなってきたように感じる。

 引退後に年賀状ががたっと減って、愕然としたという記事を読むことがある。年配の方から、今年で一区切りにさせてもらいたい旨の書き込みがあって、遠慮して出さないでいたのに、やっぱり今年は「あなたの年賀状を楽しみにしているという添え書きがあったりする。一体どうしたらいいのか?迷うことも多い。またこの辺の事情を曖昧にして、今年も忘れていくしかないのかもしれない。

 

謹賀新年 2014年(平成26年)

2014-01-03 17:56:48 | つれづれなるままに
1月3日(金)

 早くも正月3日が終えようとしています。今のところ雪が少なくてホッとしているというか、だいぶ楽な新年です。

 皆様明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。

 年明けて直ぐに家内と、近所の白山姫神社に初詣に出かけました。神社には大勢の初詣の方々が絶えることなく訪れていました。お参りをして静かな心で祈願をしようとしたら、氏子をやっている方々が皆町会の知っている方々で、次々と話しかけてきて結局形だけで終えてしまいました。

 それでもおみくじが無料で配布となっていて、引いてみると「吉」でした。まあまあの年ということでしょうか・・・。

 義妹夫婦が昨日から来ていて、終日お酒を飲む雰囲気です。今年は休肝日を2日は設けるつもりでいましたが、大丈夫なのか早くも自信がありません。

 もう一つは「和顔愛語」(わげんあいご)をモットーに過ごしたいと思っています。どうも自分は笑顔が今ひとつ少なく、更には思いやりの言葉も足りない気がしています。これをクリアすることが、今年の誓いです。傾聴の気持ちが足りないのかもしれませんね。
反省しています。

 娘達も今のところ元気で過ごしてくれていますが、さすがに滞在1週間近くなると、腰が痛くなってきました。あと2日間頑張ります!

 今年は健康に注意して、可能な限りウォーキング、サイクリングでの通勤に変えたいと思っています。

 三日坊主にならないようにしたいと思います。

 

大晦日は静かに

2013-12-31 10:34:28 | つれづれなるままに
12月31日(火)晴天

 今日はいよいよ大晦日。すす払いも終え、あとは身の回りの整理をするだけです。今のところ雪も少なくて、とっても楽な感じです。

 四国の友人からの贈り物「床下の奴ら」も読み終えてしまいました。なかなか文章も味があり、面白かった。優しい人なんだなあという感想です。
 四国のお遍路さんが歩く道沿いに、一人で住んでいる彼。床下に居ついた野良猫たちと織り成す日常の子育てやら、病死であったりが淡々と綴られていました。
 それにしても、猫ちゃんたちの表情の豊かさには驚かされました。寄り添わなければ決して撮れない写真がたくさんあって、感動します。

年を締めくくる「餅つき」

2013-12-29 07:18:34 | つれづれなるままに
12月28日(土)

 昨年と同様に、今年も餅つき仲間と一緒の「年を締めくくる餅つき」を行いました。
 雪が時々舞いながらも、時々は晴れ上がって青空が見えました。

       
結局餅つきは車庫の中で行いましたが、3臼ついて鏡餅や正月用の切り餅として3軒で分けました。
 午前中でつき終えて、後は飲み会。福井や新潟の酒の品評会やら、今年行った旅のことなど楽しく話しました。

 ついた餅はやっぱり腰があっていいねえ!また来年まで待てないかなあ・・・。

 

クリスマスイブはケアホームで その2

2013-12-26 07:17:25 | つれづれなるままに
12月24日(火)

 PM5時にケアホーム到着。カミさんはメンバーさんのために、鍋プリンを作って行った。
 ケアホームへ到着すると、娘達の恩師のK先生がすでに到着していた。久しぶりの再会でした。メンバーさんたちは先生とSさんたちでロールケーキの上にイチゴやバナナ、チョコレートなどで飾り付けをしていた、K先生の弘大時代の学友のボランティアSさんは、今年の春から長期の滞在型ボランティアとしてケアホームに寝泊まりをしながらこの夜でいったんまた東京のおうちに帰っていく。来年も1月には戻って、5月までは弘前で過ごすことになっている。

 

 雪がそこそこに美しく外の景色を彩り、本当のホワイトクリスマスという感じでした。食事が済むまで外のベランダに冷やしておいたケーキを運びます。


 今日の夕飯は「ちらし寿司」デザートはクリスマスケーキとプリン。
 サンタクロースが突然乱入してきて、みんなサープライズ!プレゼントを頂きました。

 でも長女ネムは食卓にある色の代わるツリーがお気に入りで、離しませんでした。
 

クリスマスイブはケアホームで

2013-12-24 06:58:07 | つれづれなるままに
12月24日(火)雪 

 昨日の弘前市の最高気温は2.8℃最低気温は-1.8℃。 雪は小康状態ではあるが、気温は上がらなかった。

 昨日はお休みで、午前中は車庫の中に職場から持ち帰った書類や小物類の整理。午後はカミさんと娘のケアホームへの届け物をして、その後K電気で娘のCDデッキと血圧計を購入した。というのも、先日来通院時に血圧が高めなので、医者に薬を服薬して見るよう勧められた。そして家庭でも測ったほうが良いと言われ、購入する気になった。老齢期になると動脈硬化症が進み、血流が悪くなって「本態性高血圧」という症状に陥るらしい。97%の人がこの本態性高血圧だという。私もその部類にあり、少し健康が気になり始めている。

 帰宅前に久しぶりに温泉に立ち寄って、ゆっくりと温泉浴を楽しんだ。クリスマスイブということもあって、温泉の中もクリスマスソングが流れ、テレビには被災地・大船渡のでの大聖堂内の「歓喜の歌」が中継で入っていた。2年9ヶ月ぶりの第九再開ということだった。家族を亡くされた方々もこの第九を歌うために参加し、徴収は会場に1000人も集まったという。いまだにあの3・11の日のおぞましい光景はまぶたに焼き付いて離れないし、野田村での4月からのがれき撤去に通った30数回の日々は、おそらく記憶から離れることはないだろう。

 写真は今我が家の風除室で静かに咲く赤いクラメンと、シャコサボテンだ。

 寒いこの時期に、良くもこんなに美しく咲けるものだと感心する。神様に感謝しなければならない逸品である。どんな厳寒時にも、こうして凛と咲き続けるこの花の魂を学びたい。

 皆様、素敵なクリスマスイブをお過ごし下さい。私は今夜はカミさんと、娘のケアホームのクリスマス会に参加します。

 娘達の正月帰宅は29日から1月5日までの予定「

 

ホワイトクリスマス

2013-12-23 07:02:24 | つれづれなるままに
12月23日(月)

 昨日は終日雪降の、凍てついた一日でした。娘達はそれでも元気で、楽しい音楽活動で忙しそうです。

 我が家の玄関ホールには、カミさんが季節ごとに飾り付けをするコーナーがあります。今はこのクリスマスグッズが所狭しと飾り付けられました。

 小物も旅行をするたびに買い集めています。ちなみにサンタさんと猫ちゃんは娘の恩師が送ってくれたものです。可愛いですね。

 日本は八百万の神が住める国なのか、キリストも神道も仏教もごっちゃごちゃに年間行事に組み込まれていて、賑やかなことです。

 私は宗教的ということよりも、クリスマスソングが聞こえ、クリスマスツリーがピカピカ光ったりという華やかさであったりが、平和の象徴のような気がします。
 そしてそれぞれの家庭ごとに美味しい料理がテーブルに飾られたり、家族が集って美味しいワインを飲んだりして楽しめるのですから・・・。こういう時代がいつまでも続くことを、神様にお祈りしたいです。できれば世界中の子供達とその家族が、同じようにこの温かさを皆享受できる時代が訪れてほしいと願っています。

「断捨離」ということ

2013-12-20 06:45:03 | つれづれなるままに
 「断捨離」とは、基本的にはヨガの行法、「断行(だんぎょう)」、「捨行(しゃぎょう)」、「離行(りぎょう)」という考え方を応用して、人生や日常生活に不要なモノを断つ、また捨てることで、モノへの執着から解放され、身軽で快適な人生を手に入れようという考え方、生き方、処世術である。

 単なる「片づけ」や「整理整頓」とは一線を引くという。

「断」=入ってくる要らない物を断つ
「捨」=家にずっとある要らない物を捨てる
「離」=物への執着から離れる

 「やましたひでこ」の著書が発表されて話題になり、この考え方が人々に広く知られるようになった。やましたひでこの著書群の説明によると、おおむね次のようなものである。

 日本では伝統的に「もったいない」という観念・考え方があるが、(これはこれでひとつの考え方・価値観ではあるが)この考え方が行きすぎると、物を捨てることができなくなり、やがて、すでに使わなくなったモノ、将来も使うはずがないモノなどが、家・部屋の中に次第に増えてゆき、やがては自分が快適に居るための空間までが圧迫され、狭くなり、また人は膨大なモノを扱うのに日々 膨大な時間や気力を奪われるようになってしまい、知らず知らずのうちに大きな重荷となっていて、心身の健康を害するほどになってしまう。

 断捨離は、こうした「もったいない」の観念(固定観念、思い込み)にとりつかれて凝り固まってしまった心を、ヨガの行法を応用して解きほぐし、知らずに自分自身で作り出してしまっている重荷からの開放を図り、快適な生活・人生をとりもどすための方法である。(Wikipediaより)

 先日何気なくこの「断捨離」実践方法をテレビで見た。年末のこの整理がしやすい時期に、その考え方は参考になったように思う。

 そしてもうひとつの番組では、800万人もいる認知症のお年寄りの番組を見た。一人暮らしで、他人と付き合わないタイプの人で、ゴミに埋まって暮らしている人がいた。2025年問題は段階の人たちの最後の昭和24年生まれの人が75歳という後期高齢者となり、これがまた800万人もいるというのだ。そんな事象などが頭にあって、こりゃかなわんと自分なりに思い始めていたのだった。

 昨日会議終了後の午後4時からから、ダンボール3つと書類棚5つを職場の自室から運び出した。基本的に書籍やこの1年間触れもしない書類関係ファイル、その他小物の箱などなくなればこんなに気持ちのよい空間になるという実感を得た。

 きょうは事務机の中からすべてを段ボール箱に移して、撤去する。明日からは公休日なので、これを車庫にとりあえず入れて、整理にかかる。

 こうしてみると、空間があるだけで、こんなに気持ちにもゆとりが持てるのかと思う快適さでもある。運びだした空間にセミのミイラもあった。多分開放していた窓から夏セミが飛び込んで死んだのだろう。こうして掃除もできた。
 
 まだ自宅の自分の物置や小屋には、とんでもなく不要なゴミがある。これをこの正月休み期間中にどれだけ片付けられるだろうか。雪が邪魔して厳寒期だけに、難しいかもしれない。

 今直ぐ死ぬわけでもないが、片付けもエネルギーの要ることでもある。少しずつやるような性分でもないので、多分一気でないとやれないかもしれない。

 あとは余計なものを、可能な限り購入しないことだ。「Simple is Best」

 さあ老年期の誓いを、暫くは忘れないようにしよう!

吹っ切る

2013-12-18 07:13:07 | つれづれなるままに

 最近は床屋も不要になった。19年前ノームという無認可施設の立ち上げの際から法人認可までの7年間は、カミさん床屋だった。そして今、還暦を過ぎてすっかり頭頂部から後頭部にかけて髪が薄くなり、床屋に行っても切る量が少なくて申し訳ないと思われたのやら、200円減額された。

 これならいっそ電気バリカンを購入して、自宅で散髪をすれば無料ですむと思った。
 もう一つの理由は、この4月に戻って私の給与は10万円減額され、年間120万円を法人寄付する形をとっている。私の経営能力のなさを懺悔したのだ。

 というわけで毎月の小遣いも今や10,000円に減額された。(本当は限りなく0円的イメージなのだ)これは雑誌を購入するとか、通院費用、パン代金などでなくなってしまう。

 そういう生活の中で、どんどんどうでも良くなっていく自分がいる。どうでもよいというよりは、物欲から離れていかざるをえない自分がいるのだ。

 本当に自分に必要な物はなにか・・・それを吟味して行く生活もまた楽しいものだ。
 無から有を引き出すという楽しさは、今の自分の脳細胞を活性化させるに十分だ。
「今を愉しむ」それが私の今できることだ。
 それが今の仕事にも役立つとしたら、生きている意味もありそうなものだ。