夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

市立常盤野小中学校卒業式参列そしてチームオール弘前活動報告会

2014-03-11 07:04:23 | サイクリング
3月10日(月)雪

 岩木山嶽温泉には、「弘前市立常盤野小中学校」「町立常盤野保育所」がある。この日は常盤野小中学校の卒業式でした。
 この日、岩木山麓は朝から吹雪いていました。百沢を過ぎ地蔵茶屋を過ぎる頃から道路の側壁の積雪量が急にアップし、3㍍を超え迫ってきます。

 20年前の今頃は、「生活リズムセンターノーム」の立ち上げのために奔走していました。4年4ヶ月間お世話になった嶽温泉をあとに、私達は新たな飛躍を目指して嶽温泉をあとにしました。
 ちょうど移転する前の年に新校舎が完成し、車いす用のトイレ付きスロープ付きの校舎は県内でも珍しい建物です。その校舎に現在小学生8名、中学生8名が通学していました。そして今回は中学生3名が卒業し、来年の入学生は小学生が1名のみなので、2名の減員となるようです。 小中学校合わせても14名の小規模複式学級校となっています。
 そして私達がお世話になった「常盤野保育所」も、この3月末日で閉所となると聞きました。26日が閉所式だということで、なんとかスケジュール調整をして参加したいと思っています。少子化の波は、まさにここでもどんどん進んでいるようです。

 午後2時から弘前市駅前の「ヒロロ」にて「東日本大震災からの災害復興を考える」に参加。弘前大学ボランティアセンター主催の「活動報告会」に20時30分まで出席しました。その後は講演者を囲んでの交流会でした。外国の学舎さんを含む5名の大学関係者の基調講演も交えての、災害復興のお話を聞きました。  この方は野田村村長さんです。

 きょうは岩手県野田村で慰霊祭が開催されるようで、関係者は朝8時45分の弘前からの送迎バスに乗車すると聞きました。亡くなられ行方不明となられた皆様のご冥福をお祈りいたします。合掌
 

 

3周年を迎える東日本大震災

2014-03-10 07:20:18 | つれづれなるままに
3月10日(月)雪

 彼岸の入りまであと1週間あまりなのに、まだ雪の日々です。先週までかなり溶けてきたなと思っていた雪も、このところの雪でまた前と同じラインまで復活しています。今朝も10センチ程度でしたが、全国的に今日は寒波襲来の予報ですね。

 今週は卒業式のオンパレードで、私達が最初の福祉活動を開始した岩木山嶽温泉地区の「常盤野小中学校」の卒業式です。

 明日は東日本大震災の起きた3月11日です。きょうの午後2時から午後8時まで「東日本大震災からの地域復興を考える」と題して、弘前大学ボランティアセンター主催の活動報告会・研究報告会があり、参加することにしています。

 
 


休みたい病

2014-03-07 07:15:02 | サイクリング
3月7日(金)積雪20センチ

 このところ急速に自分の稼働意欲が減衰し、来年度は引退しようかとすら考えている。その心理的な原因はなんだろうか?一つには自分がチームに所属していることで、何か役に立っていることがあるのだろうかという点である。逆に言えば、マイナスになっていることが増えてきているのかも・・・という疑念である。

 年金受給の65歳まであと3年間ではあるが、自分の場合は法人から脱却できる保障はないことを考えれば、一年間くらいぶらぶらしたっていいんじゃないかと思う。暮らしてさえ行けるのであれば・・・というのが前提ではあるが。

 仕事を休んでしたいことは山ほどある。今までできなかったこと・・・。
 何よりも健康が身近に感じられるうちに、余計なストレスから逃れたいのかもしれない。


沈黙

2014-03-06 07:06:54 | つれづれなるままに
3月6日(木)

 目覚めると細かな雪がしきりに舞っている。寒い朝だ。これから彼岸まで温かさと寒さを繰り返しながら、まるで揺り返しの波のように春に近づいているかのようだ。

 昨夜娘の不幸なことがあり、ケアホームに夫婦で急いだ。
 何も言えない娘ではあるが幸いにもその表情は明るく、私たちの顔を見て「だいじょうぶよ」と言っているかのようだった。
 
 帰途、家内と私はそれぞれに心のなかで言葉が重たすぎて、何にも語れないままに就寝した。
 「どうすれば?」とか「なんで?」という言葉のリフレインが、延々とこの雪のように続いている。娘は人を恨むようなことがないだけに、我々夫婦は自分でもいつ剥くかもわからない牙を必死で抑えこんでいる。
 予感というものはあるもので、振り返るとその一コマ一コマがコラージュのように再現される。しかしその時点では、何にも動けない自分がいるだけだ。
 こうして繰り返す災難は、いつも娘が身をもって次の災難の防波堤となっている気がしている。
 きょうも私は昨日の続きの、セイフティマネジメントのシナリオを更新しなければならない。次の悲劇をなくするために・・・。

旧暦2月6日

2014-03-05 07:04:59 | つれづれなるままに
3月5日(水)

 この所またテレビは見ずに、寝室で浅田次郎の「一路」上篇を読みながら眠っている。
それにしてもテレビ番組の貧困さは、さすがに呆れ返ってしまう。ほとんど洋画の録画かNHK教育テレビの料理番組、そして福祉系番組、釣り番組しか見ない。
 横浜の画家・すずきさんがFBに「新聞は読まない・テレビは見ない」宣言に、さすがに同感し始めている。

 早く寝ると、いいこともある。それは夜中の暴飲暴食をしないことであり、酒を飲み過ぎないことだ。血圧もなんだか安定している。

 さて、先日のひな祭り茶会においでになったFさんが「岩木山一周サイクリングレース」が企画されているらしいという情報をくれた。結構ハードではあるが、岩木山ヒルクライムよりはやれそうな気がする。今年の目標は、岩木山登山もある。早く運動を開始したい。

 

桃の節句

2014-03-03 22:02:27 | 私と福祉とであいの旅
3月3日(月)

 きょうは五節句の一つの、桃の節句。そしてあうんの「ひな祭り茶会」でした。
 写真は下川原焼の型で作られた20年前のお雛様セットです。70歳代のボランティアさんが、プレゼントしてくれました。ひな壇は職業訓練校の先生が作ってくれたのだそうです。素朴なこの雛人形は、なんとなく毎年光が増しているように感じられます。

 この日ボランティアさんや保護者の方、法人の理事、日頃から交流のある市民の方などがおいでになりました。

 ひな祭りの起源を聞けば、唐の時代に3人の娘をたてつづけになくした親が邪気払いのために雛人形を作って川に流したとか・・・。3月は季節の替り目でもあり、邪気を身に引き込みやすいのだそうで、身代わりとして雛人形を川に流したのが始まりということでした。初めは女性の節句の習わしではなかったのだそうですが、端午の節句(5月5日)ができて、次第女性の節句として定着したようです。

 私の実家でも5月5日の節句には、ひな壇に男の節句らしい人形が並べられていたのを思い出しています。男らしい人形とは、金太郎や坂田金時、虎退治をしたと言われる加藤清正人形などです。蔵から毎年出し入れするのですが、ネズミに食いちぎられた人形などもありましたから、ネズミが本当は一番強いのかもしれませんね。

 ちなみに我が家の雛人形です。

 ひな祭りまた一歩ずつ雪ゆるむ

弥生

2014-03-01 07:30:36 | つれづれなるままに
3月1日(土)一応晴れ

 昨日「ぞうさん」や「ふしぎなポケット」で知られる「まどみちおさん」が亡くなられました。ご冥福をお祈りいたします。それも2月の最後の日に・・・。

 104歳までの現役ってすごいなあ!

 まど

 まどは
 ぼくと
 きみの世界の
 扉についた
 ちいさな景色
 見たことのない
 不思議な世界に
 いっぽ
 踏み出せば
 きみを
 感じられる
 においや
 色や
 あたたかさや
 やわらかさや
 そして
 よろこびや
 かなしみも
 まどは
 好奇心を
 ぼくにくれる
 ふしぎな
 かがみ
 
 
 

 
 

弘前城公園タスキリレー受付開始

2014-02-28 06:58:16 | チームオール弘前
2月28日(金)☂

 この数日間の好天と、そして今日の雨風が着実に雪を溶かし、春を誘っている。
 今朝の東奥日報の朝刊に、NPOのスポレク弘前代表・鹿内さんが、「第2回 弘前城公園タスキリレー」の受付を今日から開始という記事が掲載されていた。

 昨年私はチームオール弘前のメンバーとして、一念発起して走ることになった。
 日々に蓄積した身体の贅沢なお肉が、私の走りの第一の障がいだった。家内と二人で2ヶ月弘前城公園でジョギングをしたおかげで5キロ減量した。以来80キロ台だった体重は現在も辛うじて70キロ台に定着している。しかし今年こそ、60キロ台に落として、健康づくりを意識した生活をと考えている。

 職場でも給食担当者が気遣って、注文しなくてもご飯の量は軽くなっている。そして天候の良い日にはカメラをぶら下げて、散歩を30分から1時間行っている。この調子なら何とか行けそうかも・・・・と希望を持っている。

 それに昨年は、親しくさせてもらっているFさんとの岩木山登山の計画が台風で頓挫し、そのままになっている。今年こそと思って、それを意識した動きも加えている。Fさんは日々ジョギング三昧で、昨年は自転車での岩木山ヒルクライムを達成するなど、すごい人だなと敬服している。そこまでは考えられないが、昨年走った弘前鰺ヶ沢70kmサイクリングロードは、今年もぜひ挑戦したいものだ。オンボロ自転車でもそれは可能かもしれない・・・。

 雪解けを今か今かと待つ我は銀輪磨く手に力込め

 

 

 

おめでとう!「東北農民管弦楽団結成記念公演」大成功!!

2014-02-27 07:05:26 | 私と福祉とであいの旅
 2月23日(日)
 
 昨年の2月に花巻市での「宮沢賢治没後80周年記念」北海道農民管弦楽団公演を視聴し、今年は更に地元旧岩木町岩木文化センターあそベールにて「東北農民管弦楽団結成記念公演」を試聴することが出来ました。
 代表は私のお付き合いさせて頂いている「岩木山麓しらとり農場」のオーナー白取克之さん。宮沢賢治を介して私達の共通点があり、それが今回こういう形で結実されたことを深く敬意と感謝をしています。感激です!素晴らしい!!ブラボーです!!

 宮沢賢治の「農民芸術概論」「おれたちはみな農民である/ずいぶん忙しく仕事持つらい/芸術をもてあの灰色の労働を燃やせ」ではじまるこの著は、宮沢賢治と音楽、ことにベートーベンの交響曲第6番「田園」は宮沢賢治の意識して詩を書いた「小岩井農場」に対応した楽曲だという。「田園」の演奏時間とぴったり小岩井農場の詩の長さが、合致すると昨年の花巻の演奏会で聞いたように思います。

 小岩井農場

   パート一[#ゴシック体]
わたくしはずゐぶんすばやく汽車からおりた
そのために雲がぎらつとひかつたくらゐだ
けれどももつとはやいひとはある
化学の並川さんによく肖(に)たひとだ
あのオリーブのせびろなどは
そつくりおとなしい農学士だ
さつき盛岡のていしやばでも
たしかにわたくしはさうおもつてゐた
このひとが砂糖水のなかの
つめたくあかるい待合室から
ひとあしでるとき……わたくしもでる
馬車がいちだいたつてゐる
馭者(ぎよしや)がひとことなにかいふ
黒塗りのすてきな馬車だ
光沢消(つやけ)しだ
馬も上等のハツクニー
このひとはかすかにうなづき
それからじぶんといふ小さな荷物を
載つけるといふ気軽(きがる)なふうで
馬車にのぼつてこしかける
 (わづかの光の交錯(かうさく)だ)
その陽(ひ)のあたつたせなかが
すこし屈んでしんとしてゐる
わたくしはあるいて馬と並ぶ
これはあるいは客馬車だ
どうも農場のらしくない
わたくしにも乗れといへばいい
馭者がよこから呼べばいい
乗らなくたつていゝのだが
これから五里もあるくのだし
くらかけ山の下あたりで
ゆつくり時間もほしいのだ
あすこなら空気もひどく明瞭で
樹でも艸でもみんな幻燈だ
もちろんおきなぐさも咲いてゐるし
野はらは黒ぶだう酒(しゆ)のコツプもならべて
わたくしを款待するだらう
そこでゆつくりとどまるために
本部まででも乗つた方がいい
今日ならわたくしだつて
馬車に乗れないわけではない
 (あいまいな思惟の蛍光(けいくわう)
  きつといつでもかうなのだ)
もう馬車がうごいてゐる
 (これがじつにいゝことだ
  どうしようか考へてゐるひまに
  それが過ぎて滅(な)くなるといふこと)
ひらつとわたくしを通り越す
みちはまつ黒の腐植土で
雨(あま)あがりだし弾力もある
馬はピンと耳を立て
その端(はじ)は向ふの青い光に尖り
いかにもきさくに馳けて行く
うしろからはもうたれも来ないのか
つつましく肩をすぼめた停車場(ば)と
新開地風の飲食店(いんしよくてん)
ガラス障子はありふれてでこぼこ
わらぢや sun-maid のから函や
夏みかんのあかるいにほひ
汽車からおりたひとたちは
さつきたくさんあつたのだが
みんな丘かげの茶褐や
繋(つなぎ)あたりへ往くらしい
西にまがつて見えなくなつた
いまわたくしは歩測のときのやう
しんかい地ふうのたてものは
みんなうしろに片附(づ)けた
そしてこここそ畑になつてゐる
黒馬が二ひき汗でぬれ
犁(プラウ)をひいて往つたりきたりする
ひはいろのやはらかな山のこつちがはだ
山ではふしぎに風がふいてゐる
嫩葉(わかば)がさまざまにひるがへる
ずうつと遠くのくらいところでは
鶯もごろごろ啼いてゐる
その透明な群青のうぐひすが
 (ほんたうの鶯の方はドイツ読本の
  ハンスがうぐひすでないよと云つた)
馬車はずんずん遠くなる
大きくゆれるしはねあがる
紳士もかろくはねあがる
このひとはもうよほど世間をわたり
いまは青ぐろいふちのやうなとこへ
すましてこしかけてゐるひとなのだ
そしてずんずん遠くなる
はたけの馬は二ひき

ひとはふたりで赤い
雲に濾(こ)された日光のために
いよいよあかく灼(や)けてゐる
冬にきたときとはまるでべつだ
みんなすつかり変つてゐる
変つたとはいへそれは雪が往き
雲が展(ひら)けてつちが呼吸し
幹や芽のなかに燐光や樹液(じゆえき)がながれ
あをじろい春になつただけだ
それよりもこんなせはしい心象の明滅をつらね
すみやかなすみやかな万法流転(ばんぼふるてん)のなかに
小岩井のきれいな野はらや牧場の標本が
いかにも確かに継起(けいき)するといふことが
どんなに新鮮な奇蹟だらう
ほんたうにこのみちをこの前行くときは
空気がひどく稠密で
つめたくそしてあかる過ぎた
今日は七つ森はいちめんの枯草(かれくさ)
松木がをかしな緑褐に
丘のうしろとふもとに生えて
大へん陰欝にふるびて見える

パート二[#ゴシック体]
たむぼりんも遠くのそらで鳴つてるし
雨はけふはだいぢやうぶふらない
しかし馬車もはやいと云つたところで
そんなにすてきなわけではない
いままでたつてやつとあすこまで
ここからあすこまでのこのまつすぐな
火山灰のみちの分だけ行つたのだ
あすこはちやうどまがり目で
すがれの草穂(ぼ)もゆれてゐる
 (山は青い雲でいつぱい 光つてゐるし
  かけて行く馬車はくろくてりつぱだ)
ひばり ひばり
銀の微塵(みぢん)のちらばるそらへ
たつたいまのぼつたひばりなのだ
くろくてすばやくきんいろだ
そらでやる Brownian movement
おまけにあいつの翅(はね)ときたら
甲虫のやうに四まいある
飴いろのやつと硬い漆ぬりの方と
たしかに二重(ふたへ)にもつてゐる
よほど上手に鳴いてゐる
そらのひかりを呑みこんでゐる
光波のために溺れてゐる
もちろんずつと遠くでは
もつとたくさんないてゐる
そいつのはうははいけいだ
向ふからはこつちのやつがひどく勇敢に見える
うしろから五月のいまごろ
黒いながいオーヴアを着た
医者らしいものがやつてくる
たびたびこつちをみてゐるやうだ
それは一本みちを行くときに
ごくありふれたことなのだ
冬にもやつぱりこんなあんばいに
くろいイムバネスがやつてきて
本部へはこれでいいんですかと
遠くからことばの浮標(ブイ)をなげつけた
でこぼこのゆきみちを
辛うじて咀嚼(そしやく)するといふ風にあるきながら
本部へはこれでいゝんですかと
心細(こころぼそ)さうにきいたのだ
おれはぶつきら棒にああと言つただけなので
ちやうどそれだけ大(たい)へんかあいさうな気がした
けふのはもつと遠くからくる

パート三[#ゴシック体]
もう入口だ〔小岩井農場〕
 (いつものとほりだ)
混(こ)んだ野ばらやあけびのやぶ
〔もの売りきのことりお断り申し候〕
 (いつものとほりだ ぢき医院もある)
〔禁猟区〕 ふん いつものとほりだ
小さな沢と青い木(こ)だち
沢では水が暗くそして鈍(にぶ)つてゐる
また鉄ゼルの fluorescence
向ふの畑(はたけ)には白樺もある
白樺は好摩(かうま)からむかふですと
いつかおれは羽田県属に言つてゐた
ここはよつぽど高いから
柳沢つづきの一帯だ
やつぱり好摩にあたるのだ
どうしたのだこの鳥の声は
なんといふたくさんの鳥だ
鳥の小学校にきたやうだ
雨のやうだし湧いてるやうだ
居る居る鳥がいつぱいにゐる
なんといふ数だ 鳴く鳴く鳴く
Rondo Capriccioso
ぎゆつくぎゆつくぎゆつくぎゆつく
あの木のしんにも一ぴきゐる
禁猟区のためだ 飛びあがる
  (禁猟区のためでない ぎゆつくぎゆつく)
一ぴきでない ひとむれだ
十疋以上だ 弧をつくる
(ぎゆつく ぎゆつく)
三またの槍の穂 弧をつくる
青びかり青びかり赤楊(はん)の木立
のぼせるくらゐだこの鳥の声
  (その音がぼつとひくくなる
   うしろになつてしまつたのだ
   あるいはちゆういのりずむのため
   両方ともだ とりのこゑ)
木立がいつか並樹になつた
この設計は飾絵(かざりゑ)式だ
けれども偶然だからしかたない
荷馬車がたしか三台とまつてゐる
生(なま)な松の丸太がいつぱいにつまれ
陽(ひ)がいつかこつそりおりてきて
あたらしいテレピン油の蒸気圧(じようきあつ)
一台だけがあるいてゐる
けれどもこれは樹や枝のかげでなくて
しめつた黒い腐植質と
石竹(せきちく)いろの花のかけら
さくらの並樹になつたのだ
こんなしづかなめまぐるしさ

この荷馬車にはひとがついてゐない
馬は払ひ下げの立派なハツクニー
脚のゆれるのは年老つたため
 (おい ヘングスト しつかりしろよ
  三日月みたいな眼つきをして
  おまけになみだがいつぱいで
  陰気にあたまを下げてゐられると
  おれはまつたくたまらないのだ
  威勢よく桃いろの舌をかみふつと鼻を鳴らせ)
ぜんたい馬の眼のなかには複雑なレンズがあつて
けしきやみんなへんにうるんでいびつにみえる…

……馬車挽きはみんなといつしよに
向ふのどてのかれ草に
腰をおろしてやすんでゐる
三人赤くわらつてこつちをみ
また一人は大股にどてのなかをあるき
なにか忘れものでももつてくるといふ風(ふう)……(蜂函の白ペンキ)
桜の木には天狗巣病(てんぐすびやう)がたくさんある
天狗巣ははやくも青い葉をだし
馬車のラツパがきこえてくれば
ここが一ぺんにスヰツツルになる
遠くでは鷹がそらを截つてゐるし
からまつの芽はネクタイピンにほしいくらゐだし
いま向ふの並樹をくらつと青く走つて行つたのは
(騎手はわらひ)赤銅(しやくどう)の人馬(じんば)の徽章だ

パート四[#ゴシック体]
本部の気取(きど)つた建物が
桜やポプラのこつちに立ち
そのさびしい観測台のうへに
ロビンソン風力計の小さな椀や
ぐらぐらゆれる風信器を
わたくしはもう見出さない
 さつきの光沢消(つやけ)しの立派な馬車は
 いまごろどこかで忘れたやうにとまつてようし
 五月の黒いオーヴアコートも
 どの建物かにまがつて行つた
冬にはこゝの凍つた池で
こどもらがひどくわらつた
 (から松はとびいろのすてきな脚です
  向ふにひかるのは雲でせうか粉雪でせうか
  それとも野はらの雪に日が照つてゐるのでせうか
  氷滑りをやりながらなにがそんなにをかしいのです
  おまへさんたちの頬つぺたはまつ赤ですよ)
葱いろの春の水に
楊の花芽(ベムベロ)ももうぼやける……
はたけは茶いろに掘りおこされ
廐肥も四角につみあげてある
並樹ざくらの天狗巣には
いぢらしい小さな緑の旗を出すのもあり
遠くの縮れた雲にかかるのでは
みづみづした鶯いろの弱いのもある……
あんまりひばりが啼きすぎる
  (育馬部と本部とのあひだでさへ
   ひばりやなんか一ダースできかない)
みじかい素朴な電話ばしらが
右にまがり左へ傾きひどく乱れて
まがりかどには一本の青木
 (白樺だらう 楊ではない)
耕耘部へはここから行くのがちかい
ふゆのあひだだつて雪がかたまり
馬橇(ばそり)も通つていつたほどだ
 (ゆきがかたくはなかつたやうだ
  なぜならそりはゆきをあげた
  たしかに酵母のちんでんを
  冴えた気流に吹きあげた)
あのときはきらきらする雪の移動のなかを
ひとはあぶなつかしいセレナーデを口笛に吹き
往つたりきたりなんべんしたかわからない
   (四列の茶いろな落葉松(らくえふしよう))
けれどもあの調子はづれのセレナーデが
風やときどきぱつとたつ雪と
どんなによくつりあつてゐたことか
それは雪の日のアイスクリームとおなじ
 (もつともそれなら暖炉(だんろ)もまつ赤(か)だらうし
  muscovite も少しそつぽに灼(や)けるだらうし
  おれたちには見られないぜい沢(たく)だ)
春のヴアンダイクブラウン
きれいにはたけは耕耘された
雲はけふも白金(はくきん)と白金黒(はくきんこく)
そのまばゆい明暗(めいあん)のなかで
ひばりはしきりに啼いてゐる
  (雲の讃歌(さんか)と日の軋(きし)り)
それから眼をまたあげるなら
灰いろなもの走るもの蛇に似たもの 雉子だ
亜鉛鍍金(あえんめつき)の雉子なのだ
あんまり長い尾をひいてうららかに過ぎれば
もう一疋が飛びおりる
山鳥ではない
 (山鳥ですか? 山で? 夏に?)
あるくのははやい 流れてゐる
オレンヂいろの日光のなかを
雉子はするするながれてゐる
啼いてゐる
それが雉子の声だ
いま見はらかす耕地のはづれ
向ふの青草の高みに四五本乱れて
なんといふ気まぐれなさくらだらう
みんなさくらの幽霊だ
内面はしだれやなぎで
鴾(とき)いろの花をつけてゐる
  (空でひとむらの海綿白金(プラチナムスポンヂ)がちぎれる)
それらかゞやく氷片の懸吊(けんてう)をふみ
青らむ天のうつろのなかへ
かたなのやうにつきすすみ
すべて水いろの哀愁を焚(た)き
さびしい反照(はんせう)の偏光(へんくわう)を截れ
いま日を横ぎる黒雲は
侏羅(じゆら)や白堊のまつくらな森林のなか
爬虫(はちゆう)がけはしく歯を鳴らして飛ぶ
その氾濫の水けむりからのぼつたのだ
たれも見てゐないその地質時代の林の底を
水は濁つてどんどんながれた
いまこそおれはさびしくない
たつたひとりで生きて行く
こんなきままなたましひと
たれがいつしよに行けようか
大びらにまつすぐに進んで
それでいけないといふのなら
田舎ふうのダブルカラなど引き裂いてしまへ

それからさきがあんまり青黒くなつてきたら……
そんなさきまでかんがへないでいい
ちからいつぱい口笛を吹け
口笛をふけ 陽(ひ)の錯綜(さくそう)
たよりもない光波のふるひ
すきとほるものが一列わたくしのあとからくる
ひかり かすれ またうたふやうに小さな胸を張り
またほのぼのとかゞやいてわらふ
みんなすあしのこどもらだ
ちらちら瓔珞(やうらく)もゆれてゐるし
めいめい遠くのうたのひとくさりづつ
緑金寂静(ろくきんじやくじやう)のほのほをたもち
これらはあるいは天の鼓手(こしゆ) 緊那羅(きんなら)のこどもら
 (五本の透明なさくらの木は
  青々とかげろふをあげる)
わたくしは白い雑嚢をぶらぶらさげて
きままな林務官のやうに
五月のきんいろの外光のなかで
口笛をふき歩調をふんでわるいだらうか
たのしい太陽系の春だ
みんなはしつたりうたつたり
はねあがつたりするがいい
  (コロナは八十三万二百……)
あの四月の実習のはじめの日
液肥をはこぶいちにちいつぱい
光炎菩薩太陽マヂツクの歌が鳴つた
  (コロナは八十三万四百……)
ああ陽光のマヂツクよ
ひとつのせきをこえるとき
ひとりがかつぎ棒をわたせば
それは太陽のマヂツクにより
磁石のやうにもひとりの手に吸ひついた
  (コロナは七十七万五千……)
どのこどもかが笛を吹いてゐる
それはわたくしにきこえない
けれどもたしかにふいてゐる
  (ぜんたい笛といふものは
   きまぐれなひよろひよろの酋長だ)

みちがぐんぐんうしろから湧き
過ぎて来た方へたたんで行く
むら気な四本の桜も
記憶のやうにとほざかる
たのしい地球の気圏の春だ
みんなうたつたりはしつたり
はねあがつたりするがいい

   パート五[#ゴシック体]
   パート六[#ゴシック体]
   パート七[#ゴシック体]
とびいろのはたけがゆるやかに傾斜して
すきとほる雨のつぶに洗はれてゐる
そのふもとに白い笠の農夫が立ち
つくづくとそらのくもを見あげ
こんどはゆつくりあるきだす
 (まるで行きつかれたたび人だ)
汽車の時間をたづねてみよう

こゝはぐちやぐちやした青い湿地で
もうせんごけも生えてゐる
 (そのうすあかい毛もちゞれてゐるし
  どこかのがまの生えた沼地を
  ネー将軍麾(き)下の騎兵の馬が
  泥に一尺ぐらゐ踏みこんで
  すぱすぱ渉つて進軍もした)
雲は白いし農夫はわたしをまつてゐる
またあるきだす(縮れてぎらぎらの雲)
トツパースの雨の高みから
けらを着た女の子がふたりくる
シベリヤ風に赤いきれをかぶり
まつすぐにいそいでやつてくる
(Miss Robin)働きにきてゐるのだ
農夫は富士見の飛脚のやうに
笠をかしげて立つて待ち
白い手甲さへはめてゐる もう二十米だから
しばらくあるきださないでくれ
じぶんだけせつかく待つてゐても
用がなくてはこまるとおもつて
あんなにぐらぐらゆれるのだ
 (青い草穂は去年のだ)
あんなにぐらぐらゆれるのだ
さはやかだし顔も見えるから
ここからはなしかけていゝ
シヤツポをとれ(黒い羅紗もぬれ)
このひとはもう五十ぐらゐだ
 (ちよつとお訊(ぎ)ぎ申しあんす
  盛岡行ぎ汽車なん時だべす)
 (三時だたべが)
ずゐぶん悲しい顔のひとだ
博物館の能面にも出てゐるし
どこかに鷹のきもちもある
うしろのつめたく白い空では
ほんたうの鷹がぶうぶう風を截る
雨をおとすその雲母摺(きらず)りの雲の下
はたけに置かれた二台のくるま
このひとはもう行かうとする
白い種子は燕麦(オート)なのだ
  (燕麦播(オートま)ぎすか)
  (あんいま向(もご)でやつてら)
この爺(ぢい)さんはなにか向ふを畏れてゐる
ひじやうに恐ろしくひどいことが
そつちにあるとおもつてゐる
そこには馬のつかない廐肥車(こやしぐるま)と
けはしく翔ける鼠いろの雲ばかり
こはがつてゐるのは
やつぱりあの蒼鉛(さうえん)の労働なのか
  (こやし入れだのすか
   堆肥(たいひ)ど過燐酸(くわりんさん)どすか)
  (あんさうす)
  (ずゐぶん気持のいゝ処(どご)だもな)
  (ふう)
この人はわたくしとはなすのを
なにか大へんはばかつてゐる
それはふたつのくるまのよこ
はたけのをはりの天末線(スカイライン)
ぐらぐらの空のこつち側を
すこし猫背(ねこぜ)でせいの高い
くろい外套の男が
雨雲に銃を構へて立つてゐる
あの男がどこか気がへんで
急に鉄砲をこつちへ向けるのか
あるいは Miss Robin たちのことか
それとも両方いつしよなのか
どつちも心配しないでくれ
わたしはどつちもこはくない
やつてるやつてるそらで鳥が
 (あの鳥何て云ふす 此処らで)
 (ぶどしぎ)
 (ぶどしぎて云ふのか)
 (あん 曇るづどよぐ出はら)
から松の芽の緑玉髄(クリソプレース)
かけて行く雲のこつちの射手(しやしゆ)は
またもつたいらしく銃を構へる
 (三時の次あ何時だべす)
 (五時だべが ゆぐ知らない)
過燐酸石灰のヅツク袋
水溶(すゐよう)十九と書いてある
学校のは十五%だ
雨はふるしわたくしの黄いろな仕事着もぬれる
遠くのそらではそのぼとしぎどもが
大きく口をあいてビール瓶のやうに鳴り
灰いろの咽喉の粘膜に風をあて
めざましく雨を飛んでゐる
少しばかり青いつめくさの交つた
かれくさと雨の雫との上に
菩薩樹(まだ)皮の厚いけらをかぶつて
さつきの娘たちがねむつてゐる
爺(ぢい)さんはもう向ふへ行き
射手は肩を怒らして銃を構へる
  (ぼとしぎのつめたい発動機は……)
ぼとしぎはぶうぶう鳴り
いつたいなにを射たうといふのだ
爺さんの行つた方から
わかい農夫がやつてくる
かほが赤くて新鮮にふとり

セシルローズ型の円い肩をかゞめ
燐酸のあき袋をあつめてくる
二つはちやんと肩に着てゐる
  (降つてげだごとなさ)
  (なあにすぐ霽れらんす)
火をたいてゐる
赤い焔もちらちらみえる
農夫も戻るしわたくしもついて行かう
これらのからまつの小さな芽をあつめ
わたくしの童話をかざりたい
ひとりのむすめがきれいにわらつて起きあがる
みんなはあかるい雨の中ですうすうねむる
  (うな いいをなごだもな)
にはかにそんなに大声にどなり
まつ赤になつて石臼のやうに笑ふのは
このひとは案外にわかいのだ
すきとほつて火が燃えてゐる
青い炭素のけむりも立つ
わたくしもすこしあたりたい
  (おらも中(あだ)つでもいがべが)
  (いてす さあおあだりやんせ)
  (汽車三時すか)
  (三時四十分
   まだ一時にもならないも)
火は雨でかへつて燃える
自由射手(フライシユツツ)は銀のそら
ぼとしぎどもは鳴らす鳴らす
すつかりぬれた 寒い がたがたする
パート九[#ゴシック体]
すきとほつてゆれてゐるのは
さつきの剽悍(へうかん)な四本のさくら
わたくしはそれを知つてゐるけれども
眼にははつきり見てゐない
たしかにわたくしの感官の外(そと)で
つめたい雨がそそいでゐる
 (天の微光にさだめなく
  うかべる石をわがふめば
  おゝユリア しづくはいとど降りまさり
  カシオペーアはめぐり行く)
ユリアがわたくしの左を行く
大きな紺いろの瞳をりんと張つて
ユリアがわたくしの左を行く
ペムペルがわたくしの右にゐる
……………はさつき横へ外(そ)れた
あのから松の列のとこから横へ外れた
  幻想が向ふから迫つてくるときは
   もうにんげんの壊れるときだ
わたくしははつきり眼をあいてあるいてゐるのだ
ユリア ペムペル わたくしの遠いともだちよ
わたくしはずゐぶんしばらくぶりで
きみたちの巨きなまつ白なすあしを見た
どんなにわたくしはきみたちの昔の足あとを
白堊系の頁岩の古い海岸にもとめただらう
  あんまりひどい幻想だ
わたくしはなにをびくびくしてゐるのだ
どうしてもどうしてもさびしくてたまらないときは
ひとはみんなきつと斯ういふことになる
きみたちとけふあふことができたので
わたくしはこの巨きな旅のなかの一つづりから
血みどろになつて遁げなくてもいいのです
 (ひばりが居るやうな居ないやうな
  腐植質から麦が生え
  雨はしきりに降つてゐる)
さうです 農場のこのへんは
まつたく不思議におもはれます
どうしてかわたくしはここらを
der heilige Punkt と
呼びたいやうな気がします
この冬だつて耕耘部まで用事で来て
こゝいらの匂のいゝふぶきのなかで
なにとはなしに聖いこころもちがして
凍えさうになりながらいつまでもいつまでも
いつたり来たりしてゐました
さつきもさうです
どこの子どもらですかあの瓔珞をつけた子は
  そんなことでだまされてはいけない
   ちがつた空間にはいろいろちがつたものがゐる
   それにだいいちさつきからの考へやうが
   まるで銅版のやうなのに気がつかないか
雨のなかでひばりが鳴いてゐるのです
あなたがたは赤い瑪瑙の棘でいつぱいな野はらも
その貝殻のやうに白くひかり
底の平らな巨きなすあしにふむのでせう
   もう決定した そつちへ行くな
   これらはみんなただしくない
   いま疲れてかたちを更へたおまへの信仰から
   発散して酸えたひかりの澱だ
  ちひさな自分を劃ることのできない
 この不可思議な大きな心象宙宇のなかで
もしも正しいねがひに燃えて
じぶんとひとと万象といつしよに
至上福祉にいたらうとする
それをある宗教情操とするならば
そのねがひから砕けまたは疲れ
じぶんとそれからたつたもひとつのたましひと
完全そして永久にどこまでもいつしよに行かうとする
この変態を恋愛といふ
そしてどこまでもその方向では
決して求め得られないその恋愛の本質的な部分を
むりにもごまかし求め得ようとする
この傾向を性慾といふ
すべてこれら漸移のなかのさまざまな過程に従つて
さまざまな眼に見えまた見えない生物の種類がある
この命題は可逆的にもまた正しく
わたくしにはあんまり恐ろしいことだ
けれどもいくら恐ろしいといつても
それがほんたうならしかたない
さあはつきり眼をあいてたれにも見え
明確に物理学の法則にしたがふ
これら実在の現象のなかから
あたらしくまつすぐに起て
明るい雨がこんなにたのしくそそぐのに
馬車が行く 馬はぬれて黒い
ひとはくるまに立つて行く
もうけつしてさびしくはない
なんべんさびしくないと云つたとこで
またさびしくなるのはきまつてゐる
けれどもここはこれでいいのだ
すべてさびしさと悲傷とを焚いて
ひとは透明な軌道をすすむ
ラリツクス ラリツクス いよいよ青く
雲はますます縮れてひかり
わたくしはかつきりみちをまがる

(一九二二、五、二一)

 

通える心

2014-02-26 06:55:01 | 創作(etude)

 ・春陽浴び蘭の蕾はふくらめり待つ人あれば花も応(こた)えり 2/26

 (極寒の冬も峠を越して来た。時折差し込む陽光に蘭の花が蕾をふくらませ、ようやく二輪が開花している。この蘭は誰からも見捨てられたように埃をかぶり、今にも枯れそうな花だった。もう一度咲いてほしいと、自室に持ち込んで毎日水やりをして窓辺に置いて声掛けをする。そうしてその期待にこたえるかのように、蘭の花は開花し三輪目の蕾が膨らみ始めている。人も植物も、共通の生き様のようにみえることだ。)

 ・開花せる可憐な花の待てる部屋職場に通う吾を引き寄せ 2/28