音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

交響曲第1番ハ短調 (ヨハネス・ブラームス)

2009-06-14 | クラシック (交響曲)


私がクラシック音楽家の中で最も好きなアーティストはヨハネス・ブラームスである。そして、その本格的な出会いとなったのが、この交響曲第1番である。実は、この楽曲のエピソードや、ブラームスという音楽家が当時の音楽界でどういう位置付けにあったかどうかという専門なことに関しては、最初は全くしらなかった。ただ、この曲を選んだのは、唯一、「ベートーヴェンの交響曲第10番」という言い方をされているからであった。ただ、最初この曲を聴いたとき、どこが、ベートーヴェンの10番なのか私には全く理解ではなかった。ハ短調は、かの「交響曲第5番<運命>」と同じ調であるが、ベートーヴェンの同曲の第1楽章はこんなに格好良くない。そう、私は、多分、最初はブラームスのメロディアスな部分より、「格好良さ」に惹かれたのだと思う。

ブラームスは勿論、年代で「ロマン主義」時代の音楽家であるが、まず、この交響曲に至っては、ベートーヴェン以降に交響曲を作ったロマン主義の音楽家のどの作品とも違うし、顕かにずっと素晴らしい物に仕上がっているといえる。特に、前出した第10番といわれるように古典派的な旋律が随所に残っているし、ブラームス自身もかなり悩んで書いた結果、構想から完成まで21年の歳月がかかっているが、しかし、その歳月を掛けただけあって、この1曲で「新古典主義」を確立した。

確かにベートーヴェン以降の交響曲を聴くと、例えばメンデルスゾーンは何処かモーツァルトの旋律に似ていて、交響曲にしては軽い印象がある。シューマンも4曲の交響曲を書いているがどれも余りピンこない。ベルリオーズは当時としてはまだ少し早咲きの前衛主義的な標題音楽であった。しかし、このブラームスの曲は古典主義の様式を残しながら新しい手法を取り入れている。特筆すべきは2点で、交響曲の定石通り4つの楽章で構成されているものの、ひとつは、舞曲(メヌエットまたはスケルツォ)に相当する楽章を欠いていること。もう一点は、楽章の調の構成が、5度の関係を基本とした古典的なものではなく、3度関係の調(ハ短調-ホ長調-変イ長調-ハ長調)となっている。

私が好きなのは、まず冒頭の低音楽器によるC音の強く勢いの良い連打である。序奏つきソナタという形式だか、ティンパニの強打に支えられた、高音域のヴァイオリンによる半音階的な旋律など、そのような特徴を見て取れるところなどに、新古典主義といわれる所以がある。また、第4楽章は第1楽章と並び有名メロディで、ここではベートーヴェンの9番のように歌曲こそ入っていないが、第1主題は歌曲を連想させる。何もここまでやってくれる必要は無いと思うほどに、ここで「合唱」を思い出すのであるが、歌曲は入れていないところが、ブラームスらしさという点であろう。兎に角、交響曲の新時代を切り開いた曲であるが(しかし、当然ことながら、音楽性の高さは交響曲2番、3番、4番と連なって行くにつれ、音楽手法や曲の構成は益々向上していくのだが)、色々な意味でブラームスが居なかったらチャイコもマーラーも誕生しなかったことを証明してくれた楽曲である。ブラームスに関しては交響曲のみならず、全ての音楽鑑賞と着眼点の中に、上記の発想をもって聴き、また書いているので、その辺りは今後も事あるごとに指摘していきたいと思う。


こちらから試聴できます。


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