音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

アイランズ (キング・クリムゾン/1971年)

2010-08-31 | ロック (プログレッシヴ)


キング・クリムゾン第1期のラストを飾るアルバムである。「飾る」と敢えて言ったのは、この作品は一般的に評価も人気も高くないが、私の持論である「宮殿塾」の最後、閉鎖に伴い、その集大成として価値のある作品だと個人的に評価しているからである。

まずアルバムに関して述べると、作品の全体はピート・シンフィールドがホメロスの叙事詩「オデッセイア」からその世界観のヒントを得ている。ピート・シンフィールドは「クリムゾン美学」の牽引者だと私はクリムゾンのアルバムのレビューで書いて来たが、たまに演奏に参加はするものの殆どが作詞とプロデュースの担当でメンバーの中心的存在に居たということだけみても、ブログレッシブロックの特徴であり(フロイドのシドもそれに近い)、要は演奏家だけの世界ではなく、様々な芸術的因子が寄り添ったのがこの音楽の特徴ということも言える。いわばピートはクリムゾン宮殿の塾頭であった。なので、これだけメンバーが変わっても、コンセプトが大きく変わらなかった。特に最初の2曲「フォーメンテラ・レディ」と「船乗りの話」のコンセプトはファーストアルバムからずっと継承されてきたものと変わらない。最後の曲「アイランズ」も圧巻であり、何か、クリムゾン塾の有終の美を飾っているようでもある。

しかし一方でメンバーが変わりつつも音楽が変わらないというのは、演奏家に取ってはどうだろうという考えもある。ロバート・フィリップである。オリジナルメンバーは、ピートを除いてすべて辞めてしまった。グレッグ・レイク、イアン・マクドナルド、マイケル・ジャイルズは、別の言い方をすれば自分の理想とする音楽ほ求めていったという言い方ができるが、果たしてロバートはどうだったのか。その回答がこのアルバムを収録後にピートを一方的に解雇。そして、第2期(後期)キング・クリムゾンのメンバー構成とアルバムに見事に反映していると言えよう。ロバートがめざしたプログレッシプは、この時代にはまだまた他のバンドにはとても追随でいるものではない、ジャズとロックの融合なのであった。例えば、当時、ゴングとかソフト・マシーンというバンドもあったが、彼らはプログレッシブに括られているものの、ロック音楽を基軸としてジャズを眺望したサウンドであり、そこに特に新しいものはなかった。なぜならジャズで用いる楽器構成でロックを奏でていたりという部分では、音楽そのものではなく、その表現方法としての楽器に重きを置いたサウンド構成だったからである。しかし、後期クリムゾンはそういう音楽のカタチを重視したのでなく、一度全部取っ払ったところから始めたのであり、結果的にそれきロックとジャズの「融合」だったのてある。このことに関して、また、今後のクリムゾンのレビューで書いていきたいと思う。

このアルバムでもうひとつ特筆すべきは、ボズ・バレルがヴォーカルとベースで参加している。ボズは当時、ロジャー・ダルトリーの代わりにザ・フーに採用されそうになった程のアーティストであったが、その話が流れクリムゾンのオーディションを受けた(ヴォーカル)際に、ベースを弾いて遊んでいたのをロバートに突如特訓を受け、晴れて正式メンバーになりこのアルバムに参加した。結局、後期クリムゾンには呼ばれなかったが、その後バッド・カンパニーで一挙にスターダムにのし上がったが、それは「ベーシスト」としてであった。この作品と、次のライヴでも歌っているが、やはり後期のジョン・ウェットンの声質を聴くと、ロバートの求めていたものが明確にボズでは無かったことが分かるのである。


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