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音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

究極 (イエス/1977年)

2012-03-14 | ロック (プログレッシヴ)



正直なところイエスの作品でなにが一番良いかと聞かれると可也返答に困る。それは、モーツァルトビートルズのそれとは違って、誰でもが知っているという物凄くポピュラーなアーティストでもなく、また、私にとっては結構特別なアーティストでもあるから。ある意味では、ブラームスとかマーラーのそれと似ている。なにがお薦めかと聞かれたら、その相手の音楽の好みを聴いてみる。Kポップのファンだったら、「イエスを貴方はいいと思わないから聴かない方が良い」というし、しかし、そんなことを言っていると中々イエスを薦めるべく相手というのはそんなに容易く見つからないような気がする。初期のイエス、それから「90125」などはサイケや、ギンギンのロック・ファンにはお薦めなのであるが、尤も、後者は多くのイエス・ファンには程遠い人にも認知が高いからなんともいえないが。そういう自分が、実は、ブラッフォードが抜けた後のイエスというのは余り興味はないのは事実であった。そしてもう一つ、これも大事なことなのであるが、では、イエスのメンバーで誰が一番好きか、或いは「良いと思うか」である。私は勿論、ブラッフォードだ。だから、良くイエスは、やれジョン・アンダーソンのバンドだとか、いや最初から最後まで一度も変わらなかったクリス・スクワイアのバンドだとか、色々意見の分かれるところである(流石に居ないと思ったパトリック・モラーツのバンドだ、トレヴァー・ホーンのバンドだと言う輩もいたほどである)。こんな書き出しをしてしまったが、それは、この「究極」という作品ほど、イエスというバンドにとってどういう存在なのかという位置づけが難しい作品も少なくない。

よくイエスの「分岐点」的な言い方をされるが、それはどちらかというと視覚的な部分である。例えばジャケットがイエスではないと言われると、それは当然でロジャー・ディーンからヒプノシスにかわり、アルバムジャケットも「三つ折」という当時としては中々斬新なものであった。また、音楽的なことをいえば、何と、始めての「セルフ・プロデュース作品」であることだ。つまり、もしここが分岐点であったとしても、この作品が「始まり」ではないことである。寧ろイエスは、ビルが抜け、更にリックが抜けて可也危うい状況になった。そこで一旦抜けたリックが復活したが時既に遅し、というのがこの時点でのイエスであった。したがって次の作品「トーマト」は、もう評価をするに当たらないというのが私の見解である。つまり「こわれもの」「危機」が頂点で、そこから急速に下ってきてしまったのであった。唯一、評価出来るのは最後の曲"Awaken邦題:悟りの境地"であるが、この15分も無駄に長いという言い方も出来る。だが、失礼を承知で言えば最後のあがき的なサウンドである。曲のイントロのリックのピアノ、ジョンの歌い出しは往年のイエスサウンドを彷彿し、もの凄く期待をさせるのだがそれは束の間で、演奏を開始してすぐのテーマのところなどは全員参加の別テイク・パーカション録音というのが見え見えで、いや、ビルがいたらこれをカバーできるドラムが出来ただろうとか、リックがきっと上手く被せただろうとか、様々に思ってしまう。そのあとの13分間は只々もがき苦しんでいるようにしか聴こえない。それほど、ビルの脱退がこのユニットを従来の形で継続することの無理を露呈してしまっていると私は思っている。そう、リズム・セクションはバンドの要だし、「イエスソングス」においての悲観論がすべて当たってしまったのであった。

この後、イエスは驚くほどの変貌を遂げていく。それはまた別の作品のレビューで書きたいが、この作品のこの時点で、当時、私はこのバンドに大いなる失望しか持てなかったことだけは強調しておく。奇しくも、ピンク・フロイド「アニマルズ」発表から半年後の事であった。


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