都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
日本人は、世界でも稀にみるほどの“お風呂好き”。「毎日、お風呂に入る」といっても誰も驚きませんが、欧米諸国ではあまり例がみられません。また、お風呂に“浸かる”文化も世界的にみると珍しいといえます。 しかしながら、“風呂”といえば日本も昔は湯に浸かるというよりは、蒸気を利用した蒸し風呂のことを指しました。今でいうところのサウナに近いといえます。江戸時代の銭湯も、当初は蒸し風呂タイプが主流でした。 ただ、各家庭にお風呂があったわけではありません。そこで繁盛したのが「湯屋」、つまり銭湯です。ただ、お湯がたっぷり張った現在の銭湯のスタイルになったのは明治になってから。いくら日本は水が豊富といっても、今のように水道が発達していたわけではないため、水は貴重品。お湯を沸かす薪も貴重品です。そのため、身体を洗う場所と浴槽の境には低い鴨居があり、これをくぐって行き来するようにしていました。こうすると、浴槽部が隔離され、立ち込めた蒸気が逃げず、湯量も少なくて済むというわけです。ただしそのかわり、光がほとんど入ってこないため、湯船のエリアはほぼ真っ暗。そんな中に入っていく際には「冷え者でござい」と一言発するのがマナーだったそうです。 こうした“蒸す”入浴スタイルを経て、ついに“浸かる”タイプの「据え風呂」が登場します。たとえば、皆さんご存じの五右衛門風呂。安土桃山時代に盗賊として名を馳せた石川五右衛門が釜茹での刑に処されたことからその名がついたこの風呂は、鉄製の風呂桶を下から直火で焚いて湯を熱します。素足で入れば当然やけどするため、浴槽に浮かべた木製の板を踏んで入ることが一般的でした。 この五右衛門風呂、当初は関西地域の据え風呂として使われていましたが、関東では鉄砲風呂と呼ばれるものが台頭します。鉄砲風呂の風呂桶は木製。その隅から、鉄や銅でできた筒が煙突のように伸びていて、薪で沸かす仕組みです。こちらもまた、筒状の部分に誤って触れたりしたらやけどを負うといった代物で、触れないように格子状の仕切りがあるものが多かったようです。 |
江戸時代の銭湯は「入り込み湯(いりこみゆ)」といわれ、当初より男女混浴です。これは、江戸末期まで続きました。採光も何もなく、「ざくろ口」(注)の中は暗く、風紀を乱すものも少なくなかったのでしょう、何度か禁止令が出されます。しかし、実際はなかなか改まらず、天保の改革(1841~43)の際、厳しく取り締まりが行なわれました。その結果、浴槽の中央に仕切りを取り付けたり、男女の入浴日時を分けたり、また男湯だけ、女湯だけという銭湯も現われました。
(注)「ざくろ口」:江戸時代の銭湯の浴室(湯舟)への入口。蒸気浴と温湯浴を組み合わせた戸棚風呂(注)の引戸の開閉が不便だったため、入口を開放し、湯気が外部に逃げるのを防ぐため入口を低くしたもの。当時の湯量は約一尺というから、30㎝ほどの、半身浴でした。 |
ふろ 【風呂】 《「室(むろ)」から変化した語。「風炉(ふろ)」からともいう》 1 入浴のための設備。また、その場所。湯による温浴のほか、蒸気浴・熱気浴がある。古くは、蒸気を室内に籠もらせた「蒸し風呂」が普通であったが、江戸時代初期に浴槽に湯をたたえた「水(すい)風呂」が生まれ、広まった。「―がわく」「―を使う」「露天―」 2 ふろや。銭湯(せんとう)。湯屋(ゆや)。「―に行く」 3 塗りおわった漆器を入れて乾かす室(むろ)。 4 鍬(くわ)・鋤(すき)の柄と金具との間の木の部分。 デジタル大辞泉 |
もともとお風呂には水(湯)はなかったのです。熱い蒸気(風)のある場所だったのです。「呂」は当て字で意味はありません。
平安時代の貴族は年に数回しか蒸し風呂に入りませんでした。さらに家から出るのがほとんどできないため、生活すべてを自分の部屋で行っていました。もちろんトイレもおマルです。十二単は女性を縛るロープのようなものです。一人で歩くのは大変だったようです。そのため香りの強いお香を炊いていたのです。フランス貴族の香水と似ています。
貴族は庶民より栄養状態が悪く短命でした。お風呂に入らないから、皮膚病も多く、あの厚化粧は皮膚病隠しだったという説まであります。笑うとひびが入るから、扇子で顔をかくし、口をすぼめて「ほほほ・・・」と笑っていたそうです。
今は家にお風呂がある、いい時代です。
浴衣と風呂敷の語源・由来.について考える
したっけ。
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日本の名湯 | |
バスクリン |