…おいぼれというのはけちなものだ
棒切れに引っかけたぼろ上衣そっくりだ
もしも魂が手を叩いて歌うのでなければ
肉の衣が裂けるたびになお声高く歌うのでなければ…
私の詞華集㊵ W.B.イエイツ「ビザンティウムへの
船出」より.高松雄一訳
立 春 大 吉
高校のころ嵌っていたアイルランドの詩人イエイツに最近また嵌っています。当時は初期の抒情詩だけだったのですが、今は中期の独立運動に関する詩や晩年の詩に共感しています。
耳が悪くなって歌は断念したぼくの魂が歌うにはどうしたら良いか?
今のところ、魂が歌い始める場所の幾つかは、遥かに谷を見下ろす稜線の道。山頂の風の中。広い芝生。波打ち際。あるいはこうした場所で友人とたまにする対話(このごろますます一人で歩くことが多くなったけれど)。あとは何冊かの本の中。
…しかし自分の魂だけが歌うので良いのか? 人間社会は、破局に向かっている。いたる所に混乱と破壊と嘆きと絶望が始まっている。それを見ないふりはできない。ただ息を詰めて見つめているだけで良いのか? ぼろ上衣にも何かできることはないのか?
一人で歩いていて繰り返し心に浮かぶこの問いに答える術がありません。
「ああ誰か来てわたくしに云へ(…)明るい世界はかならず来ると」賢治がそう書いてからほぼ100年。私達は明るい世界を実現することはできるか? 人類は、地球はそれまで持ちこたえるか? ぼくはそれまでは待てないけれど、希望だけは捨てないでいいのか?
皆様方のこの一年のご健康とご多幸をお祈りいたします。