しばらく前にブログのタイトルを変えた。今までのものは、ぼくの大好きな歌手ニルダ・フェルナンデスの歌にヒントをもらったものだ。「ぼくが地上を離れる前に」は、「~考えること・感じること」を補わなければ漠然としすぎていてなんだかわけがわからないだろう、と思っていた。だが「ぼくが~こと」までの全体をタイトルにすると、今度は逆に直接的すぎてつまらない。
「すべての頂の上に憩いあり」は、ゲーテの有名な詩の一行で、ご存じの方も多いだろう。普通は、「頂の上に」ではなく「頂に」と訳されることが多い。だが、ドイツ語のüber allen Gipfeln は over all summits に相当すると思うので、これは山のふもと、あるいは山中をさすらう旅人が山頂を見上げ、その上の空に安らぎを見出しているのだ。
(ぼくは山歩きの記事をこのごろあまり書かない。自分の書くものがつまらなく思えるからだ。先人の書いた山歩きの名エッセイがたくさんある。尾崎喜八や池内紀や辻まことのものは、登山記としてよりも山歩き・山での思索として素晴らしく、ぼくが何か書こうとする時間よりも彼らのものを読み味わう時間の方がずっと良い。というわけで、これからもあまり書かないだろうが、山に行かないわけでも関心が薄れたわけでもない。むしろますます、山が関心の中心になりつつある。)
この夏は友人と北八ヶ岳散策と、北アルプスの燕(つばくろ)岳に行った。もうテントを担いでどんどん歩ける歳ではないので、4年ほど宿泊を伴う山歩きはほとんどできなかった。この4年ほどのブランクで体力は落ちた。中房温泉から合戦尾根を登って燕岳、大天井岳、常念岳を経て一の沢に下りるコースはもともと北アルプス初級コースなのだが、今回は燕まで登ってその計画を断念し、燕山荘に連泊して天上の休息を堪能し、合戦尾根を降りてきた。
今日は空の写真のみを揚げる(下手くそだが)。8月31日のスーパームーンがないのが残念だが、小屋の中から眺めるのみで、外に写真を撮りに出る気力がなかった。
槍ヶ岳の夕焼け
明けの明星(やや左上。見えるかな)
朝焼け
ご来光
〃
燕岳
ゲーテの詩の全体を揚げておく。ごく短いが、深い味わいのあるものだ。ドイツ語は訳せないので、高橋健二の訳を借りる。
旅人の夜の歌
山々の頂に
憩いあり。
木々のこずえに
そよ風の気配もなし。
森に歌う小鳥もなし。
待てよかし、やがて
なれもまた憩わん。