冬晴れの落葉樹林を歩くのはまことに気持ちが良い。新緑も紅葉もそれぞれ美しいが、幸福感で言ったら、冬晴れの日が一番だろう。降り注ぐ陽射しが明るく温かい。夏の苛烈な日光と違って、まことにやさしい。地中に眠る生き物を護り、枯れたように見える枝々のまだ固く小さな冬芽を、春まで育んでやる。
ところで、こうして降り注ぐ太陽のエネルギーのうち、どれくらいの割合かは今は分からないがかなりの部分は、地球がある程度の範囲で状態を一定に保つために使われる。ぼくたちが、食物から摂取するエネルギーの大部分を、脳や臓器を円滑に働かせ、体温を一定に保ち、つまり生命を維持するために使うのと同じに。これを地球の「基礎代謝」と考える。太陽のエネルギーのうち、基礎代謝分を差し引いた残りが、地球上のさまざまな生き物が生きていくために使われ、一部は地下に蓄えられ、生命活動で出た排熱は大気圏外に放出される。
人間も地球上で生きていく生物の一つとして、この基礎代謝分を除いたエネルギーの一部を使わせてもらっている。人間が生命維持以外の活動で使うことのできるエネルギーは、地球の基礎代謝を混乱させない範囲に限られる。これがどれくらいの量になるのかは実はよく分からない。
分かっているのは、この範囲を超えて使い続けるとどうなるかだ。地球の定常状態は乱され、破壊され、他の生物は生存を脅かされ、さらに、その結果は人間に返って、人間同士の争いを生み、その生存さえをも脅かすことになる。
これが、現在起こっていることだ。すなわち、気候危機による洪水や干ばつ、多数の生物の絶滅危惧、飢餓や貧困や戦争や暴動だ。
ぼくはエゴイストだから、この山路に降り注ぐ太陽の恵みをこの先もずっと受け続けていきたいと思う。そのためにどうしたら良いのかは、年末にも書いたが、今のところ分からない。とりあえず、謙虚に切実に、どうしたら良いのかを考え続けながら生きなければならないだろう。
遅ればせながら、謹賀新年