東京教組(東京都公立学校教職員組合)

教職員のセーフティーネット“東京教組”

「くくり」で物事をとらえる偏見

2015年03月16日 | 日記

 ミツマタ先月、映画「みんなの学校」を紹介した(2/13)。大阪の大空小学校のドキュメンタリーで渋谷のユーロスペースで上映中だ。その大空小学校の「学校だより」がいい。少し長いけど、是非読んでほしい。

「受け入れる」と「ともに学ぶ」は大違い!
 4月30日の全校道徳です。『先週、一人の友だちが、一人の先生に「先生、ショウガイあるん?」と聞きました。聞かれた先生は、突然のことだったので「どうしてそん なことを聞くの?」と言ったところ、「10,9,8,7・・って早口で言ってたから」と答えたそうです。みんなに質問します。「自分にショウガイはありますかと聞かれたら、自分はどう答えますか。」子どもも大人も講堂中のみんなはいつにも増して真剣な表情です。「わたしが聞かれたら、わからないと答えます。今のわたしは、自分にショウガイがあるかないかはわかりません。」と、自分の考えを正直に伝えました。不思議そうな顔や、驚いているような顔の子どもたちと、大人の緊張感が伝わってきます。「ショウガイってどんな意味ですか?」と次に質問しました。いつもと違って手があがりません。そこで、みんなに、「ショウガイ」の意味が「わかる」か「わからない」かを問いました。「わかる」と答えたのは、子どもも大人も2、3人。ほとんどは「わからない」と答えました。わたしも「わからない」に手をあげました。専門家やドクターの研究から多くのことは学んでいます。しかし、子ども同士が学びあう学校という場では、まだまだこの意味はわかりません。わからないから、みんなで考えるのです。この学びのきっかけをつくった子どもは授業後に「しょうがいのこともわからないのに、かってにこの言葉を口から出してしまった。わからない言葉は自分で使わないようにしようと思った。」と、書いていました。 大空小では、「障がい」という言葉をこれまで、学習の中では使っていません。子ども同士のトラブルを解決したり、違いを納得させるのにこの言葉を使えば、先生はというより、大人はとても簡単かもしれません。(この子は「障がい」があるんやから、わかったりや・・)まさに、一方通行の「受け入れる」発想です。もともと先に土台があって、そこに受け入れるということなのです。この考えで子どもを指導するのは、「くくり」で物事をとらえる偏見の助長につながりかねません。とは言うものの、この言葉 を使わずに互いの違いを理解させることは正直、悩むことが多く、困る場面がたくさん あり、悪戦苦闘の毎日です。大人でも難しいこの課題に子どもが自分の体験を通して向 き合い、自分なりに考え、さまざまなことを感じる。子どもも大人も「ともに学ぶ」場では、人と人との関係は対等です。この「ともに学ぶ」が、本校の教育目標「ともに生きる力」を培うことにつながると考えています。 今回、「30秒足らずのできごと」が、子どもにも大人にも大きな学びにつながりました。 学校はすべての子どもが対等に、自ら学ぶ場です。その学びを指導するのが、教員であり、教職員です。そしてサポートするのが子どもの周りの大人です。 校長木村泰子

 東京の公立小学校で6年生の男子が卒業文集に「将来、国会議員になって、戦争したり武器を輸出したりしない平和な国を作りたい」と書こうとしたら、「政治批判を内容に含み卒業文集には載せられない」として書き直しを命じられたそうだ。情けない!
 「くくり」で物事をとらえる偏見をなくそうとする大空小学校とエライ違いだ。

 大空小学校のたった一つの約束は、「自分がされていやなことは人にしない、言わない」

(ミツマタ)