東京教組(東京都公立学校教職員組合)

教職員のセーフティーネット“東京教組”

「教える・習う」から「学ぶことを学ぶ(スクールからスタディハウスへ)」の転換

2014年02月04日 | インポート

日本の子どもたちは、自己の存在を肯定する感情が低くて2割近くが「居心地の悪さ」を感じており、3人に1人が孤独を感じている。OECD加盟国の15歳を対象にした07年のユニセフの調査で、「孤独を感じる」と答えた子どもの割合が、日本は29.8%で最も多かったのだ。2番目のアイスランドでさえ10.3%であり、日本はアイスランドの3倍もの割合で突出している。平均は7.4%であり、最も低かった国はオランダで、2.9%であった。「自分は居心地が悪く場違いだと感じる」割合も、日本は18.1%と全ての調査国で最も高い。不登校の子どもたちはもちろんのこと、日常生活を謳歌しているように見える普通に学校に通う子どもたちも、表面的な友達づきあいが蔓延し、時にはグループで牽制しあい、本音の心の交流がなくなってしまっている。日本の子どもたちの殺伐とした様子が浮かび上がっている。<o:p> </o:p>

また、昨年1225日、ユニセフは国立社会保障・人口問題研究所との共著による『イノチェンティ レポートカード11 先進国における子どもの幸福度―日本との比較 特別編集版』を公表しました。幸福度は、「物質的豊かさ」「健康と安全」「教育」「日常生活上のリスク」「住居と環境」の5分野で、計20の指標を使って比較している。総合1位はオランダで、2位がフィンランドとアイスランド。4位ノルウェー、5位スウェーデンと、北欧の国が上位を占めた。

報告書によると、日本は「教育」と「日常生活上のリスクの低さ」の項目では1位となったが、「健康と安全」では16位、「物質的な豊かさ」は21位となっている。物質的豊かさの順位が低いのは、貧困ラインを下回る子ども(017歳)の割合が14.9%と高いことや、下回った子どもたちの所得の平均が、貧困ラインの額の約7割にとどまっていることなどが理由だ。日本の子どもの貧困率は、きわめて深刻で危機的状況だ。<o:p> </o:p>

R0021512 今回の調査で子どもの幸福度が最も高く、07年の調査で孤独感の最も低い国がオランダだ。124日~26日で行われた全国教育研究集会の記念講演で、オランダの教育についてリヒテルズ直子さんのお話をお聴きする機会を得た。オランダの学校では、オランダを支える未来の市民を育てることが教育の基本だという。「モンテッソリー」「ダルトン」「フレネ」「シュタイナー」「イエナプラン」などのオルタナティブの学校を簡単に創ることができ、学校の選択が可能で、選べない場合、セーフティネットとして公立の学校がある。教科書はなく、教師がつくり、ICT化・デジタル化がどの教室でも進んでいる。個性と共生を重視する教育は、民主的なシチズンシップ、協働重視、ホンモノからの学び(時事問題でも)、そしてインクルーシブ教育の完全化、性教育といった学校から社会を見直すシステム理論が導入されている。<o:p> </o:p>

比較して日本はどうだろうか。教科書優先、学力テスト全盛、効率優先で非民主的であり、競争原理が大きく幅をきかせ始めている。教育制度の違いが、ユニセフの調査結果に大きな影響を与えていることは間違いないだろう。「教える・習う」から「学ぶことを学ぶ(スクールからスタディハウスへ)」の転換と「子どもの権利条約」の具体化こそが急務だ。


えた村は うき世の外の 春富て

2014年02月03日 | インポート

Photo 江戸時代、士農工商の下に被差別をおく身分制度があったことはよく知られているが、明治維新になり四民平等、解放令があっても差別は、の生業としていた職業までをも奪う過酷さだった。その差別を支えていたのが人々の差別意識である。江戸と明治の俳人の俳句からそのことをうかがうことができるので紹介する。

松尾芭蕉
えた村は うき世の外の 春富て 
(えた村は社会外の社会と言われるけれど、そこに住む人達は、物も心も春のように富んで温かいよ。)

与謝蕪村
村に 消のこりたる 頗狷かな
(『えた村』の人々が祖先の冥福を祈るために使った『頗狷(すこぶけん)=灯眥の火』が、その行事の終わった後も消えずに残っている。『えた村』の人々の信仰心の深さを語っているようである)

小林一茶
えた寺の 桜まじまじ 咲きにけり  
(『えた寺』の桜といえども、堂々とりっぱに美しく咲いている)
えた村や 山時鳥 ほととぎす
(貴族たちが風雅に詠むというほととぎすも、えた村でまるで同じに鳴いているではないか)

正岡子規
鶴の巣や 場所もあろうに えたの家
(世にもめでたい鶴が巣を作ったが、よりによってえたの家なんぞえらばなくてもよいものを……)

 芭蕉、蕪村、一茶など江戸の俳人の温かなまなざしに比べ子規の差別性が際立っていることに、日本の近代の病巣を感じる。
(小石川療養所のあった小石川植物園に遊ぶ小鷺)