東京教組(東京都公立学校教職員組合)

教職員のセーフティーネット“東京教組”

 「私らは侮辱のなかに生きている」

2014年01月17日 | インポート

Photo 2011年7月16日の、「さようなら原発10万人集会」(代々木公園)で大江健三郎が中野重治の短編小説『春さきの風』を引用した言葉だ。
 最近の大江さんの著作「晩年様式集」(講談社)で、この事実が記述されていた。その部分を引用する。(語り手は、作家の妹である)

 中野のその文章を、あれだけ大きい集会で聞く意外さが胸に響いたし、周りの見るからに一般市民の参加者にも、感銘は連動してゆくようでした。そこを写します。

もはや春かぜであった。
それは連日連夜大東京の空へ砂と煤煙とを捲きあげた。
風の音のなかで母親は死んだ赤ん坊のことを考えた。
それはケシ粒のように小さく見えた。
母親は最後の行を書いた。
「わたしらは侮辱のなかに生きています。」
 それから母親は眠った。

 兄さんが自分の考えることとして、それに続けたのはこうでした。老年の小説家であるあなたは、これだけナマの感じの文章は『晩年様式集』にも書き入れませんから、会の参加者から拍手があったところを、わたしがビラの裏に書いておいたもので引用します。
 《なによりこの母親の言葉が私を打つのは、原発大事故のなお終息しないなかで、大飯原発を再稼動させた政府に、さらに再稼動をひろげて行こうとする政府に、私はいま自分らが侮辱されていると感じるからです。
 私らは侮辱のなかに生きています。今、まさにその思いを抱いて、私らはここに集まっています。私ら十数万人は、このまま侮辱のなかに生きてゆくのか? あるいはもっと悪く、このまま次の原発事故によって、侮辱のなかで殺されるのか?
 そういうことがあってはならない。そういう体制は打ち破らねばなりません。それは確実に打ち倒しうるし。私らは原発体制の恐怖と侮辱のそとに出て、自由に生きて行けるはずです。そのことを、私は今みなさんを前にして心から信じます。しっかり、やりつづけましょう。》

 この私小説は、3.11以降の同時代の記録としても、大江が自らの作品を丁寧に振り返る内容も興味深かった。

 さて、この「私らは侮辱のなかに生きている」で始まる「永続敗戦論」(白井聡著、太田出版)もすぐれた著作である。戦後は、日本が「敗戦の事実を無意識の彼方へと隠蔽しつつ、戦前の権力構造を相当程度温存」するために「敗戦」を「終戦」と呼びつづけると指摘する。冒頭部分を少し引用すると、

そう、われわれはまさに侮辱のなかに生きている、侮辱のなかに生きることを強いられている。大江のこの発言は、関西電力大飯原子力発電所の再稼働が、高まる抗議の声を押し切るかたちで、しかも「国民の生活を守る」(野田首相・当時)という理由づけによって強行されたことに、直接的には向けられている。だが、その含みはより広い。
 福島第一原発の事故以降引き続いて生じてきた事態、次々と明るみに出てきたさまざまな事柄が示している全体は、この日本列島に住むほとんどの人々に対する「侮辱」と呼ぶほかないものだ。あの事故をきっかけとして、日本という国の社会は、その「本当の」構造を露呈させたと言ってよい。明らかになったのは、その住民がどのような性質の権力によって統治され、生活しているのか、ということだ。そして、悲しいことに、その構造は、「侮辱」と呼ぶにふさわしいものなのである。

3.11から3年、文学、思想として2冊の本が真摯に向き合っている。来週は、都知事選挙が告示される。私たち都民は、侮辱する体制を打ち破ることができるのか問われる。
(ハボタンとシクラメン)