東京教組(東京都公立学校教職員組合)

教職員のセーフティーネット“東京教組”

「絆」から「つながり」へ

2012年12月13日 | インポート

20121111_130057
埼玉県の高校教師だった方からの呼びかけを紹介する。

 あなたの時間を少し割きませんか!乾かぬ涙を。

 3.11以後、「絆」という文字が流行語のように溢れました。私はこの情緒的で一方的な言葉が最初から嫌いでした。
 「絆」の語源は飼い主が馬や犬などを繋ぎとめる紐・綱から出たもの。人間が動物を家畜にした瞬間から飼い主は最後まで責任を取らねばならない。「絆を付ける」とは、付ける側の責任の所在があることが意識されている。でもそこから切っても切れぬ深い関係という意味が生まれ、主従関係などの人間関係にも使われるようになった。そもそも「絆」という文字を選んだのは被災者ではない。被災しなかった側の人間が選び、好み使ったのだ。「絆」という情緒的な言葉に溺れ、涙を流し、それで自己充足する危うさが初めからそこには潜んでいた。あの、全てが焼きつくされ流された被災の現場を前にして、被災者にとって必要なものは、今生きて行くために、これから生きて行くための具体的な援助であり長期的な支援だ。短期的な慰めの言葉ではないのだから。もうすぐ二年目になろうとするのに、継続して被災地を見ていると、何も進展せず、むしろ困難が更に拡大さえしている。なぜなのか!
 この秋、被災地は秋祭りを行っていた。ペンペン草が生えている被災市街地のなかを、それでも必死に願いを込めて人々は神輿を担いでいた。そのひたむきな願いに、被災していない私達はどれだけ応えているのだろうかと、思わざるを得なかった。しかし、あの大好きな「絆」を喧伝し、涙を流した人達は、絆の綱の一端をもう放り投げているような感がある。
 他者に流した涙はすぐ乾く。今必要なのは、絆という言葉ではない。乾かぬ涙を自らの心の内に流し続けるための、ささやかな行動だけが必要なのだと思う。3.11を生き抜いた人々の命を絶対に守らねばならない!それが無念にも亡くなった人々の命に対する責任だと私は考えている。その想いで、仮設住宅の高齢者に誕生日の花籠をこれまで贈って来た。これからは更に継続して誕生日の手紙を、より多くの人に贈り続けたい。一人ではない、遠く埼玉県で、被災者にすこしでも寄り添いたいと願っている人々、苦難を少しでも分かち合いたいと考える人々がいることのメッセージを、伝えたいのです。被災者が孤独感に陥り自殺するという、さらなる悲劇をくいとめる力になるからです。
 誰でもが、できることを継続してやって行きませんか!あなたの少しの時間を割きませんか、被災者の姿を想いながら、一緒に手紙を書きませんか!
活動日   毎月偶数月は第1週の木、奇数月は第1週の金曜です。
活動場所  浦和駅東口 パルコ9階 市民活動広場 コムナーレです。
活動時間  午後6時~8時まで作業(手紙、宛名書きなど。)一時間でもかまいません。  宮北会HP
※ 「災害支援ボランティア 宮北会」の会員募集を行います。
 年会費1500円 会報、現地活動などのお知らせなどの情報を提供します。
会員希望の方は、まずは連絡下さい。宮北会メール miyakitakai@gmail.com

 お近くにお住まいの方、こんなささやかな行動に参加してみませんか。全国各地にささやかな行動がある。繋ぎとめる「絆」ではなく、人と人が対等に向き合う繋がりを広げたい。

   (川越・多文化共生・国際交流パレード)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿