日々の記憶
建築家 筒井紀博のブログ
KIHAKU's blog



先日、ハクビの引渡の後、ひさびさに吉祥寺の「ぶぶか」(写真)に寄り、油そばを食した。
んー、やはり美味い。
ツツイは細麺より太麺の方が好きである。

ラーメン屋の開拓も最近はあまり行っていないが、今でも小金井のラーメン街道には繰り出す。

この中でも最近の一押しのお店は「GUTS」。
まぁなんともポップな店内(ピンクの豚がモチーフ)なのだが、味は濃厚で深みのある味。
長年、五日市街道に一番近いラーメン屋の「つばきや」がランキングトップに君臨していたのだが、3、4年ほど前から味の質が変わり(最近、また元にもどりつつあるが)、現段階でのトップは「GUTS」である。

その他、オススメとしては環七沿い(葛西方面)にある「にゃがにゃが亭」。
ここはキムチがサービスで付くのだが、これも美味い!
東京の西側方面だと荻窪の「二葉」(こってり)や「春木屋本店」(あっさり)、環八沿いの「味噌一」(味噌ラーメンならここ!)、下井草の「日の出食堂」、永福町の「大勝軒」、三鷹台近くの井の頭通り沿いにある「よしのぼう」などが美味い。

もし興味があればお試しあれ。

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ハクビ柏の引渡を本日、無事に終えた。

初めてハクビに訪れたのが、昨年の9月だったので、約半年間のプロジェクト。
(本格的に動き始めたのは11月中旬頃)

早速本日から授業があるため、朝から先生や生徒さんが出入りしている。

皆、大変喜んでくれている様子で、同じビル内の他のテナントさんからも声をかけられ、羨ましがられていたほど。
なんとも建築家冥利に尽きる時である。

今回の工事は予算の都合上、エントランス回りのみの工事。
早速2期工事(事務室や収納などの部分)の話も出て、これからますます美しい空間へと変貌を遂げるハクビ柏校。
明日はエントランスにある小さな打ち合わせスペース用の家具を海寳先生と鈴木氏、そしてツツイの3人で選びに行く予定。

先生、生徒、事務の方達、皆が笑顔でいられる教室づくり、これからも続きますー。


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本日はハクビ柏の竣工検査。

残工事も多少あるのだが、ほぼ完了している状態。

検査にはハクビの海寳院長と鈴木さんも立ち会っていただき、検査を進めているとハクビの先生方が大勢、教室に入室してくる。(しかも皆、着物姿で!)

つ「今日は何かあるんですか?」
海「畳が新しくなったから先生方が皆、雑巾をかけにきてくれたんですよ~」
つ「!!」

見ると、着物姿の先生方が皆、袖をまくしあげて雑巾掛けをしている!
(しかも40枚程度の畳に対して20名近くが集まったのではないか?)

月曜日からすぐに生徒さんが来ても大丈夫なように皆、お休みの所、進んできてくれているらしい。。。なんともまぁ、そこらの企業ではあり得ない話である。

「先生方は皆、今回の改装を非常に楽しみにしていてくれて、一日も早く見たい気持ちがあってこれだけ集まってくれた」

とのありがたいお言葉をいただき、全ての先生の前で紹介され、
温かい拍手を浴びてしまった。。。
同時に友伸建設の増田さん(現場の所長)も紹介し、先生方からこちらも拍手喝采。

増田さんには毎度のことながら、感謝である。
今回のような小さな現場でもほぼ常駐で、現場を仕切ってくれた。

引き渡しは月曜日。
最後まで気を引き締めていかねば。

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愛知万博がはじまった。

当初はなかなか興味深い建築の企画が多数あったが、まぁ政治的な絡みなどがあり、結局の所、あまり魅力ある建築は少ないような気がする。

が、しかしここに来てニュースの報道などを見ていると非常に興味深いモノが・・・

「冷凍マンモス」(写真)である!!

いや、またとんでもないモノを展示している。。。

この期を逃したらもう二度と見ることはできないのではないか?

ツツイとマンモスの出逢いは小学校1年の時。
校内の廊下にマンモスの毛が1本、展示してあった。
これが強烈な印象で残っていて、1万年以上も前の毛がそこにあることにえらく感動したのを覚えている。

大人になった今でも、この冷凍マンモスには心が躍る。。。

しかし混んでいるんだろうなぁ。

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昨日、世界的に有名な建築家・丹下健三氏が亡くなられた。

実はツツイ、はじめて空間というモノに感動したのは丹下氏設計の東京カテドラル聖マリア大聖堂(写真)だった。
この教会にはツツイの祖父の墓があり、祖父が他界したのは幼稚園の頃だったか・・・。
その葬儀の際にはじめてこの大聖堂に入り、胸を締め付けられる思いがしたのを朧気ながら覚えている。

その後、建築家を志すようになった高校時代、はじめて日本人で覚えた建築家の名前が丹下健三氏。
高校3年の時には丹下氏設計の東京都庁が竣工する直前で、新都庁への家具搬入のアルバイトがあり、高校をさぼってバイトに行った記憶がある。ここで仕事の合間に設計図(家具配置図など)を訳わからないながらも盗み見て、とにかくその膨大な図面の量に圧倒された。

残念ながら一度もお会いしたことはなかったが、間接的にはツツイが影響を受けた建築家と言える。

ご冥福をお祈りいたします。

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