今夜はやけにセンチメンタルな夜だ。
4年前の一月に亡くなった釣友の奥さんが、今日一人で気仙川に来たという。
曇天微風の絶好の釣り日和の中、とても良い釣りができたそうだ。
電話口で、「あの人が生きてたら・・・・」と言ったきり黙ってしまった。
微かに聞こえる嗚咽に思わずもらい泣きした。
そんな釣友が逝った2002年の5月に僕はこんな文章を書いていた。
恐縮だが、僕のセンチにちょいと付き合って下さい。
気仙川慕情
今年一月、8歳年上の僕の友人が、癌で亡くなった。
釣りと細君をこよなく愛し、仙台郊外の海辺に暮らしていた。
テンカラ釣りから始まり、フライフィッシングへ転向したものの、
毛鉤釣り歴:30年というツワモノで、その腕前も相当だった。
仙台生まれの仙台育ちという彼だったが、心から住田町界隈の気仙川を愛していた。
東北の河川はもとより、日本全国の名川と呼ばれる川はほとんど釣り歩き、
もちろん、アメリカはモンタナ、ニュージーランド、イギリスの川まで釣り歩いたと言う。
しかし、様々な川を釣り歩くほどに、岩手の気仙川への愛しさが深まったと言う。
かくいう僕も気仙川を愛する釣り人の一人だ。
彼との出会いは、今から四半世紀も前、仙台の「てんから」という居酒屋だった。
僕は20代のサラリーマンで、彼はその店の店主だった。
テンカラと言う釣りの技法があることは知っていたが、当時餌釣りを始めたばかりの僕は、酒の勢いも手伝って、生意気にも「釣りの醍醐味」「川の魅力」を語り、店主である彼にまで、渓流魚について語ったのだ。あまりにも不遜な若造だった。
その後、店主を知る知人からたしなめられ、ようやく彼がテンカラの達人だと知らされた。恥じ入るばかりだった。今思い出しても赤面する。
その店で出される「岩魚の燻製」は絶品で、あの味を超える燻製にはまだ出会っていない。
その後、様々な経緯で「てんから」という店もなくなり、僕も岩手に帰り、それぞれの事情で疎遠になっていた。
ところが、5年前の4月29日、気仙川で偶然にも彼と細君に出会った。
そして、図らずも三人で一日中気仙川を釣る事になった。
面白いように魚も釣れた。昔話に花が咲いた。
心の底から笑いながら、三人で気仙川を釣った。
忘れられない最高の一日となった。
以来一年に1~2回は、約束もなしに気仙川で一緒に釣りをした。
何故か不思議と入る場所が重なった。そういう縁だったのだろう。
あれから5年後の4月29日、僕は一人で気仙川の「あの場所」に出かけた。
新緑の森と高い青空の下で、無心に釣り歩いた。
強風にもかかわらずフライを流れに落とすたびに魚が出た。
思いがけない大漁に思わず空を見上げた。
きっと彼が僕のために釣らせてくれたのだろう。
そう思うと何故か涙があふれ、しだいに嗚咽がもれた・・・
葬式の後に彼の細君から手紙が届いた。
彼からの伝言があるという。
「気仙川の明日を頼む。悪いが俺は先に行く。
お前はゆっくり後で来い。だけど道は間違えるなよ。」
彼らしい最期の言葉が胸に応えた。
ありがとう。安斎久。
これからは僕らが、貴方の愛したこの川を次の世代のために、
見守り続けます。
合掌
平成14年5月10日
4年前の一月に亡くなった釣友の奥さんが、今日一人で気仙川に来たという。
曇天微風の絶好の釣り日和の中、とても良い釣りができたそうだ。
電話口で、「あの人が生きてたら・・・・」と言ったきり黙ってしまった。
微かに聞こえる嗚咽に思わずもらい泣きした。
そんな釣友が逝った2002年の5月に僕はこんな文章を書いていた。
恐縮だが、僕のセンチにちょいと付き合って下さい。
気仙川慕情
今年一月、8歳年上の僕の友人が、癌で亡くなった。
釣りと細君をこよなく愛し、仙台郊外の海辺に暮らしていた。
テンカラ釣りから始まり、フライフィッシングへ転向したものの、
毛鉤釣り歴:30年というツワモノで、その腕前も相当だった。
仙台生まれの仙台育ちという彼だったが、心から住田町界隈の気仙川を愛していた。
東北の河川はもとより、日本全国の名川と呼ばれる川はほとんど釣り歩き、
もちろん、アメリカはモンタナ、ニュージーランド、イギリスの川まで釣り歩いたと言う。
しかし、様々な川を釣り歩くほどに、岩手の気仙川への愛しさが深まったと言う。
かくいう僕も気仙川を愛する釣り人の一人だ。
彼との出会いは、今から四半世紀も前、仙台の「てんから」という居酒屋だった。
僕は20代のサラリーマンで、彼はその店の店主だった。
テンカラと言う釣りの技法があることは知っていたが、当時餌釣りを始めたばかりの僕は、酒の勢いも手伝って、生意気にも「釣りの醍醐味」「川の魅力」を語り、店主である彼にまで、渓流魚について語ったのだ。あまりにも不遜な若造だった。
その後、店主を知る知人からたしなめられ、ようやく彼がテンカラの達人だと知らされた。恥じ入るばかりだった。今思い出しても赤面する。
その店で出される「岩魚の燻製」は絶品で、あの味を超える燻製にはまだ出会っていない。
その後、様々な経緯で「てんから」という店もなくなり、僕も岩手に帰り、それぞれの事情で疎遠になっていた。
ところが、5年前の4月29日、気仙川で偶然にも彼と細君に出会った。
そして、図らずも三人で一日中気仙川を釣る事になった。
面白いように魚も釣れた。昔話に花が咲いた。
心の底から笑いながら、三人で気仙川を釣った。
忘れられない最高の一日となった。
以来一年に1~2回は、約束もなしに気仙川で一緒に釣りをした。
何故か不思議と入る場所が重なった。そういう縁だったのだろう。
あれから5年後の4月29日、僕は一人で気仙川の「あの場所」に出かけた。
新緑の森と高い青空の下で、無心に釣り歩いた。
強風にもかかわらずフライを流れに落とすたびに魚が出た。
思いがけない大漁に思わず空を見上げた。
きっと彼が僕のために釣らせてくれたのだろう。
そう思うと何故か涙があふれ、しだいに嗚咽がもれた・・・
葬式の後に彼の細君から手紙が届いた。
彼からの伝言があるという。
「気仙川の明日を頼む。悪いが俺は先に行く。
お前はゆっくり後で来い。だけど道は間違えるなよ。」
彼らしい最期の言葉が胸に応えた。
ありがとう。安斎久。
これからは僕らが、貴方の愛したこの川を次の世代のために、
見守り続けます。
合掌
平成14年5月10日