思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

予約

2006年10月31日 | Weblog
私の行ってる歯医者は予約時間があって無きが如しだ。
予約せずに行っても「しばらくお待ちいただく事になりますが」と言いながら30分ほどしか待たなくともいいことが多い。
今日は午前10時半の予約、時間通りに行ったのに1時間半ほど待たされた。

私の隣に座っていたおばさんが
「ここはいつもこんなに待たせるんですか」と聞いてくる。
「そうでもないんですがね」と曖昧に答える私。
終に業を煮やして受付で噛み付いていた。
「10時半に来れますかというから、それ以前に来てるんですがどうなってるんか、もう1時間半も待ってますよ、遠くから来てるんで出なおすという訳にも簡単にはいきませんのです」

私もそう思う。
時間を予約している以上10分前後の誤差は許せるが、それ以上は問題だ。
受付で次回の予約を取る様子を見ていると受付のお姉さんが事務的に予約表を埋めていっている。
患者の治療に要する個々の事情はまったく考慮されていない。
治療時間が延びればどんどん次の人の待ち時間に影響していく。

予約そのものも要するに客を繋ぎ止めるための手段としか思えない。
予約の日に行けない時も電話すると「では10日後の○○日はいかがでしょうか」
という回答、いく必要が無いような感じも受ける。

しかし、今日は持っていった本が幸いした。
面白いので、「まだ名前呼ばないでくれ」と思いながら読みふけった。
その本を持ってなかったら、1時間待ったところでサッサと帰っていたところだ。

この歯医者ヤブかなと思うこともあるが、まだ止める決心はつかない。

ニットの貴公子

2006年10月31日 | Weblog
確か「毛生え薬」のコマーシャルに出ている人だ。
女のようでもあり男のようでもあり、一体どっちなんやろと思ってみていたが、正真正銘の嫌味の無い男だった。

今日の昼過ぎのNHKの番組に出ていた。
広瀬光治さん、今ニットの世界では話題の人らしい。
そういえばNHKの趣味の番組かなんかで編み物の実演を見た記憶がある。

子供の頃から編み物大好きで、編み物道を究めようと不断に努力して来た様子で、今その努力が花開いているのだろう。
好きこそ物の上手なれ、を地でいったような人だ。

人間、なんたって好きなことをして飯が食える事ほど幸せなことは無い。
50歳を超えたようなことをいってたが、まだ独身とか、好きな編み物をして暮らせるなら何もいらないという感じの人だ。

羨ましい生き方だ。

曖昧発言

2006年10月30日 | Weblog
女房は…、う、また女房の話か。
よく話題にするということは関心があるということ、愛情があることに通じるらしい。そうなのかな。
関心といっても、腹が立つことが多いという関心だが。

それはさておいて、わが女房はちょいと自分に都合が悪くなりそうなことは語尾を曖昧にしてしておくズルさがある。
昼ごろ、映画に行ってくる、2本見るから少し遅くなるかもしれない、という。
常識的には2本見たって5時か6時頃には帰れる。
そして、夕食の話を始める。
「冷蔵庫にご飯残ってるからチンして、納豆があるしネギもきざんである、おでんがあるから暖めればいい」とか言う。
もし遅くなったらというときは徹底して遅くなるのが常だ。
「えっ、何時に帰るつもりか、はっきり言え」
といったら、
「多分9時か10時ね」
それなら最初からはっきそう言え、と思う。

先日も大喧嘩。
カラオケ大会の日のこと、女房は主催者側、夜9時半ごろに終わるから車で迎えに来て、ゴミなんかも分担して持ち帰る必要があるし、といっていた。
それも車を路肩に駐車して待ってろ、という。
「そんな、道路で車止めて長い間いたら道も広くないし迷惑だぜ」といったら
「そうやねえ、多分いつもの通り長引くと思うから10時頃でいいかもなあ」
と言った。
私も少しは早めにと思って10時5分前に着いた。
女房は1人立っていた。開口一番
「何してんのよ、もう皆帰ったわよ、私の担当のゴミも皆で持って帰ったわよ、何で時間通りこないのよっ!電話も出ないし」
例年と違って時間通りに終わって女房の計算が狂ったわけだ。
「(むか~っ!)10時でいい言うたやないか」と続いて
「よし分かった、お前の頼みを聞くのは今日が最後だっ、今後は一切聞かんからな」
助手席のドアを開けて蹴落としてやろかと思った。

しかし、翌日は何事に無かったようにまたケラケラとしている。
計算ずくかも知れない。

Whistle-blower

2006年10月30日 | Weblog
ホウィスルブロゥワー(whistle-blower)とは「内部告発者」を意味する。
ある企業の内部告発者が定年を迎える記事が出ていた。
彼は30年前に内部告発して、クビにはならなかったものの研修所の清掃業務に追いやられ、60歳で定年を迎えるときの給料の手取りは20万円だという。
何年か前に「内部告発者・ホウィスルブロゥワー」という自分の履歴を本にして3000部出版、その本がまた最近見直されているとか。

企業内部では裏切り者の烙印を押され、転職しようにも採用してくれる企業は無いだろう。
いじめに耐え抜いて30年間生き抜いてきた心の支えは何だったんだろうと考えてしまう。
勿論正義の内部告発ではあったと思うが「裏切り者の掟」は厳しい。

夫婦間でも同じこと。
外面(そとづら)のいい女房がいい調子で人前で言っていることを私がチクッたりすると、その仕返しの恐ろしさ。
「裏切り者」呼ばわりされて、何年も何十年も覚えていては蒸し返す。
たとえ正義の正しいことであっても内部告発はひとつの裏切り行為である。

裏切り行為は日本では評価されず救われない。
人生を棒に振る覚悟がいる行為である。
内部告発やるなら匿名でやりなはれ、と思う。

世界史

2006年10月29日 | Weblog
高校では世界史が敬遠されているらしい。
大学の入試で世界史の範囲はあまりにも広いので敬遠されるとか。
私は世界史を選択した。
確かに受験勉強となると重箱の隅をほじくるような事まで勉強しないといけない羽目になる。
それも問題だ。
しかし、現代を生きていくのに他国の歴史の概要を知らずに済ますことは出来ないような気がする。
世界史は歴史文学を読むのが楽しいし、自然に歴史を学べるように思えた。
1枚の絵画にも歴史が凝縮されている。
宗教の成り立ちの歴史にも現代の国家間の対立を解きほぐす鍵があるのではないか。

今回の高校の履修科目問題はいろんな意味で日本の教育の問題が一挙に噴出した感じを受ける。

守られない文部省の履修科目の指導要領。
見て身ぬをふりをしていた教育委員会。
受験中心の授業。
おいて行かれる非受験者。
有名大学を出ないと負け組みになる社会。
少子化による生徒獲得競争。
本来の教育とはかけ離れた教育現場。

根は非常に深いような気がする。
緊急措置としては、私は森前首相の発言を支持したい。
「生徒に無理を強いるべきではない。世界史を通読して論文でも書いてもらい、習得したと見なし単位を与えればいい」といった趣旨だと思う。
文部大臣の不公平発言(補習授業で正す)は、過去の何年にもわたる不公平をどうやって正すのか理解できない。

消防訓練

2006年10月29日 | Weblog
今日は午前中30分ほど消防訓練があった。
エレベーターを休止する。
最寄の消防署に模擬通報する。
消防車も音も無くやってきた。
火災の際の避難誘導をする、エレベーターが使えないことを認識している人は意外に少なかろう。

今日は消防署も暇な様子、火事が発生して場合は消防車は来ない。
私も当番で理事なので主催者側に参加、実際に訓練に参加したのは10数人程度、子供づれのお母さんととか、暇で元気な老夫婦とかで、亭主族は出てこない。
消化訓練も水消火器というもので、本物の白い泡沫が飛び出すものではなく水が勢いよく出てくる模擬の消火器だ。

消防署の所員も3名ほど来た。
マンションの周りをいろいろ見て回っている。
「ハシゴ車は活動しにくいな、電線が邪魔になる」とか立ち話している。
マンションの火災は、殆どが1室で消化し類焼は殆ど無いそうだ。

消火器は殆どの人が使用したことが無い。
いざという時にはなかなか的確に使いこなせないらしい。
日ごろから、使用手順を正確に記憶しておくことが大事だと言ってた。

参加者にはペットボトルのお茶が配られた。

このマンションに入居して10年以上になるが消防訓練の記憶は無い。
4年ほど前に実施していると言ってたが。

単独では役に立たん

2006年10月28日 | Weblog
「第9の合唱」の練習も佳境に入ってきた。
各パートのメロディーはそれだけでは独立して存在できない。
パートごとの練習テープを聴いて練習するわけだが、愛着が出てきたとはいえ、単独で聞けば奇妙なメロディーといえる。

4つのパートがひとつになるとき初めてそのすごさが分かる。
しかし、自分のパートを歌うのに必死で、全体の調和を味わう余裕はまだ無い。

こういうことって世の中にも結構あるなと思う。
お前単独では何の役にも立たん、でも他の役割の人と調和したとき大きな力になる。
人間社会ってそうだよな。
俺と女房の関係もそうかもな。

何やってんだ教育委員会

2006年10月27日 | Weblog
教育委員会さんよ、それでいいんかいという気持ちになる。
誠に申し訳ありません、ばっかりじゃないか。

今回は高校に必要な履修科目をカリキュラムに組み入れておらず、多くの生徒が高校卒業を危惧されるとか。
急遽これから卒業までに授業に組み入れるなんてのは話にならない。
生徒のほうも身が入らず形だけの授業になるのは目に見えている。
そもそも大学受験に不必要という理由で勝手にはずしているとか、それも数年前から。
受験優先でPTAの圧力に屈していたのかもしれない。
今になって慌てているのは恥の最たるものだ。
当然教育委員会は知っていたはずだ。

いじめによる生徒の自殺なんかも、知りませんでしたでは済まない。
職務怠慢もはなはだしい。
職務怠慢では済まん、殺人と変わらん。

まじめな教育委員会も多いと思うが、全体としてタルンどる。
しっかりしろ、教育委員会。

近くの教育委員会に一度行ったことがあるが、なんかマッタリと静かに仕事していたな。
波風立てずに前例踏襲して仕事しましょう、みたいにも見えたぞ。
もっと果敢に挑戦せんかい。


東京の漫才

2006年10月27日 | Weblog
大阪に長く住んで大阪の漫才を聞きなれていると、東京の漫才って何が面白いのという感じになる。
全然笑えない。
しら~っとした感じで、何がおもろいねん、と腹立たしくもなったりする。

それに比べると大阪の漫才は濃い。
ネタも結構えげつないものもあるが、商人文化というか庶民文化というか深く根を下ろしている。
日常でも大阪人の会話は漫才を聞いているような感じもある。
絶妙の間も、少しズレたら意味を成さない。
子供の頃からそういう会話に慣れているのだろう。

上方文化の長い歴史が醸成した上方漫才は本物という感じがする。