思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

迷惑メール

2006年10月13日 | Weblog
メールと言えば普通は携帯メールのことだろうが、私は携帯の所持を女房に禁止されているので私の場合はPCメールのことになる。
勿論女房がカチンと来るようなことをやらかしたからですが、大したことではありません。
携帯を持っていなくとも特段の不便は感じない。
ひとつだけ不安がある。
ひとりで車を運転していて辺鄙な場所で車が故障したらJAFに連絡しようがないなと思う。
このごろは電話ボックスもあまり見かけなくなったし、まして人里離れた場所となればなす術がなくなる。
このことは嫌味でなく女房に認識させておこう。

それはさておいて私はPCのメールボックスを開いて毎日数件のメールを只ひたすら削除する。
知人からのメールは殆どない。
Yahooにも遊びでHN名義のメールアドレスを作ったら、これはすごい。
迷惑メールが山のように来る。しばらく見ないと数百件もたまっている。

 ご返事が遅れてすみません。
   …メールしたことねえよ。
 一度お会いしたいです。
   …あんた誰?
 男性会員募ってます。
   …そんなうまい話あるわけねえだろ。

コンピューターを使ってアトランダムに番号を抽出して流しているんだろうがよくまあマメに送信するもんだと感心する。
更に投資の誘い、金融のお誘い、確率は低いとはいえ1件でも応答があればペイするように仕組んであるのかもしれない。
こんな迷惑メールも楽しんで見ていれば世相の反映を感じることもできる。

情報通信の発達は目覚しいものがあるが、同時に暗い面の文化も発展させているとも言える。

2006年10月13日 | Weblog
街の中のマンション住まい、それでも季節の彩を感じることができる。
すぐ傍の公園には木々が整然と茂っている。
人が木々の間隔と配置を計り植えたにしろやはり自然の一部だ。

芽吹く春、桜の短い季節、新緑の初夏、生い茂る夏、枯れ始める秋、落ち葉が舞う初冬など四季を演じてくれる。
この時期既に黄色く枯れ落ちた木の葉がレンガ敷きの路面を風に吹かれている。
時々一葉の枯葉を拾い上げてみる。
枯れ色の美しさに魅せられる。
役目を終えて茶の一色に変わった葉の造形はたとえようもなく美しいと感じる。
そっと保存したら永遠に保てそうなたたずまいだ。

四季の美しさの中でこの時期の美しさはまた格別だ。
一種滅びの美学に通じるものがある。
子供の頃は山の色とりどりの紅葉に見慣れていたせいか、山の紅葉にはあまり感動がなかったが、京都の社寺の燃えるような赤も見慣れてしまうとやはり広大な山並みの変化に富んだ紅葉に改めて感動する。

そしてあと何年生きるのかと少しずつ意識に上り始めたこのごろ、街中の小さな秋に思いをいたすようになった。

街路に転がっている一葉の枯葉に秋を感じるこの頃である。