思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

夫婦・不思議な縁

2005年09月30日 | Weblog
実はこの同じマンションに住んでいるある女性。
顔を合わせることは偶然の機会しかありませんが、月に1度位は出会います。
そして出会ったら不覚にも「ドキドキ」と心臓が脈を打つのが分かります。
それほどに私にとっては心ときめく女性であります。

年齢は40歳代、1度だけ会話したことがあります。
部屋の鍵を忘れて女房は外出中、管理人に相談したくとも外出中、集会室で子供達となんかの遊戯をしていた彼女がいろいろ相談にのってくれました。

その後女房に「ご主人鍵を忘れて困ってましたよ」と言ったらしい。
彼女の亭主は、一度一緒に車から荷物を降ろしているところを見ました。
ごく平凡な男性です。

彼女は背が高くてスポーティなタイプで、洋服の着こなしもイカシテます。
美人とはいえないけど美人です。
ボディラインもグーです。
いわゆる一目ぼれというやつです。
先日は何故かエレベーターで彼女と2人になりました。
勿論言葉も交わすことはありません。
軽く挨拶でもすればいいのでしょうが、私は固まっておりました。

結婚前に出合っていたら、とふと思ったりします。
それだけのことです。

夫婦とは不思議な縁です。
多くの人が「モトカレ・モトカノ」とか居た筈です。
その彼とか彼女と結婚していたらもっと別の人生だったかも知れません。
そう考えるのは女性の方が多いかもしれません。相方のに境遇によって人生が左右される度合いが強いでしょうから。

男はあまりそんなことは思いません、少なくとも私は。
でも彼女見てから、不埒にもふとそんなことが脳裏を彷徨いますです、はい。
いくら女房でも俺が勝手に思うことは邪魔できない。ヘッヘ。



実家がいい

2005年09月30日 | Weblog
今朝のテレビで若い夫婦が、夫や妻が実家離れが出来ないことに業を煮やして離婚にいたるケースがこの1,2年で急増している、と報じていた。

実家の両親も娘や息子が帰ってくるとチヤホヤしてくれるので、居心地がよすぎて夫婦生活に問題を起こしているという。
団塊の世代の少子化時代に思い切り甘やかされて育ち、両親も子供が結婚してからも実家に帰ってくるとまた甘やかして、「我慢する必要ないよ、嫌なら離婚しなさい」となるらしい。
団塊の世代は比較的経済力にも恵まれているので、離婚しても孫も含めて面倒見ていけるという訳だ。

親離れ・子離れできない人たちが若年離婚を引き起こしているらしい。

何でも手に入る育て方をされて、嫌なことや面倒なことからは直ぐに逃避する性格がしっかりと植えつけられてしまっている。
夫婦生活でも何か嫌なことがあれば直ぐに自分の実家に逃避して両親に甘える。
実家の両親も、諌めることはせずひたすら甘やかす。

何かしら情けない離婚の形態だ。
報道は多少オーバーに取り上げているにしても、随分ひ弱な子供が多く育ってしまったなという印象を受ける。
単に、社会生活や結婚生活や子育てに不適合逃避型の離婚で、離婚するにしても信念が感じられない。
単に両親の元に甘えたくて逃げ込むだけの離婚だ。

結婚や離婚に対する考え方も今後我々年寄りが考えるのとは随分違ったものになって行きそうだ。
10年後にはどうなっているんだろう。

仁義なき戦い

2005年09月29日 | Weblog
今日は女房殿は朝からお出かけ、そんで昼飯はインスタントラーメン。
ラーメンをシュルシュルとすすりながら、新聞の1面の記事を眺める。
大阪市民の税金を職員の私利私欲に使い放題の記事だ。
もういいよ、と思いながら朝はチラと眺めただけだったが、読んでいるうちにまた腹が立ってきた。

大阪市のOB組織にまで多額の助成金や賃料減免まで行っている。
職員OBの趣味の活動にまで助成金が支出されている。

私ゃ大阪市民じゃないがチト許せない状況だ。
税金はまず市民のために使われるべきなのに、第1に市の職員と職員OB、べらぼうな数の天下り団体、そこに使用されている。
そして市の財政は破綻をきたしている。

市民に知られたくない職員の甘い汁は隠しまくって既得権益を守ろうとする。
分権主義で権限を与えられた幹部職員は、私利私欲にまみれ不正な実態を隠し通そうとする。
トップもそれを薄々知りながら、お目こぼしを続ける。
組織としては末期的症状だ。

大平光代助役は改革委員会を率いて旧勢力に仁義無き戦いを挑んでいる。
大阪市民は助っ人として、声を上げなければ旧勢力に負けてしまう。

無駄な税金を払わせ続けられるのを黙って耐えてるんかい。

近所の飲み屋

2005年09月29日 | Weblog
これも昨日の飲み屋での話し。
毎月第1金曜日に決まって子供を連れて歌いに来るおばさんがいる。
2年前まではこの近所に住んでいたが、今は遠方に引っ越して、電車で来るにも1時間半を要すると思う。

息子さんは30代で障害者である。
彼女の亭主の話は聞かないから、離婚しているのかも知れない。
息子はお喋りであるが、時々とんでもない奇声を発したりする。
歌は聴くのも歌うのも大好きで、非常に上手に歌う。

この店の常連は慣れているので彼を褒めたりエッチな話まで巻き込んだりして一緒に愉快に過ごしている。
ママも彼が他の客に迷惑を懸けそうになると容赦なく叱り倒す。

ママは、自分がこの店をやってる限りは彼等を温かく迎えるといっていた。
歌が好きな彼等が気遣いなく歌えるのはこの店だけと思っているのを知っている。
月に1度の大事な楽しみの時間を楽しく過ごさせてやりたいという気持ちに心熱くなる。

私はこのママとは時々喧嘩もする、そのときは「このクソばばあ、もう2度と来ないぞ」と思うが、後で俺が悪かったなと反省する。
若くして離婚し女手ひとつで3人の子供を育ててきたし人に言わない苦労もしている分だけ人間が出来ている。
人の道に外れたことが大嫌いで、気に入らない客は客とは思わないタイプだ。
食事に誘われたりしこともあったが、女房が怖いし、2人だけのお付き合いはアカンと断ったら怒ってたな。
へ、俺ってモテテル?

奇妙な体験続き

2005年09月29日 | Weblog
昨晩は奥方様は帰りが遅くなるといって出かけたので、私もフラフラと飲みに出た。
近所の飲み屋で、最初は客一人私だけ。
暫く世間話が続いた。
 
 常連客の不倫中のお二人さん、まだ続いているらしい。
 私は破局を楽しみに待っている。
 しかし、2人が破綻するとお店に来なくなるから困る~と老ママさんは言ってた。

そして、うちのマンションに変な女性がいるといって話し始めたら、なんとその女性はこの近所じゃ有名人らしい。
ママも突然道で話しかけられたことが何度かあるらしい。

 例の
 「私綺麗かしら?」
 「私の化粧これで大丈夫かしら?」

それで、彼女を見かけたら近づかないようにしているという。
ここ10年そんな調子らしい。

ママの言によると、その女性は自分の容姿とか容貌について心に深く傷を負うような何かの出来事が過去にあって精神のバランスを崩してしまったのだろう、とても気の毒に思う、ということだった。
私は深く反省する。
知らなかったとはいえ、病の人を面白半分に取り上げて話題にしていた。

自分の容姿に対して何らかの理由で強迫観念を持ち、心配で心配で人に確認して確かめずにいられない心境にまで彼女を追い込んでいるのは何なんだろう。
精神を病んでしまうまでに痛めつけられた訳だし。

それほどに容姿に拘らなければならない過去とは、無慈悲で冷酷な男の顔が浮かんでしまう。
かといってこの次に
「私綺麗かしら?」
と聞かれて
「ええ、とっても綺麗ですよ」
と嘘をつく勇気はない。

報道写真

2005年09月28日 | Weblog
ブログジャーナリストを目指すという若い女性が、報道写真のことで意見を書いていたが、その中である人が「事実と真実は違う」という意味のことを言っていたことに共感していた。

私はふと少し前の新聞の自民党幹部の写真を思い出してしまった。
その写真は、小泉大勝のあと、首相が演説を終えて演壇を降りるとき、居並ぶ自民党の幹部が前を通る首相に深々と平伏して頭を垂れている写真だった。
新聞の写真のタイトルも「平伏する幹部」のようなタイトルだったと思う。

つまり、大勝した首相に対して「今後は何事も仰せの通りに致します」という印象を抱かせるものだった。
こうまで卑屈になるかという想いを抱いたものだ。

ところがである。
その幹部の一人が後で語っている。
「なに平伏?、とんでもない。演説が終わったから皆が一斉に立ち上がろうとしている写真だ」
と述べている。
確かに若い人は立ち終わって胸を張っている人もいる。
年寄りは直ぐ立てなくてノロノロと腰を上げかけている。
それが真実だったらしい。

いい加減にしろ、と思った。
新聞の写真の横に載っていた「平伏」の文字は何なんだ。
現場で写真を撮った人はそうは思っていなかった筈だ。
とすれば、記事になるとき事実を知らない誰かが面白がってタイトルをつけたことになる。
報道写真を信じる怖さが身に染みた。

しかし、事実=真実 と思わせる優れた報道写真も多い。
1枚の写真が全ての真実と状況を語りかけてくるような感動の写真も多い。

高校生の想い

2005年09月28日 | Weblog
女房は何でも取っておく癖がある。
そのひとつ、高校生の頃に書いたという大学ノート1冊、昔見せてくれた。
多分今でもどこかに隠し持っているものと思う。

好きな人でもいたのか、訳の分からない抽象的な想いが書き綴られている。
あんな訳の分からんこと、具体性の無い思いをよくまあノート1冊書いたもんだ。
「何のことか、さっぱり分からんな」
と質問したら
「自分には分かっているからいいの」
と答えたなあ。

青春の想いが詰まっているんだろうな多分。
勿論実ることの無かった恋だろう。
多感な高校時代の思い出だし、大事に取っとけや。

奇妙な体験

2005年09月28日 | Weblog
今日は英会話でゲームが準備されていた。
双六ゲームみたいなものでサイコロを振って出た目の数だけ進むとそこに質問が出ている。
私の番で進んだ場所の質問は「最近の奇妙な体験は?」だった。

私の奇妙な体験は

 先日住んでるマンションの中のエレベーターである女性と同乗した。
 2人きりのエレベーターの中で彼女(50歳前後)は突然私の顔を見ながら
 「私、綺麗かしら?」
 と質問してきた。ここに住んでる様子だが見知らぬ女性である。
 「えっ!」と私は返す言葉が無かった。
 勿論、綺麗じゃなかったし、私は目を合わさないようにして扉が開くまで黙ってしまいました。

と発表したら、女性陣から矢のような質問攻めにあった。

 「なんかあるよ、それは」
 「本当はなんて答えたの」
 「本当は綺麗な人だったのじゃないか」
 「そのことを奥さんに話したか」
 「本当はよく顔をあわせてる人なんでしょ」
 「その人はそんな風に誰にでも声をかけてるんじゃないか」
 「すこし精神に異常が無いのか」

とか、とにかくこの話題で盛り上がった。
おっさんは何も質問もしなかったし、なぜ女性が異常なほど関心を示すのかよく分からない。 

新しい歌に挑戦

2005年09月27日 | Weblog
カラオケの話。
新しい歌を覚えるときは何かのきっかけがある。
テレビを見て気に入ったり、声質が合ってるなあと思ったり、カラオケ店で歌っているのを聞いて気に入ったり。
今回は、先日のカラオケ大会であるおやじが歌ったのを聞いて覚えてみようと思った。
テープに数回繰り返しダビングしたし楽譜も女房に手配してもらった。
音程の上下はギターで確認した。
1週間繰り返し聞いている。
音程はかなり高音部が多い。
我が家は未だにカセットテープを使用している。かなり時代遅れ。

そんで今日はカラオケボックスに試しに行って来た。
ひとりで。
週日の午後は空いている。
それにシルバー割引もあると女房に聞いていた。
なんと1ドリンク付きでシルバーさんは1時間190円。只みたい。

さすがにカラオケではキー設定がマイナス1になっている。
原曲キーは+1ですよ、と表示してある。
カラオケでは普通の人が歌いやすいようにキーをひとつ下げて設定してあるのだ。

1時間、5,6回歌ってみて自信を持った。
ウヒヒ、これなら大丈夫。
早速明日にでもカラオケ店でさり気ない風に歌ってみよう。

拷問

2005年09月27日 | Weblog
サイトのニュースで目に付いたのが、某国の「脱北者」に対する拷問と暴行。

ひとつは拷問で両足を足首から切断され、再び脱北した女性の写真入記事。
足を固定して靴で踏み砕かれ放置され切断せざるを得なくなった人。

もひとつは、取調室で取調官が殴る蹴るの暴行を加えられる状況を隠し撮りした数枚の写真、女性に対するもの。

拷問は非常にサディスティックである。
使命感を帯びてするのじゃない。
抵抗できない弱者を苛め抜くことに喜びを感じる行為である。
人間が持っている悪魔的な一つの性癖といえる。

そして恐ろしいことに私の中にもそういう欲望は潜んでいないとはいえない。
男性の強姦願望もそのひとつの現われだ。
「男はみんな狼よ」というのはある意味で当たっている。
しかしセックス遊戯なら許されても、傷つけ死に至らしめる行為はやはり狂気の行為だ。
サド侯爵も狂人といえる。

某国の強制収容所は、人間の邪悪な狂った欲望が日常化しているのではないか。
アメリカもイラクの収容所で驚くべき捕虜虐待が行われていたことが写真入で報道された。
例の女性兵士の犬をけしかける虐待行為は有罪になった。

極限状況の下で花開く拷問とか虐待は、平常心の状況では信じがたい行為に見える。
しかし現実に発生することは、人間の心の中には誰もがそのような本能的な闇を抱えているのかもしれない。