思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

飲酒運転の報道

2006年09月29日 | Weblog
最近飲酒運転による事故のニュースが突然増えている。
事故が急激に増えたわけではないから、報道が突然増えたことになる。
飲酒運転の撲滅キャンペーンのニュースも増えた。
明らかに意識的に報道を増やしていることになる。

近所の酒屋のママさんも車で来る人が流石に来なくなって売上が落ち込んでいるとぼやいていた。
車で帰ることを知っていて酒を提供していた訳だから、けしからん話ではある。
今度飲酒運転幇助罪のことをよく教えておこう。
いや、そんなことは百も承知か。

私とて一緒に飲んでいた常連が車で帰ることを知っていたぞ。
世界一肝臓の弱い日本人は飲酒運転で事故を起こす危険性は非常に高い。

このように報道が積極的に取り上げて飲酒運転が激減すればそれに越したことはない。
交通違反を取り締まる警察官までが飲酒運転しているのだから処置なしだ。
飲酒運転撲滅に向けて機運が高まりつつあるのは間違いない。

この点ではマスコミの力に期待したい。
逆に政府が国民の意識を変えるためにマスコミを利用することも可能だなと言うことを覚えておこう。

歯医者で

2006年09月29日 | Weblog
歯医者で待っている間は退屈です。
今日は本を持っていくのも忘れてました。
書架には何冊かの雑誌が置いてありますが、手を伸ばす気にはなりません。
とにかく面白くもなんともないような雑誌ばかり置いてある。

私の前に座っていた40代と思しき女性が、ついと立ち上がって受付嬢に
「かなり痴呆が進んでいますので、症状をきちんと説明できないかも知れません」
「はい、大丈夫ですよ」と受付嬢。

えっ、まだ若そうなのに痴呆が進んでいるって?。
気の毒に。でも自分では理解してるんだ、と思いながらそれとなく観察する。
そういわれてみれば、そんな風にも見える。
座っていても少し尋常でないところがあるかな。
だけど痴呆症の人って、そういわれてみないと見た目は少し変わっているかなという程度の違いしか分からないなあ、と思いつつさらに観察する。

そして突然、「あ、おばあちゃんダメダメッ」と彼女は勢いよく椅子から立ち上がりトイレの前に走っていく。
なんだ、痴呆のおばあちゃんに付き添ってきてたのか、と納得した。
おばあちゃんがトイレのスリッパを履いたまま出てきたのだ。
「おばあちゃん、それはトイレのスリッパでしょ」と叱っている。
やれやれ。

歯を抜く

2006年09月29日 | Weblog
歯医者月に来てくださいという日だったので行ってきた。
帰りはカラオケでもと思っていたが、麻酔の注射を打たれ奥の歯を1本抜かれてしまった。
従って、スゴスゴと帰ってきた。
左上の唇がまだ痺れている。

歯医者の奴め、前からこの歯を抜きたがっていた。

奴「左上の奥の歯は完全に浮いてますね、隣の歯とつないでるから残ってるだけです」
私「(心の中で)ふん、それがどうした」
奴「固いものをうっかりして思い切り噛んだりしたらえらいことになりますよ」
私「(心の中で)それで?」
奴「このままで置いておくと隣の歯も弱ってきますよ」
私「(心の中で)ちくしょう、どうしても抜きたいのか」
奴「抜きたくないんならそれなりの処置はしておきますが、どうします?」
私「抜いたほうがいいんなら抜いてください」

奴はこの言葉を心待ちにしていたに違いない。
そそくさと麻酔の注射を打ち始める。
この麻酔の注射がなんとも言えず嫌だ。
注射針がちくりと入るときも嫌だし、麻酔薬をグッと押し込まれるときのあの微妙な苦痛は耐えがたい。
手のひらと額に薄らと汗がにじみ出るのが分かる。

今回は本当にペンチも使わず手で抜いたのかも知れない。
麻酔も効いて感覚はないし目も瞑ってるし何をされたのかよく分からない。
歯医者の椅子に寝かされると、相手からはこちらがよく見えているだろうが、こちらから相手の所作が見えないのも気に食わない。

歯石を掃除くれるおねえさんも最初に顔を見ておかないと最後までどんな人かも分からない。
椅子に寝かされてから相手の顔を見るのは意外と難しい。

そんな訳でまた1本歯がなくなりました。
さみしいというか侘しいというか。

ザリガニと彼岸花

2006年09月28日 | Weblog
 私が子供の頃知らなかって、大人になってからもしばらくの間一度も本物を目にしたことがなかったもののひとつ、というか2つのものの代表選手が「ザリガニ」と「彼岸花」だ。
 いくら記憶をたどっても子供の頃に目にした記憶はない。
 北国だったから生物分布の関係でその地には生息していなかったのかも知れない。
 子供の頃の記憶をたどっても一度として見た記憶はない。
 故郷を出てからも、誰でも知っているこのふたつを何で一度も見たことがないまま育ったのか妙な劣等感を抱いたりもした。

 先日町内会の旅行で和歌山の根来寺を訪れたときに庭のあちこちに咲いていたのでカメラに収めました。
 バスの車窓からも、いたるところに咲いていました。
 群生していたり、ポツンと一輪咲いていたり、田んぼのあぜ道にも咲いていました。
 なんとも不思議な花です。
 根には毒も持っているという。
 方言を含めると1000以上の異なる名称があるそうです。
 雑草として惜しげもなく刈り取られたりもします。
 花は決して実を結ぶことはなく、球根でもって徐々に増殖していくそうです。

 じっと見ていると不思議な感興にとらわれます。
 女にたとえると、毒を持った女ということになるのでしょうか。
 それではあまりにも単純すぎます。

 私にはこんな風に見えます。
 「私は人を狂わせる狂気を宿命として背負っている」
 「だから私は近づく人を狂わせてしまう」
 「しかし、私にも生きていく権利はある」
 「私は昔遠い大陸から連れてこられた」
 「私の花は実を結ぶことはない」
 「しっかり地に根を張り巡らせて同じ仲間と生きていく」
 「誰かひとりでもじっと見詰めてくれる人がいればそれでいい」

 

失念

2006年09月27日 | Weblog
今日、英会話の帰り白髪のご婦人から声をかけられた。
「あら、今日はなんですか」
思わず「えっ、どこでご一緒してますかね」
と言ってしまった。

最初、この人とは最近会っているし言葉も交わしているぞ、と思ったが思い出せない。
何も聞かずに「ええ、英会話のサークルです」と答えて後で考えようと思った。
しかし、確認しておかないと後悔するような気がして問いかけてしまった。

私の問いかけに彼女は
「ええっ、そんな」という顔をして「先週英会話でご一緒しましたよ」と答える。
なんとウカツ、そうだった。
毎週金曜日の別の英会話で初歩の会話練習をしている仲間だった。

脳が硬化している。
同じ教室の同じシチュエイションで顔を合わせている分には問題ないが、違う状況で顔をあわせると、どこかで会ってるよなあ、なんてことになってしまう。


わがまま女房

2006年09月26日 | Weblog
昨日は、女房が「午後1時からのNHK・FMの歌謡番組1時間、忘れないで録音しといてね」と言い残して出かけた。
つまり、その時間は俺は家におれということになる。
しかし、そんなことはまったく失念していた。
「あれだけ頼んだのに!」と怒りまくる。
とはいえ、自分でも録音し忘れてしまっていることもある。
その時はそのときで「何で言ってくれなかったの!」と八つ当たりする。

何でそんな歌謡番組を録音するかというと、最新の歌謡曲ばかりを流してくれるのでその中からよさそうなのを選んでカラオケサークルで使うつもりでいるのだ。

そして今日も月のうち2日間だけのこの番組がある。
今朝は映画見てくるといって出かけた。
「今日は忘れないで、1時前に電話も入れるから」と出て行った。
新聞を取る見返りに販売店が毎月2枚只の映画の券を持ってくる。
持ってこないと「新聞止めるよ」と脅しをかける。
私を誘っても、いつも断るので最近は一人で行くようになった。
忙しい人だから2回行ったりはしない。出かけたら一度に2本見てくる。

私も特にこれといった用事があるわけではないが、午後のこの時間に足止めを喰らうのは癪に障る。
断る正当な理由もないことも癪に障る。


リニヤモーターカー

2006年09月25日 | Weblog
ドイツが国の威信をかけて開発しているリニヤモーターカーがとんでもない事故を起こした。
磁力で車体を浮き上がらせて飛ぶように走る列車だ。
最高時速450キロというから一度事故が起これば大惨事になる。
今回の事故は時速200キロでテスト走行中の事故だ。

技術的には問題がなく、人為的なミスが事故を招いたそうだが、精密で規律正しくというドイツ人気質のイメージが崩れた。
開発を始めて20年間一度も事故はなかったというが。
日本のマスコミも必要以上にこの事故を大きく取り上げているような気がする。
日本もリニヤモーターカーを開発しているし、新幹線も開業以来の無事故を誇っているが一瞬の人為的な油断が怖い。

日本の航空会社も整備士の不足が急激に起こるらしい。
今後短期間に整備士の3分の1にあたる人が退職により減員となるので整備士の養成が急務になっているという。
しかし複雑な航空機の整備技術は1人前になるまで10年を要するというから恐ろしい。
整備不良のままの航空機が空を飛びまわることを想像すると旅行も2の足を踏む。

新幹線も同じような事情を抱えているに違いない。
蓄えられた技術が継承されずに漏れ抜け落ちていく。

団塊の世代がドッと退職していくことによって与える影響はいろんな点で大きく、これによって世の中大きく変わりそうな気がする。
老人をターゲットにした商売も大繁盛するだろな。

2006年09月25日 | Weblog
今、ひとり梨を食べた。
うとうとして目覚めたら女房はすでにお出かけ。
みずみずしい味がたまらない。
先日旅行の帰りに地元の農協が開いている市場で購入したもの。
柿も一緒に購入。
女房はりんごを好むが私はあまり食べない。
秋の味覚はやはり柿とか梨がいい。
うれしいことに女房は柿も梨もあまり好まない。


元ちとせ

2006年09月25日 | Weblog
「はじめちとせ」さんて知ってますか。
今度の12月に大阪城ホールで開催の「1万人の第9」の演奏会にゲスト出演する歌手です。
私はこの人全然知りません。
POPSの女性歌手、奄美大島出身、有名な方のようですが私が生きてる世界とは違う世界で生きてる人のようです。
女房は名前だけは知っていました。

寿司屋

2006年09月24日 | Weblog
当市にも庶民的な寿司屋がある。
時々夕食を女房と食べる。
絶対にカウンターには座らない。
女房お気に入りの「○○弁当」なるセットになっている1000円の定食である。

昔から寿司屋は高いという貧乏性のため私は自ら足を運ぶことはない。
今日もカウンターにはいろんな人が座っている。
年寄りの夫婦、女同士の友達と思われる人、勤め帰りのおじさん、ちょいと怖そうなお兄さんひとり、それぞれにお気に入りの食事をしている。
私たちはカウンターではないテーブルで、酒を飲むわけでもなく、ただ定食を食べて帰る。

寿司屋では独特の言葉が飛び交う。
「○○っ」と客が注文する、親父が「はいよっ」と言っているが、私には何を注文しているのか分からない。
張り出されたメニューを眺めてみるが、そんな品は書かれていない。

友達に誘われて寿司屋のカウンターに座るときもなんだか落ち着かない。
自分が場違いな世界に飛び込んだような感じに襲われる。
会話も嫌だ。
寿司屋に行きつけていないことがすぐにばれる。
それもなんとなく癪に障る。

ここの寿司屋は別だ。
時々夫婦で来て酒も飲まず定食を食べて帰る人、というイメージが店の従業員にも定着している。
寿司屋の親父と言葉を交わすこともない。
気楽でいい。