思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

カルムリ浜辺

2006年10月27日 | Weblog
ナフナの「カルムリ」という歌があります。
昨日歌っていたら、ある人が「カルムリってどういう意味、いつも思うんだけど」と聞いてきました。
実は私も知りません、歌の一番最後に出てくる言葉です。
知らずに最後に感情を込めて歌ったりして、相当いい加減です。

ネットで調べてもはっきりしません。
ただ、韓国の海辺に「カルムリ浜辺」という小さな美しい浜辺があるというのは分かりました。
やはり単なる地名なのでしょうか。

暇と知識のある方がおられましたら教えてください。

努力は裏切らない

2006年10月26日 | Weblog
いい言葉やなあ、とテレビを垣間見ているときに飛び込んできた言葉。
「努力は裏切らない」
思わず、「そやっ!」と言いたくなる。

何かに向かってコツコツとひたすら努力する。
ひたすらでなくてもいい。時々思い出したようにでもいい。
その努力は必ず報われると思う。

たとえ目標点に到達できなくともいい。
その努力する過程が多くのものを生み出す。

習い事、リハビリ訓練、仕事、恋愛、結婚生活、子育て、手仕事、何にでも努力する姿は美しい。
悩み続けるのもひとつの努力だ。悩みぬいて結論に至る過程も大切な生き方だ。
努力する姿をみて応援してくれる人もいるし、努力には多くの行動と知識が集積されていく。
努力して夢破れても、それはそれでいい。
努力した過程が立派に人生の糧として残る。

努力は裏切らない、これは真実だ。
努力しなければ何者も生まれない、これも真実だ。

女は待つ

2006年10月26日 | Weblog
演歌を歌っていると、去っていった男をひたすら待つ女の歌が多い。
「あなたを信じて待ち続けます」
という感じの歌だ。

私もそういう感じの歌がなんとなく好きだが、その一方で
「もう待つのはお止しなさい、彼は別の環境でもう新しい女が出来てるよ」
と思ってしまう。
男なんか星の数ほどいるんだから、そんなに拘らんで新しい人生を見つけなはれ、と思ってしまう。
更にその一方で待ち続ける女の情念が恐ろしくもあり美しいとも思ってしまう。

私の取るに足らん人生の中でも、そういう経験が無いでもない。

昨日のダンス

2006年10月26日 | Weblog
昨日は夫婦で講師をしているうちの亭主のほうが風邪のため自宅で静養中という。
おまけに生徒のもう一人のおじさんも体調を崩して休んでいる。
男子は私ひとりだけ、女性は4人。
チャチャを1時間踊り続けてクタクタになった。
ハーレム状態は疲れます。
講師が汗だくの私に向かって「○○さん、大丈夫?」と声をかける。
私は「何を!」と思いながらOKサイン。

途中休憩の意味で彼女はひとしきり講釈をたれる。
「ダンスは体にいいんです。筋肉とかだけでなく脳の活性化にもいいんです。驚くほど脳を使っているんですよ。ダンスによって脳細胞が新しく生まれて活性化されています。従ってダンスをしている人はめったに病気にかかりません。風邪は別ですよ。ダンスを止めて体調を崩す人もおります。ですからダンスはずっと続けてください」
分かったような分からんような、本当のような嘘のような。

置いてけ堀

2006年10月26日 | Weblog
昨日女房が「明日は私、日舞の発表会に行くからね」という。
「あれ、俺も一緒に行くはずじゃなかったのか」と一瞬思った。

ダンスの友達が長年日舞をやっている。
その友達が女房に「券が2枚あるから誰かと一緒にきてね」といって券をもらったのは確か1ヶ月ほど前。
以前にも1度見に行った記憶がある。

女房が言うには
「あなた、日舞なんてあんまり興味ないでしょ、朗読の仲間で日舞やってる友達がいるから2人で行ってくるわ」という。
そして今朝とっとと出かけた。

あまり興味ないでしょ、と言われてしまうと、いや俺は行きたかったとは言いにくい。
置いてけ堀を食らった感じだ。

今朝感じたこと

2006年10月25日 | Weblog
朝刊に気になる記事があった。

そのひとつ。
68歳の爺さんがゴルフに行く途中、バイクの高校生をはねてそのまま助けずにひき逃げしてゴルフをしていて逮捕された。
高校生は頭に傷を負い意識不明だったという。
その爺さん、ゴルフに行く途中友人を途中で拾っていく約束もあり時間に遅れたくなかったという。
車のナンバーを頼りに突き止められ、ゴルフの最中に御用となった。
人生を重ねた男とは思えない所業。
情けない。老人仲間のの恥だ。
人生幼稚園からやり直せ。

その二つめ。
名誉の殺人。
アフガニスタンのテレビの音楽番組の若い女性キャスターが、例のスカーフで顔を覆わず服装が派手で男友達もおったりして世間の旧弊依然の人達の非難を浴び放送局を辞職させられた。
そして身内によって殺害されてしまった。
「彼女は時代の先を行き過ぎた」といわれていた。
しかし、そんなことで殺さんでもいいやろ!。
イスラム教社会では不貞を働いた女は、名誉の殺人といって身内によって殺害される事があるらしい。
その殺人は家族の名誉のために必要なことと認められている節がある。
タリバンが支配していた時代に逆行するような話だ。
アフガンは女性の識字率も2%程度なんて地域もあるとか。
まだまだ女性受難の国である。

「女は勉強せんでええ、家事と子育てと亭主の言うこと聞いて、あまり外に出るな。外出するときは全身を黒い布で隠せ。ほかの男に色目使ったらお前を殺さんといかんようになるでな」ということか。



時効

2006年10月24日 | Weblog
今日の夕刊に「夫婦の時効」のことが書いてあった。
その筆者は男である。
女は決して忘れない、女の恨みは古代から連綿と続いているらしい。
従って夫婦間には時効はなく死ぬまで恨みを忘れないどころか、遺伝子を通じて子々孫々まで伝わっていくとか。

「あの時あなたは…」と、こちらは思い出せないようなことまで昨日のことのように再現してみせる。
嫌なつらい思いをしたことは決して忘れない。
あっさり水に流すということはない。

風邪で弱っているときも要注意だ。
「私が風邪で寝込んでいても、飯はまだかと言う態度で…」とか。
「私が寝込んでいるときに何か食事を作ってくれたことある?」とか。
じっと自分への愛情を計っているかのごとき態度。

時効がないからいつでも裁判にかけ刑を決めることが出来る。
熟年離婚なんてのも判決のひとつだ。

久しぶりに

2006年10月23日 | Weblog
今「ひとひらの雪」という歌を練習中。

小金沢昇司が歌っています。
小金沢昇司という歌手が好きで歌うわけではありません。
何故かこの歌が気に入ったのです。
彼は高音が非常にきれいに堂々と出ますが私には無理なのでマイナス2くらいのキーチェンジが必要です。
カラオケ雑誌にこの歌と楽譜が載っています。丁寧なことに歌い方の注意まで載っています。
何度も聞いたので大体覚えました。

そこで久しぶりに近所のカラオケボックスにひとりで練習に行ってきました。
カラオケに乗せて実際に歌ってみると理解できていない部分がはっきりしてきます。
聞いているのと実際に歌うのとでは音の区切りや長さが微妙に違ってきます。
原曲キーは高すぎてついていけないことが分かりました。
カラオケに入っているのは一般向けに既にキーをひとつ下げてあります。
私は更に1つか2つ下げないとダメです。

2時間練習しました。
ダムの通信カラオケには2種類登録されています。
ひとつはメロディーも裏で流れるタイプ、もうひとつは本人が歌っていると同じスタジオ録画タイプです。

練習結果、ほぼOKでした。
明日からはいよいよ社交界デビューです。

ちなみにカラオケボックス料金はシニア割引で2時間ワンドリンクつきで340円なり、安~い。

久しぶりにスーツ

2006年10月22日 | Weblog
女房が通ってるカラオケ教室が主催するカラオケ大会に行ってきた。
カラオケ好きがそのまま年をとっていくから、カラオケ大会もさながら老人クラブ、中にチラホラ若い人が混じる。
私が言う若いとは40代50代の人のことを言う。

日常生活でスーツを着ることは滅多になくなったのでなんとなくスーツが懐かしい。
黒のダブルのスーツにえんじ色のシャツに淡いピンクのネクタイでお出かけ。
朝晩は冷え込むが、日中はまだ半そでの人も多い。
スーツを着ると少し汗ばむ程度だ。

200名参加者がいるというから終わるのは夜9時ごろだろう。
女房は主催者側だから、司会進行役を仰せつかっている。

2コーラス3分間を歌うのに、参加料が1万円。
参加者は殆どがおばちゃまだ。
衣装と化粧を念入りにして、つかの間の非日常を楽しむ訳だ。

私は午前中に歌って帰ってきた。
午後から第9のレッスンがあるのでサボる訳にはいかない。
ホールが大きいので観客の少なさが目立つ。
自分の歌とか、友達の歌とか以外は帰ってしまうのだろう。
もっとも歌っているときは強烈なライトを浴びるので観客席は殆ど見えない。


マカカ発言

2006年10月21日 | Weblog
「マカカ」というのは北アフリカやアジアに棲むサルの学術名だそうです。
今日の新聞に人種差別発言のことが載っていました。

米中間選挙で共和党議員の選挙集会に民主党のアルバイト学生が敵情視察でビデオカメラをまわしているのを見て上院議員が「ここにいるマカカを歓迎しよう」といったそうな。
アルバイト学生はインド移民の子。
これに激しく反発したのは白人主婦達と記事に出ている。

上院議員ともあろうものがこの発言。
白人社会が肌の色が違う人種に対して、いかに根拠のない差別意識を持っているかをうかがい知ることが出来る。
おそらく子供の頃からの自分の環境がそういう意識を醸成しているのだろう。
思わぬところでふっと口をついて出る。

アメリカは白人の構成が相対的に減少し続けている。
有色人種と言われる人々がやがて社会の中枢を担う時代が来るかもしれない。
そのときにも白人を蔑視するようなことは決してあるまいと思う。
根拠のない蔑視がいかに人を傷つけるか何世代にもわたって味わってきたからだ。

同じ東洋民族の中でも、この日本にも愚かな差別意識が人知れずはびこっている。
根源には「持てる者」と「持たざる者」、金持ち優位の社会、根拠のない優越感があるように思う。
それも子供の頃からの成長の過程でその環境から自然に植えつけられてしまった感覚かも知れない。