思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

印象に残る顔

2006年04月29日 | Weblog
2,3日前に天気がよくて暖かな日、散歩の途中で新しいカラオケ喫茶を見つけた。家からは15分ほどの距離、興味半分に扉を開けた。
ありゃ、客は1人もいない。
夜はスナックという風情の小さな店。
やけに背の高いお姉さんが立っている。
思わず「店、やってますか」と聞く。
「ええ、どうぞどうぞ」

はて、このママさん知らない顔じゃない、それどころかいつも会ってるような顔だな、と暫く考えた。
「どっかで会ってる?」
と聞いたが
「いいえ、初めてですけど」
という。

思い出しましたね。彼女は私の家の前の通りで時々すれ違う人だ。
背が高くて、やけに目が大きくて少しはれぼったい目をしている。
無表情に世事に一切関心なしといった顔をして歩いている人だ。
水商売の感じで仕事にでかけるような様子だがまだ昼だし不思議だなと思っていつもすれ違っていた。
成る程ここが彼女の仕事場だったかと納得した。

話を聞くと彼女は家のすぐ近所のマンションに住んでいる。
40肩で右肩が痛くてゴルフをやめたといっていたから40代半ばかな。
昼の時間だけこの店を借りてカラオケ喫茶をやってるらしい。
スタイルは抜群、特にお尻の線が最高に綺麗、うっしっし、だ。

私のことはすれ違っても何も覚えていなかった。
ド近眼かと思ったが、新聞はメガネなしで読めるというからほぼ正常。
ということは私は彼女には何の印象も与えていなかったことになる。
もっとも、彼女は一切キョロキョロしてなかった、いつも何か考え事してるような無表情だったな。
店でもそうだ、あんまり笑わん顔してる。
しかし話し上手である。
私の好きなタイプだな。困った困った。

凡ミス

2006年04月28日 | Weblog
講演会の会場のつもりで行ってみたら踊りの発表会をやってる。
受付で確認したが「そんな予定は入ってませんよ」といわれた。
しようが無くて帰って改めて確認したら日にちを間違えていた。
その講演は既に4日前に終わっていた。
パソコンの日程表に書き写す時に間違えたのだ。

考古学に携わっている人の講演なので聴きたかったのに残念。
自分のアホなミスを笑うしかない。

タバコ屋のおばちゃん

2006年04月27日 | Weblog
タバコを自販機で買おうと思ったら1万円札しかない。
近所のタバコ屋で2個買ってお釣をもらった。
うっかりしてタバコをもらわずに帰ろうとしたら、タバコ屋のそのおばちゃんが延々と長い話を始めた。
要旨はこうだ。

「この前、タバコを1カートン持ち逃げされました」
「30代の男の子が、○○ありますかと、滅多に出ないタバコを指定してきたんです」
「私、自信が無かったのでこれですかと1カートン差し出したんです」
「そしたら、それそれと言って手に取るなり、止めてあった自転車の前籠にポンと放り入れたんです」
「お金をもらってないので払いを待っていたら、そのまま自転車で行ってしまいました」

そしてその続き。
慌てて表に出て、泥棒!誰か捕まえて!と叫んだそうです。
そのタバコ1カートン2800円、1日の儲けが飛んでしまうそうです。
そしたらすぐに通りかかった別の男が、任せろとばかりに手を振ってその逃げた男の後を追ってくれたそうです。
そして角を曲がってたちまち見えなくなってしまった。

暫くして追って行ってくれた男の子が戻ってきて、○○まで追いかけたが見失ってしまったといったそうです。
その男は、警察に連絡しておくかということで110番したそうです。
そして逃げた男の特徴を警察にいろいろ話していたそうです。
ですが、そのおばちゃんは自分が先刻応対した持ち逃げ男の特徴とは少し違うような気がしたそうです。
そしてその追いかけてくれた男はその場を去りました。

その後警官がやってきて「被害届け」は書かされるはいろいろ細かいことは聞かれるは、大変だったそうです。

そしておばちゃんが言うには、今にして思えばあの2人はグルだったとしか思えない、んだそうです。
「ほんまにボーットして応対していたら、何されるか分からん」
といってました。

何で長々と私にその話をしたかというと、「あなたみたいにお金だけ払ってタバコを忘れていく人もいるけど、逆のことをする人もいるのよ」ということでした。

このおばちゃんは会話を交わしたのは2度目です。
いつも前を通るので多分お互いに顔は見知ってます。
1度目の会話はにわか雨の日でした。
傘は持っていましたが突然激しく振り出し、そのタバコ屋の軒先で暫く待っていました。
そしたら「そこじゃ濡れるから中に入って待ってなさい」と10分ほどお店の中で待たしてもらったことがあります。
今日は長いお喋りに付きあわされましたが、人との会話が減っている私としては何ら迷惑とは思いませんでした。

誕生日

2006年04月27日 | Weblog
通販会社からFAXが入った。
断っているのにまた送ってきやがった。
女房宛に決まっている。

タイトルは「誕生日おめでとうございます」

何言ってやがる、えっ!、そういえば今日は女房の誕生日だっ!。
毎年忘れている私。

さあ、どうする?。
忘れておこうか、女房ももう歳はとりたくないだろしな。
気づいてしまったら、そういう訳にもいかんか。
困った困った。
また、寝る前に「今日は何の日だっけ」と言われるのも癪だしな。

若いうちに

2006年04月26日 | Weblog
女房への電話。
朗読のボランティアサークルの幹事役をしているので、いろんな人から入会の問い合わせがあるみたいだ。
今日も電話があって、「失礼でなければ、お年は?」と聞いたら70台の半ばといったそうで、そのあとに

「まだ若いうちに基礎から勉強したいと思っています」

とその女性は言ったそうだ。
ふむ。
思わず感嘆。

外郎売りの科白

2006年04月26日 | Weblog
演劇なんかでカツゼツの勉強に「外郎売り」の科白を練習するらしい。
我が素人劇団もこの『外郎売り』を暫くの間続けて練習するという。
全部覚えろとは言われてないが。
二代目市川団十郎と書いてある。

歌舞伎に「外郎売」というのがあって、私も女房と一緒に東京の歌舞伎座で見ているはずだと女房が言うが、私はとんと記憶が無い。
女房は朗読ボランティアをやっているので、この手のものは暗誦できるくらいにスラスラ言える。
女房に出来るんなら私だって出来るはず。
全部暗誦してやるよ。
見てろ。

蟻とキリギリス

2006年04月25日 | Weblog
アクセクと汗を流して働く蟻をあざけるように見て、キリギリスは毎日歌って暮らしていた。やがて寒い冬が来て、蟻さんは働いて蓄えた食べ物で豊かに生き延びてキリギリスはのたれ死にした。
そんな話だったかな、いい加減な記憶。

私、自分の日程表をつけています。
たちまち1ヶ月は過ぎてしまいますが、去年の7月からの日程表が残っています。
予定表ですから大した記事は残りません、あらかじめ時間が決まっていることが予定表に入ります。
主にサークルの日程です。
社交ダンス、英会話、演劇練習日、歯医者の予定日、古今集講座の日程、旅行の日程、カラオケ大会の日程、そんなもので埋まっています。
時間に制約されない日常は、カラオケ喫茶に行ってるか、飲み屋に行ってるか、などです。
新聞を読んだりテレビを見ていたりすることは日程には入りませんがかなり多くの時間を費やしています。
パソコンで遊んでいる時間も結構長い。
不謹慎なポルノの動画もこっそり見れるしな、ククッ。
今はいろんな人のブログを読むのが楽しい、その分読書の時間は減ってしまった。
覚えたい歌を聴いたりギターでポロンポロンと音程を確認したりそんな時間も長い。

これって蟻とキリギリスの話に喩えれば、どう考えてもキリギリスの生き方だ。
のたれ死にするかな?。


ひとり考える

2006年04月25日 | Weblog
拙い思い、誰も聞いてくれそうに無い人生への思い。

人生の最終到着駅は「死」である、という事実は人生の儚さそのものである。
どのように生きようと公平に訪れる。
だから、この人生を精一杯生きようという人もいるし、生きている一瞬一瞬が大事だとも言えないことはない。
しかし、どう生きようとその個人の最後には死が待っていて全てが無に還る。
肉体もそうだし魂も同じことだ。
別の見方をすれば、人類生命はいろいろな形で連綿と受け継がれ生き続ける。他の生命体と同じことだ。中には絶滅種となって地上から姿を消すものもあるが。
地上の生命という見方で見れば、絶滅種といえども何らかの形でその生命が他の種によって受け継がれていく。

無常観とは、やがては全て無に帰するという感情かもしれない。
何をやったところで無意味だし、何をやろうとたかが知れている、あるいは何をしようと一瞬の炎に過ぎない、更に一瞬の命ならせめて自由に羽ばたいてみようと思いに通じないことも無い。

生きる苦しみから逃れるために自ら死を選択する人もいる。
本当に経済的に追い詰められて死を選択する人も、自らの心情に従って死を選ぶ人も、生きていく意味がないと考える点では似ている。

私はどんなことがあっても自ら死を選ぶことはなさそうだ。
老いて死が迫っても「もっと生きていたい」と思うような気がする。
大したことは無いつまらない人生かも知れないが、少しでも長く生きたいと思う。
死が公平に訪れるものであるなら、立派な人生とか卑小な人生とかの区別はありえないし、勝ち組も負け組みも意味を持たない。
どのように生きようと大した意味を持たない。

ただ倫理観には縛られて生きていくように思う。
 人を殺してはいけない
 人を傷つけてはいけない
 人に迷惑を掛けてはいけない
人間は社会的動物、人類が生き延びる知恵として集合体として社会を築いて生きてきたその人類の知恵を生まれてこの方自然に親からあるいは所属する社会から教え込まれてきた。
自分の子供にも生き方を通して引き継いでいく。

そんな無意味な人生ならば、仲良く楽しく生きた方が良いに決まっている。
というよりも苦しいことも楽しんで生きればよいではないかと思う。

朝は一瞬雨だったのに、今は春の陽光が明るく感じられる。
人生は天気と同じ季節と同じ、つらいこともあるが楽しいこともある。
だから生きていける。



セックスボランティア

2006年04月24日 | Weblog
あんまり耳にしたことがない言葉だが、こんな題名の本があるらしい。
文字通り自分で性欲を満たすことが出来ない人のお手伝いをすることらしい。
自慰のお手伝いをしたり、風俗店に連れて行ってあげたり、とか今までは思いも及ばなかったような行為である。
主に肉体的な障害を抱える人の性欲の処理のお手伝い、精神的に障害のある人も対象になるとか。

う~ん、と考えてしまう。
性欲を叶えてあげるボランティアか。
実際にセックスしてあげることも対象になるとか。
寝たきり老人でも性欲がある人はいるだろうし、自分ひとりの力ではどうにもならない場合にお手伝いする訳か。
ボランティアは恋とかの感情は一切抜きか。
もしも、対象者が恋情を持ってしまったりしたらどうなんだろう。

確かに愛情とかの問題を抜きにして、男が欲しい、女が欲しいと思い募る人もいることは居るだろうが。
どうなのよ、これは。
それを満たすお手伝いをすることはやはり必要なことなのか。
人権を尊重すること?
よく分からん。

ただ、私がそういう状態に陥ったら、ここぞとばかりボランティアのお姉さんをお願いしそうだな。