思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

最近の雑感

2007年11月29日 | Weblog

  分別で地球を救うことの危うさ

  温暖化?変わらず季節は巡るけど

  じっくりと対話した記憶が無い月日

  無駄かもね人生の意味考えること

  楽しければいいというのも何だかねえ

  万能細胞って凄いよなその名前

  胃が痛い趣味が高じてストレスに

  睡眠て必要なよな無駄なよな

  恋するって美しいことなのだろか
   

公演日迫る

2007年11月28日 | Weblog
演劇のこと。

今日は午後から大ホールを借り切っての公演リハーサル。
まだ不十分だ。
基本的なセリフ忘れをする人が何人かいる。
私は「出」のタイミングが少し合わない。
全6場のどれにも顔を出すがタイミングが難しい。

あと2回のリハーサルが残っているが、ぎりぎりまで集中力を高めておく必要がある。
イメージトレイニングも必要だ。

ちゃんと払えば

2007年11月27日 | Weblog
彼女は言う。
「ちゃんとお金を払えばチクられたりしないのよ、チケなことしてるからチクられるのよ」

 パートさんにきっちり給料を払う。
 手切れ金はキチンと払う。
 遊んだらキチン払う。

「キチンと払ってあげてればチクったりはしないものよ」

彼女なりの論理。
男は大抵悪いことをしてるし、会社の上層部もたいてい悪いことをしてる、のだそうだ。
払いの悪い奴がチクられる、「当然よ」という。

大変勉強になったような。

ストレスの解消方法

2007年11月25日 | Weblog
ひとはストレスに晒されて生きている。
「のんびり退屈であること」さえストレスになる。

ストレスを解消するには、ひょいと避けて通ることも解決法のひとつだ。
しかし、何となく逃げたという後ろめたさが残る。

正攻法は、ストレスに立ち向かい克服することにある。
成功すれば達成感と清涼感が残る。
しかし、失敗すると挫折感が更なるストレスになる。
だから立ち向かうときはストレスを重ねても克服できるまで努力する必要がある。
体力と気力が必要だ。



夕刊

2007年11月23日 | Weblog
「あれ、今日は夕刊取ってきてなかったな」
というと女房が
「あんたと話してると疲れるワ、祝日は夕刊休みでしょ、いつも何回言わせるのっ」
という。

私の世間知らずな言動には特に厳しい。
延々とたしなめのお言葉が続く。
私はおとなしく聞くことにしている。

そこで1句
 
  老いにつれ妻は力を蓄える

音楽療法士

2007年11月22日 | Weblog
音楽は人の心に関わるところが大きい。
我々の心臓も規則正しいリズムを刻んでいる。
歩くのも走るのもリズムが必要だ。
美しい音色は心を和ませる。
行進曲は勇気を鼓舞する。

先日「音楽療法士」を職業とする親娘2人の講演を聞いた。
まだ国家資格にはなっていないそうだが近い将来そんな国家資格も出来そうだ。

母親はピアノを弾き娘はフルートを吹く。

「日本音楽療法学会」というのがあって「音楽療法」は次のように定義されているそうだ
「音楽の持つ生理的、心理的、社会的働きを用いて、心身の障害の回復、機能の維持改善、生活の質の向上、行動の変容などに向けて、音楽を意図的、計画的に使用すること」

かつてはパチンコ店で鳴らされていた「軍艦マーチ」もその類だなと思う。
何かの楽器を演奏できるのもいいことだ。
カラオケもいいと思う。
皆で歌う喜びもいい…「1万人の第9」に参加したときの感動を思い出す。

音楽も、理解できない雑音と化すこともある。
演歌が嫌いな人は聞くのがいやだろうし、ロックも嫌いな人には雑音だ。

モーツアルトは人の生理機能にうまく溶け込む楽曲らしい。
なぜそうなのか研究されているとか。

この親娘、音楽療法といってもなかなか世間様は認めてくれない中で、信念を持って広げていこうとしている。
それを職業として生計を立てるのはまだ困難だろうなとは思う。

部屋が13

2007年11月21日 | Weblog
英会話でのフリートークで彼女は「家をあちこちリフォームしています」というのに対してある人が質問した。
「部屋はいくつあるのですか」
彼女は暫くの間指折り数えだした。
そんなに一生懸命数えるほど部屋数があるのかな、と思っていたら
「13あります」
という。
「ええっ」
と皆が驚く。

どんな家に住んでいるのだろう。

女45歳

2007年11月19日 | Weblog
「私、昨日が誕生日でした、45歳になりました、相変わらず独身で~す」
と彼女は皆の前で宣言した。
そしたらもうひとりが
「あら、私も昨日誕生日」
と、こちらは来年は還暦だそうだ。

45歳といえば少し前には「人生50年」の時代があったから残りの寿命は5年ということになるだろうが、今の時代はあと40年を生きることになる。
よぼよぼになって生きるのは御免蒙りたいといっても、普通に暮らしていれば大抵の人は生きていることになる。

40年あれば多くのことが出来そうだ。
だとすれば残りの半生をどう生きるかを決める時期でもある。
何事をするにしてもまだ間に合う時期だ。

今までやったことのないことを一から始めることも可能だ。
毎日をただ流されるままに過ごすのではなく、計画を持ってたとえ毎日1時間でもそのために努力すれば大概のことは成就するように思える。

才能がありません、と言ってしまえばそれで終わる。
一見才能にあふれたように見える人は、ひとの何倍もの努力をしている。
才能とは努力の積み重ねではないだろうかと思う。

麻雀ゲームにハマッています

2007年11月15日 | Weblog
久しぶりに麻雀ゲームをインストールして必死でやっております。
学生時代は人の迷惑も考えず寮の部屋でよく徹マンやりました。
麻雀はゲームとしては最上級だと思います。
ふらりと1人で雀荘を訪問して賭け麻雀で学費を稼いでいた「つわもの」もおりました。

パソコンでやるこのゲームある程度の成績を確保すると少しずつ上位に進みます。
10級からスタートして2級まできました。
そのうちに初段2段と進むのでしょうか。

学校時代のことを思い出します。
上位の成績から滑り落ちるのが恐怖で必死で勉強しました。

あの頃の必死さを別のことに向けていたらその道のプロにもなれたかもしれません。
大学に入学して以来プッツンしました。

それ以来プッツン人生です。