思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

誉め上手

2011年02月28日 | Weblog
カラオケ喫茶のママさんは「誉め上手」でないとつとまらない。

「いいお声ですねえ」
「声がよく出てますねえ」
「あなたにピッタリの歌ですね、とてもいいわ」

「いい歌ですねえ、私もこの歌大好きなの」
「ノリのいい歌ねえ、乗ってきますねえ」
「しっとりと歌い上げましたね、いいわあ」

「子節がよく回りますねえ、素敵よ」
「○○さんの世界にはいってるわね、引き込まれそうよ」
「独特のリズムが好きよ、うまく乗ってますねえ」

「この歌難しい歌よね」・・・これはも少し練習して来い、という意味か。

よくまあうまく褒め上げるもんだと思うほど巧みだ。
誉められて悪い気はしないのが人情だ。

演劇にとりつかれた人たち

2011年02月27日 | Weblog
かみさんの友人の演劇を見に行った。
好きな人たちが集まって素人劇団を続けている。
登場人物は女性ばかり数人。

もと私が所属していた劇団の友人も見に来ていた。

覚めた目で見てしまうと、何か幼い演技で進歩が感じられない。
数年前もそのグループの演劇を見たことがある。

趣味のひとつだからとやかく言うのは余計なお世話かもしれない。
セリフ覚えも不完全な人がいたりしていかにも素人劇団だ。

演劇をする人は何年も続けている。
やはり取り付かれているとしか思えない。

高音に挑戦

2011年02月25日 | Weblog
カラオケの話。
年とともに歌うキーが低くなる。
悲しいことだが自然の摂理かもしれない。

歌手によっては2オクターブくらいの音域を使って歌っている人がいる。
いい歌だなあと思って練習しても最低音と最高音のどちらかを優先すると片方が変な声になってしまう。
高いほうに自分のキーをあわせると低音が駄目になる。

ギリギリ低音が割りと出せる範囲でキーをあわせるのが正しいかもしれない。
高音は頑張って挑戦するしかない。
みぞおちにグッと力を入れてブレスして歌えば出せるよ、ママさん。

特ににポップス系はそんな歌が多い。
年寄りの冷や水かもしれないが頑張ってみよう。

つまようじの日

2011年02月22日 | Weblog
今日のような日は「つまようじの日」と名づけよう。

昨晩かみさんが宣言した。
「明日の午後は私用事が一杯あるから車で付き合ってや」
「・・・」

私も午前はヨガサークルで時間をとられるが午後は特別用事はない。
1時出発。
「まず図書館へ行って」
「次は○○銀行、その次は隣市の××銀行と少しはなれた△△銀行」
「それが終わったら母がいる老人ホーム」
「帰りに注文してあるCDをとりにレコード店へ寄って」

その度ごとに「待ってて」と待たされる。
駐車場が無いところはウロウロ車を移動するのに苦労する。

帰りは5時半。
つまのようじで無駄な1日を過ごした。

弔辞を作る

2011年02月21日 | Weblog
ふと、数10年前のことを思い出しました。

私の務める会社の取引先の店主が亡くなりました。
その葬式の前日のこと、私の上司が言いました。
彼は口から先に生まれたような営業畑の人間です。

「おい天道、明日俺が弔辞を詠まんといかんのや、明日まで作って来い。明日の朝練習するからな、読めん漢字につまずいてもいかんしな」
「お前もついて来いよ」

はて、突然「弔辞」といわれても、私はその取引先のこと殆ど知らんし。
「いい、いい。適当でいい。弔辞の決まり文句あるやろ」
てな具合。

しかし、死者にたいして失礼があってはならない。
可能な限りの情報を集めて、練りに練って翌朝上司に提出。
「ええ、ええ、これでええ」
てな調子で2,3回朗読する。

葬儀の場では上司は悲しみの塊になって、弔辞を詠みながら言葉を途切れされたり手を震わせたり、なんちゅう役者やと思う演技。
参列した親族の方々も涙をぬぐうことしきり。

「お前の弔辞の文章最高やったわ、これからは弔辞はお前が書いてくれ」

私は人でなしかもしれないと思いました。

何とはなしに

2011年02月21日 | Weblog
投稿画面を開く。
特に書きたいこともない。
しかし、しばらくの間投稿しないと見放されてしまいそうな気がして何かうめて置かないといかんな等と埒も無いことを考える。

「人生に意味などない」という人もいるようにこのブログも殆ど意味は無い。
このブログから「革命」を惹き起こすような情熱なんかは勿論のことない。
警句のひとつでも述べるような生き方もしてこなかった。

ただ、書く事によって誰かしらの目に留まれば、世の中にはこんな男もいるんだよと伝わるかもしれない。

書くことは表現である。
表現は意思を伝えることである。
「20年間書き溜めた日記」を人に見られたくないために全部焼いてしまったなどという話を時々聞く。
相当の秘密が盛り込まれているのだろうか。

かみさんは高校生の頃の大学ノートの日記を大事にしまって持っている。
読んでみたことがあるがまるで意味不明の文章が連なっていた。
ひとかけらの具体性も無い。

「何のこっちゃい」と私。
「いいのよ」とかみさん。

本人はこの意味不明の文章から当時の思いを鮮やかに思い出すことが出来るのかもしれない。
暗号で綴られた思いであるのか。

この街で

2011年02月17日 | Weblog
「千の風になって」を作った「新井満」さん。
ネットで方々見ているうちに好感が生まれてきた。
そして彼の作った「この街で」、いろんな人が歌っているし彼も歌っている。

この街で生まれて、平凡に生きて、年老いていくことに幸せを見出そうとする歌詞の内容だ。
しかし、実際の人生はそうはいかない。
いろんなことが邪魔をする。
煩悩というヤツだ。

欲が頭をもたげてくる、その度に地獄も見る。
嫉妬も絡み合う。

そうではない落ち着いた日々の理想の人生を望む歌だ。
覚えなくちゃ。
知らないことの多い私です。

かみさんの発表会

2011年02月15日 | Weblog
先日落語の発表会がありました。
プロの落語家も演じます。

「あんたも来なあかんで、友達も応援に来てるんやから」
そんな訳で行ってきました。
5人が演じます、かみさんは前座をつとめます。
出し物は三枝の創作落語で「妻の旅行」
短く編集してあるものの20分くらいかかってました。

老人ホームなど方々でボランティアやってますので大分板についてきました。
「ほう、なかなかのもんやないかい」
と感心。

ギャラをもらえる初舞台だそうです。
5000円なり、安っ。


監視カメラの威力

2011年02月11日 | Weblog
1ケ月前に東京の老夫婦を殺傷した男が逮捕された。
福島県の男だった。
本人はよもや捕まるとは思ってもいなかったかもしれない。

監視カメラの威力である。
警察の緻密な努力の積み重ねが実を結んだ。
殺人現場から福島県の住処までを結びつけたネバリは凄い。

しかし我々の身の回りには多くの監視カメラがある。
このマンションにして然りだ。

まず部屋を出るとエレベーターに乗る、ここでカメラにキャッチされる。
 エレベーターで一人だと思って妙なことをすると全部モニターされている。
エントランスホールにもカメラ、3段式の駐車場にもカメラ。
 管理人室の前を通ると管理人室の数台のモニターカメラのひとつに私の禿げかけた後頭 部が写っているのが見える、通るたびに「畜生め」と思う。
玄関を出たところにもカメラ。

街に出ても、銀行にカメラ、コンビニにカメラ、我々が気づいていない方々で姿を捉えられているだろう。
ホテルも同じだろう。
今後益々監視カメラに追いかけられるだろう。
内緒はなくなる。

カラオケ喫茶

2011年02月10日 | Weblog
「カラオケ喫茶」という名称で営業している店が当市には多い。
もともとスナックを経営していた店が客足が減少して昼も「カラオケ喫茶」と称して営業したりしていることも多い。

当市はこの近辺でも「カラオケ喫茶」の多い街である。
競争が激しいので料金も安くせざるを得ず盛衰も激しい。
いつの間にか店を閉めたり新しく開店したりする。

ここ1,2年の間にも数店が閉店し、数店が新規開店した。
「カラオケ喫茶とは言えコーヒーだけではなくアルコールも出る。
夜はスナックと変わらない。
これで料金の高いスナックは益々客足が遠のく。

営業は体力勝負である。
従業員を雇う力は持てない。
それほど競争が厳しい。
客数は限られているから一人か家族で営業しないと損益分岐点を割ってしまう。

何かの特徴か無いと営業は維持できない。
旧態依然とした営業を続けているといつの間にか客を奪われる。
時代は動いているから、常に市場調査が必要である。

客は「より居心地がいい店、よりリーズナブルな店」に流れていく。
客層は50代より上の年代。
集まる客層もその店の特徴になる。
難しい。
ひとつ方向を見誤ると営業できなくなる。