思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

友達いない歴数十年

2011年05月18日 | Weblog
今心を開いて一緒に語れる友達はいない。
昔はいた。
中学高校時代はいた。

大学時代もいたか。
女友達が増えたかな。

入社して数年間、信頼する友達が出来た。
同期で年上、いつも一緒にいた。
転勤を機会にして次第に疎遠になった。

以来一緒にいて楽しいと思う友達はいない。
競争する同僚、部下、上司、そんな世界でいろんなお付き合いはしても心を開くことはあまりなかった。
帰りの居酒屋、徹夜の麻雀のお付き合い、へたくそなゴルフ遊び、魚つり、ボーリング、全部会社のなかのお付き合い。
言ってみれば仕事の一環。

退職してからは年賀状だけのお付き合い、それも煩わしくなった。

一緒にいて楽しくないと私が思う以上相手も楽しくないはず。

かみさんは俺のことをどう思っているのかな、本当のところは。


馬鹿なことを言う

2011年05月15日 | Weblog
英会話サークル、講師はまだ到着しない。
私の前の席2人はご高齢のご婦人。
時々後ろを振り向いて質問してくる。

「教えて、ここは何でこうなるの」
簡単に答えられるものも、難しい難解な質問もある。

「いいよ、回答1回100円っ」
「ええーっ、積もり積もれば何十万円にもなるわよ、払えなーい」

「最後は体で払ってもらうよ」
「えーっ、それでいいの、うれしいっ、こんな体でいいのっ」

負けてないなあ。

禁煙外来に行く

2011年05月13日 | Weblog
ついに行ってきました「禁煙外来」
「自分では禁煙できません」と顔に書いて歩く意志薄弱のじいさんです。

最初に呼気から一酸化炭素の体内濃度の測定とかがありました。
数値は18、慢性的喫煙者だそうです。

担当は「おばちゃん医師」でした。
何となく知性が感じられませんが。
淡々と話を進めていきます。

「貼り薬と飲み薬があります、飲み薬が12週間かかりますが効果はいいようです、どちらにされますか」
そういわれたら飲み薬にするやろ、と思いながら「飲み薬」と答える。

どうもこのおばちゃん医師
「煙草くらい自分の意思で止めれや」と思っているなと感じる。

「なぜ煙草止めようとするんですか」
と妙なことを聞きよる。
「止めたほうがいいと思ったからです」
と言うと
「そうですね」
と答える。

「支援者を一人作ってください」と言いながら「誓約書」を取り出す。
「支援者の蘭に協力者のサインを貰って提出してください」と言う。
かみさんに書いてもらおう。
他に支援してくれる人なんかいる訳ねえ。

2週間分の飲み薬を貰ってきた。
徐々に強い薬にしていくと言う。
人によっては吐き気などの副作用があるそうな。
やれやれ。

めんどくさい、まあいいか

2011年05月11日 | Weblog
頭からかぶるボタンなしのパジャマ、風呂上りに着る。
全身が汗ばんでいて着にくい。
う、前首の喉のあたりがすこしきついなと思ったら前後逆に着込んだことが分かった。

まあ大した影響ないしこのままでいこか、もう一度やり直すのも面倒だしと決めた。

昨日も間違えてそのままだったがなんと言うことはなかった。
昨日はパジャマのズボンを前後ろ逆にはいた。
なんかお尻がきついような感じはしたが、前開きタイプでは無いのでトイレも同じことだし、まあいいかとそのままにしていた。

最近こんなことが時々ある。
何かの前兆かもしれない。
前後を見分ける間隔の退潮、目・手・触覚等が衰えズボラ感覚のみが増長してくる。

そのうち「人生、どうでいいか」となるか。

何かがいる恐怖感

2011年05月10日 | Weblog
突然恐怖感に襲われることがある。
深夜が多い、音が途絶え闇が支配する時間帯。
暗闇は苦手だ。

最近は殆ど暗闇を経験することが無い。
真っ暗闇は、何も見えないからだろうが、理屈の上からは怖がる根拠は無い。
本能的なものだと思う。

真夜中、ふと目を覚ましトイレにたつ。
部屋の明かりをつけ廊下に出る。

廊下は真っ暗である。真っ暗な奥のドアの向こうがリビング、やはり真っ暗である。
リビングのカーテンがあいていればいつもは街の灯りがリビングドアのガラス越しに真夜中でも見えるが、締め切ってあると何も見えない。
黒い暗闇のみが見える。

誰もいないはずのリビングに何かの気配を感じる。
勿論真っ暗なリビングに誰もいるはずが無い。
見に行ってみようかなどとは考えもしない、怖くて。
ただ、漠然と何かがいるみたいだと思い始めると急に恐怖感に囚われる。

第六感と言うやつだろうか。
太古の昔、人間は真っ暗闇を経験し、自分を襲う敵から身を守るためには鋭い感覚を働かせる必要があったはずだ。
見えなくとも感じて身を守った筈だ。

私はそんな鋭い感覚は持ち合わせない。
鈍くなった五感が間違った働き方をして妄想に近い恐怖感を生み出している。
「何かがいるような」という恐怖感。
何の根拠も無い漠然とした恐怖。
時々経験する。

一人暮らしの人なんかは怖いだろうな。

ハードな一日

2011年05月08日 | Weblog
昨日のこと。

午前中は初級のダンスレッスン。
午後、車で30分ほどの場所でダンスパーティ。
夜、かみさんの落語を聞きに発表会の場所へ、電車で15分。

かみさんは打上げとやらで午前さま。

年だな、疲れがどっと来る。

死ぬこと

2011年05月07日 | Weblog
「O111」という病原性大腸菌による食中毒で4人が亡くなった。
その「ユッケ」を食べた人は誠に気の毒である。
失わなくともいい命を不意に絶たれたわけだから。

食物連鎖というのがある。
頂点に立つライオンはシマウマを殺して食べないと生きて行けない。
シマウマも草を食べないと生きて行けない。
そういう仕組みになっている。

食物連鎖が崩れると絶滅する「種」が生じる。


病気も似ている。
その病気に罹った人は気の毒である。
罹らない人もいるのに罹る人もいる。
治る人もいるのに治らない人もいる。

交通事故、自殺、自然災害、火事などの事故によっても人は死ぬ。
明日生きている保証はない。

一方で人類はその「種」つまり人口を爆発的に増やし続けている。
多分生物のなかでは異常な「種」になっていると思う。

死ぬこととは逆に異常なほどの新しい個体を誕生させ増やし続けている。
日本は長寿国になった。
死んでるはずの年齢でも生き続けている。

多分人類は自然の秩序をいろんな面で破壊し続けている。
それがどんな意味を持つかはよく分からない。

発達し続ける人類の「知能」があらゆる問題を克服しながら新しい秩序を作っていくのかもしれない。
よく分からない。
分かるはずも無い。

怖い話

2011年05月07日 | Weblog
原発をどうするのか、いろんな議論が湧き出している。
人類はまだ原発を完全制御できないと言う事実を突きつけられている。

福井県には15の原発が集中しており、関西の必要電力の50%を賄っているのだそうだ。
そうなると関西経済活動は福井原発なしでは成り立たないともいえる。

アメリカ、フランス、日本の順で原発大国と言われる。

何が起こるかわからない世界情勢、ビンラディンが居なくなったとしても世界のテロ活動の状況に大した変化が起こるとも思えない。

テロによって貿易センタービルの替わりにジャンボ旅客機が原発に突っ込んだりするととんでもない事態が起こる。
起こりえないとは誰にもいえない。
そういう意味では、人類は核を制御できない。
戦争がある限りは、あるいは自然災害を完全制御できない限りは。

予測しない事態はいつでも起こる。
それが核関連に関して起こると怖い。