思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

盲目の人

2008年01月31日 | Weblog
生まれながらの全盲の彼女は自分の子供に絵本を一緒に見ながら読み聞かせることは出来ないだろうかと考えた。
点字の図書はある、しかしそうではなくて普通の絵本を、目の見える自分の子供と一緒に見ながら読み聞かせたいと考えたのだ。
少しずつ協力してくれる人が出てくる。

そして遂に完成させる。
普通の絵本の上に透明なプラスチックで凹凸をつけた絵をなぞり貼り付ける、手で触れるとどんな絵が描いてあるか分る。
書いてある言葉も透明なプラスチックで点字を打ち込む。

彼女と協力者の努力で子供用のそんな絵本が100冊ほどになった。
子供とも「次は何が読みたい」というほどの量に増えた。

あるとき「図書館を作ってはどうですか」と言われた。
それを聞いて彼女は悦に入っていた自分の傲慢さを理解したという。
同じような境遇の人は世の中にたくさんいるはず、なぜ自分はそのことに気づかなかったのかと。

そしてそのような絵本の図書館を作った。
読みたい人がいれば全国どこへでも送料無料で貸し出すシステムを作った。
その無料システムのために文部省を相手に交渉までしたと言う。

この話は彼女の講演で聞いたものです。

そしてこんなことも言いました。
見えないと言うことはどんな様子なのか、見える人からよく聞かれるそうです。
私達は目を瞑ると真っ暗になります。
しかし彼女は
「私は見えると言うことが分りません、したがって闇も分りません、見えないことを悩むこともありません、生まれたときから見えなかったのですから」
「皆さんは空飛ぶ鳥を見て自分が飛べないことを嘆くでしょうか、それと同じことです」

彼女はなんと元気溌剌としていたことか。
既に数冊の著書までチャッカリと出版している。

感心したのは、彼女は「やりたい」と思ったことはやり遂げるまで努力を続けていたことだ。
雨だれ石をうがつ、という言葉を思い出す。
一念岩をもうがつ、かな。

英語の歌

2008年01月31日 | Weblog
府の「アクティブシニア講座」も2月で終わる。
3月には卒業式がある。
同窓会の勧誘もしつこい。

英会話のグループも卒業旅行をするとか、各サークルもいろいろ今後の会の運営を検討したりしている。
その類の会には殆ど関心がない。

先日「英語の歌を歌う会」を作るので参加して欲しいといわれ承諾してしまった。
英語の歌といっても日本で言うナツメロだと思う。

時々集まって英語の歌を歌うのだそうだが、どんなもんだろう。
皆住所はバラバラだし、そのために本当に集まるのだろうか。
この年代は「歌声喫茶」の経験者達だから、そんなノリなのかも知れない。
私は経験は無いが。

皆ひと恋しいのだと思う。

今日のお題は「眼鏡」です

2008年01月28日 | Weblog

  いにしえの眼鏡ない頃想像す

  眼鏡買う基準ひとえに似合うかな

  サングラスなぜ似合うのか白人さん

  眼鏡顔隠したがるな老嬢も

  かすむ文字眼鏡なしでも読める振り

  眼鏡なしでパスして胸をなでおろす

  見えぬはずと思った妻は見えていた

  心には大抵持ってる色眼鏡 

  サングラスいろいろタイプ買ってみる

  若い頃度のない眼鏡かけていた

  眼鏡かけセクシーになるひともいる 

チャリティカラオケ大会

2008年01月27日 | Weblog
市民ホールでカラオケ大会があって参加しました。
チャリティと銘打っていたせいか市長夫妻が挨拶に来ていた。
市長夫人まで1曲参加した。

私達は5時ごろに出場のはずが、順調に進みすぎて1時間以上早まってしまった。
忙しい女房は別の場所で新年会に参加していて私が迎えに行く段取りになっていた。
どうしても遅れそうなので私達の出番を遅らせてもらった。

司会者も素人と見えて私の歌の後で
「続いて奥様が歌います」なんて紹介していた。

結局全て終わったのは予定時間の1時間前の午後5時。
大抵は予定がずれ込んで1時間ほど遅れるのが普通だが、今回みたいのは初めてだ。

まあまあ楽しかった。

思いつくままに

2008年01月26日 | Weblog

  寒いねえ交わす言葉の温かさ
 
  踊りつも小言の多い憎き妻

  何事も無いよにめぐる街の雪

  遅刻して席で化粧を直す人

  太ったね思わず本音をいう悔やみ

  あの店は男客が多いねと他所のママ

  かち合わぬように曜日を選ぶ客

  男と女勝っているのは女のよう

  もしかしてこれは嫉妬かふと思う  

  仕込まれた家事見て妻はやったねと

  例外もあるだろ考えぬ葦だって

  生きるため従いましょう妻の指示

  Maybeは考えておきますと似てるかな

  知ることの益々多くなる世間

    

地球を救え

2008年01月25日 | Weblog
最近、環境問題が取り上げられる機会が多くなった。
そんなことに触れるたびに「地球を救え!」という気持ちになる。

環境問題が沸点に達したときに、変化が急激に訪れるように思えてならない。
南極の氷が急激に溶け出す、ヒマラヤの氷河が突然急激に氷解し始める、そんな事態がなす術もない短期間で進行するかも知れない。

2酸化炭素が地球を厚く覆いつくすのも、ある時点から急激に進行するかも知れない。
本当に「しまったっ」と気づいた時には遅すぎるかもしれない。

人類がお互いの国家間エゴをぶつけ合い、いがみ合ってるうちに、その日が突然やってくる。

新しい地球環境に適応した新しい種が誕生し、何千万年かあとに人類という愚かな種が絶滅した歴史を振り返るかもしれない。
私達が古代の化石を慈しむように。

そんな日が来るかもしれないと思いながら私を含めて殆どの人は他人事のように思っている。
問題があまりに大きすぎて、多くの人はなす術がないと考えている。

今世紀の国連のスローガンは「地球を救え」が相応しい。

資本の論理も「それは地球を救えるか」にすべきだ。
特にアメリカの大資本に言いたい。

生きた化石

2008年01月24日 | Weblog

テレビでアフリカの海でシーラカンスが撮影された番組を見た。
シーラカンスは200メーター以上の深海に生息する。
4億年前から変わらぬ姿で深海でひっそりと生き抜いてきたらしい。

ほぼ人間と同じ程度の大きさと重さを持つ。
エコな生き物だ。

深海は餌が少ない。
暗い深海で殆ど動くことなく岩のくぼみなどで静かに一生を終わるようだ。
餌が近づくのをひっそりと待ち続け目の前に来た瞬間に俊敏に喰らいつく。
鼻を持っているので臭いで見分けるとか。

その形態が全く進化しなかったのは、住環境に100%適応していて進化する必要が無かったためといわれているらしい。

なんともユニークな生物である。
好きになった。

誕生日

2008年01月24日 | Weblog
来るなよ、と思っても誕生日は明日やってくる。
66才。
高齢者、老人、じいさん、客観的には否定しようがない。
まだ「なにおっ」と思っているが、頑張りすぎても大人気ない。

とはいえ、
若者に教訓を垂れるほどの知恵もない。
波乱万丈とは無縁な何もない人生。
長老というほどの風格のひとかけらもない。
無駄飯食ってきたような人生。

希望とか可能性とかには、縁が遠くなったような感覚。
意欲を失うことは全てを失うことである、そんな言葉にも妙に納得するような。

自虐的に言えばそんな感じの誕生日を迎える。

エコ生活

2008年01月24日 | Weblog
暖房費は灯油が一番安いと女房は思っている。
多分正しいだろう。
昔、会社の女子社員で彼女の収入が一家の生計費になっているといってた人が言うには「一番の安上がりはたくさん着こんで過ごすこと」だそうだ。

一昨年までは灯油は配達してもらっていた。
値上がりで配達料まで値上がりして、ガソリンスタンドで買ってくることになった。
今日も20リッター缶を2つ車に積んで買いに行った。
自分で給油する。

灯油の調達係りに任ぜられた。
女房は
「私は洗濯している」
「昔から山に芝刈りに行くのはじいさんでしょ」
という。

それにしても2缶下げて運ぶのは、僅かな距離ではあるがこたえる。

資格証明書

2008年01月21日 | Weblog
女房とカラオケに行ってきました。
然るべきステージがあって、そのステージの上で歌います。
どちらかといえば自分は歌がうまいと思っている人たちが集まるお店です。
女房もどうせひとの歌を聞くなら上手な歌を聞きたいと申します。

行く前から女房は少し耳が痛いといってました。
舞台の上で伴奏が良く聞こえなかったそうでいつもと違う様子でした。

帰ってから耳鼻科に行きたいといいます。
直ぐ隣に耳鼻科がありますので「行ってくれば」というと「その医者は嫌だ」と申します。
行きつけの耳鼻科は車で30分ほどのところです。
「インターネットで予約して」と申します。
待ち時間は9人目でした。
直ぐ出発です、私は運転手。

駐車場で約1時間、終わるまでじっと待ちます。
カーナビでテレビが見れます。
ニュースが終わって「クローズアップ現代」の時間です。

今日の話題は「資格証明書」でした。
何の資格かと思いきや。
国民健康保険の話です。
保険料の支払いを怠ると保険証は回収され、最後に資格照明書なるものが発行されるそうです。
その証明書の末尾に「医療費は全額個人が負担する」と書いてあるそうです。
健康保険では一切補填しませんということです。
「資格剥奪証明書」ではありませんか。

この資格証明書が発行されたひとは全国で30数万人もいるそうです。
そしてその人たちは当然体調が悪くても医者にはいけません。
保険料すら払えないのに全額個人負担の治療を受けられるはずがありません。
普通の風邪でも全額個人負担となると1万円程度になるそうです。

そんな風にして治療も受けずに死んでいく人が増加しているそうです。
治療を受けれは死なずに済むのに、です。
行政に相談すれば救済の道は開かれているそうですが、納得できません。

「健康で文化的な生活を営む権利」を憲法で保証されている国の出来事とは思えません。
格差社会とはいえ、どんなに貧乏しても病気の治療を受ける権利は全国民が等しく享受できる社会にならないといけないと思います。

「お金がないから医者にいけない」といって生きていく権利を奪われてしまうことはなんとも悲しいことではありませんか。
経済大国を誇る日本で日常的にそん事が起こっていることは悲しいですね。