思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

指で数える

2007年08月26日 | Weblog
ひとつ、ふたつと指で数えるときは普通はまず親指を折る、次に人差し指をおる。
ところが女房はまず小指を立てて「ひとつ」と数える。
従って「ふたつ」は薬指を立てるという順序になる。

「むっつ」の数の数え方がが彼女の場合は「ひとつ」なのだ。
もう長年不思議な数え方をすると思ってきたが、遂にこの方法を変えることは無かった。

今日も小指から数えだして「1枚・2枚」と数え始めた。
「何を数えてる?」
と聞いたら
「必要なパンツの枚数よ」
という。
我々の年代はパンツといえばズボンのことではなくて下着のことだ。
(「パンティ」というと何かしら生々しい語感があって使用しない)
旅行に持っていくべき下着の必要枚数を数えているのだ。
靴下の枚数も同様だ。
それはホテルでの宿泊回数とイコールになる。

ついでに言うと旅行には一番ボロボロになった下着を持っていってそのままホテルに捨ててくるようにしている。
ホテルは迷惑かもしれないが、旅行から帰ったあとの洗濯物の量を減らすためでもある。
その方法を私にも強要する。

おばさん族にはそういう人が多い。
スーツケースのお土産スペースを確保するためである。
2連泊3連泊するならホテルで洗濯する予定で荷物を減らす手もある。

そんな訳で明日の午後から6日間の旅に出ます。

世界陸上大阪

2007年08月25日 | Weblog
今夜はマンションの総会と理事の引継ぎがあった。
8時半ごろ終わって部屋に帰ると女房が一生懸命に電話している。

NHKに電話しているらしい。
今日は朝から大阪の長居陸上競技場で「陸上の世界選手権大阪大会」が開幕している。
ところがNHKは殆ど取り上げていないことに怒っているのだ。

やっと1度は電話が繋がったらしく理由を聞いたら
「映像が手に入らないみたいですよ」
とか生ぬるい返事が返ってきたとか。

毎日放送が放映権を持っている様子で毎日放送は特別番組を組んでいる。
しかし、NHKが殆ど取り扱わないことに腹を立てている。
いろいろ悪口を言う。

「何が皆様の公共放送じゃっ!」
「公共放送で取り上げないのは世界から集まる選手にたいして失礼じゃ」
「大阪でやるからだと思う、東京でやったらもっと取り上げるはずだ」
「NHKの大阪支局、もっとしっかりせんかい」
「開会式では天皇陛下も挨拶してるのに」
「東京中心主義にかたよっとる」

そのうちに電話の音声が変わって留守電になってしまったらしい。
「この受付業務は9時で終了しています」
なんと8時45分に留守電に代わってしまった、といってまた怒っている。

ちなみに女房は陸上競技スポーツはあまり関心が無いはず。
野球の阪神ファンではあるが。

そして、この陸上競技の観覧チケットがあまり売れてないらしい。
観覧席もガラガラのはずだ。

果たせなかった夢

2007年08月25日 | Weblog
定年後に「果たせなかった夢に挑戦」とか言う話を時々耳にする。
多分、私の場合はそんなものはひとつも無い。
そんな夢を持ち続けた人は、定年後に夢に向かってすぐスタートを切れる。

社会人になってからは「その日暮らし」の日々だった。
流されるままに会社生活が過ぎていった。
僅かな小さな夢もいつの間にか色あせて、どうでもいい事のひとつになった。

小さな夢のひとつに「職人仕事」があった。
靴職人、ジュエリー加工、銀細工、絵画、絵画は職人仕事とは言わないかもしれない。
昔々は作家を夢見たこともある。

何事もはじめるに遅すぎることは無い、そんな言葉に慰められていた時期もあった。

そんな環境から次第に遠ざかってゆくような気持ちの流れがある。
今日常やっていることは所詮ただの遊びに過ぎない。
命が枯れ始めたのかもしれない。

雛形あきこさん

2007年08月24日 | Weblog
今日テレビに出ていた。
NHK朝ドラの旅館の主婦役で好演している。
私も見ているが、得な役を演じているなと思うが、彼女にはそれだけの裏づけがあるんだな、と今日のテレビで納得した。

老舗の旅館で女将の道を捨てて主婦を貫こうとする役柄にずっと好感を持っていたが、やはり演じる彼女の人となりも反映しているような気がする。
本人バツイチとか。

こういう女と暮らしてみたい。
勿論「恵美子さん」と言う女房役の彼女のことですが。

ジェット燃料

2007年08月21日 | Weblog
今回の航空機事故で、ジェット機の燃料タンクは主翼についていることを知った。
今後は主翼付近をよく見つめよう。
かすかな煙でも見逃すまいと思う。

90秒ルールと言うのもはじめて知った。
今回は機長が脱出を指示してから全員が脱出するまでの時間は60秒だったそうだ。
見事な訓練の成果だ。
機体の設計はこの90秒ルールが義務つけられた構造を要求されているそうだ。
ジャンボ機には6箇所脱出口があったと思う。

それにしても中華航空は危ない会社だ。
機体の点検手続きに一見分りにくい何らかの問題があるはずだ。
多分なんでもないような初歩的なチェックが抜かっているような気がする。

命には代えられないとはいえ、乗客の荷物は、スーツケースは手荷物はすべて灰になった。
日常生活が一瞬にして引き裂かれてしまう。
私自身はこんな経験はいまだに味わったことが無い。

何時どんな目に会うか分らない。



ギャグ

2007年08月20日 | Weblog
今日、車で某病院のそばを通った。

大分前になるが女房がフラフラとよろめいて倒れ、吐き気がすると言ってカーペットを汚した事件があった。
やっとの思いで病院に担ぎ込み緊急の診察をしてもらったことがある。
医師は女房の脳をスキャンして輪切りにした何枚もの写真を貼り付けて
「脳には特に異常は認められませんね、正常ですね」
と言った。
(実際は耳垢が溜まりすぎていたのが原因だった)

そのことを思い出して助手席の女房に言った。
「あの時は驚いたよ、君の脳は正常と言われた時は」
女房は
「ふっふっふ」
と言った。続けて
「脳を輪切りにしても、形の正常は判断できても、考えてることまでは輪切りに出来んよ」

ごもっとも。

予想を超える温暖化

2007年08月19日 | Weblog
地球の衛星写真で北極の氷面積を比較すると過去最大の縮小だと言う。
しかも、学者が30年後と予想した状態よりも縮小が進んでいると言うから背筋が寒くなる。
北極の氷面積が縮小することによって地球の温暖化は更に促進されることが予想されると言う。
白い氷が太陽熱を跳ね返す割合が減って更に地球に吸収されるからだそうだ。

この2,3日、この街も日中はジリジリと照りつける太陽のため殆ど歩く人はいなくなる。
明るいシンとした物音が無い静かな街になる。

暫く前に行ったインドの北部は44度を記録したと言っていた。
我々日本人は外を歩くだけで顔が熱で真っ赤になり、のぼせ状態になる。
世界の平均気温があと何度か上昇したら人の住めない地域は大幅に増えそうな気がする。

人類は自らを破滅に導く活動を更に活発化している。
経済発展が国民の幸福とばかりに大量のエネルギーを消費する。

ゴミの分別、電気をこまめに消す、そんな行為が地球を救ってくれるとは納得できない。
何故か、無能な指導者に先導されているような危惧を感じてしまう。

痛覚

2007年08月18日 | Weblog
痛みの感覚です。
私は痛さに弱い。
少し歯茎が腫れたりすると、「この世も末」というほどの苦痛を感じます。
人間以外の動物は殆ど痛みを感じることはないとどこかで聴いたような記憶があります。

先日、バイクでツーリング中の男性が、高速道路でカーブを曲がりきれずに中央分離帯に接触し左足をぶつけました。
それから約2キロメートル数分間走った後に自分の左足が足首から切断されて無いことに気づいたそうです。
仲間が戻って足首を捜したら見つかったそうですが複雑骨折していて元に戻すことは不可能だったそうです。

何故自分の足を切断したのに彼は気づかなかったのか、識者が解説していました。
あまりの激痛だったためと、高速で走っていて意識がカーブを曲がることに集中していたせいではないのか、と。

こうしてみると痛覚とは何ぞや、とふと考えたくなります、
人間の感覚はなんと騙されやすいことか。
歯が痛いときも痛み止めを飲めば痛みは感じません。

「心頭滅却すれば火もまた涼しからずや」と修行僧は言います。
「無痛分娩」なんていうのもあります。
催眠術で導かれた人は、やけ火箸だと言って氷を肌に当てられただけで火傷が出来るとも言います。

だとすれば、自分の脳をコントロールすることによって痛覚をコントロールできる訳です。
その代わりに、自分の体の異常を見過ごして病気を悪化させてしまうと言う代償を払う必要がありそうですが。

湯のみ茶碗

2007年08月18日 | Weblog
食後に皿を洗う仕事は私の分担である。
今や、何の抵抗もなく手が動き出すようになった。
時々、あんな簡単な食事だったのに、何故かくも多くの食器・フライパン・ボール・まな板・包丁等が必要だったのかと不思議に思うことはある。

今日は女房は朝から出かけていった。
小学校に「朗読」の出前だとか言っていた。
この暑い中でも平気で出かけていく、きわめて元気だ。

昼飯は一人で済ますことになる。
皿を洗うのはその後に朝の分もまとめてやることにした。
カレーライスを食う。

自分で食事を作るときは殆ど皿は汚れない。
昼飯に使用したのはカレー皿1枚とスプーン1個だけだった。
それにコーヒー用のマグカップ1個。

そして、すべての食器と調理具をあらいを終えた。
シンクタンクの中には白い洗い桶だけが残った。

暫くテレビをつけたまま「うとうと」とした。
気がつくと30分ほど眠ったみたいだった。
タバコが吸いたくなって、キッチンの換気扇の下に行く。

そこで驚くべき光景を見て背筋が寒くなった。
さっき洗い終えた白い洗い桶の真ん中に湯飲み茶碗が1個置いてある。
いつも女房が使っている茶碗だ。
茶碗の縁にはうっすらと口紅がついている。
さっき全部洗い終えたはずだし、1個だけ洗い残すはずもない。
だとすれば、洗い終えたあとに誰かが置いたとしか考えられない。
誰かがいるとすれば女房以外にはない。

「なぜ?」女房が帰っていたのかな、と思ったが帰っている様子はない。
わざわざ玄関扉の鍵も確認した、朝内側から鍵をかけたままだから内鍵を開けない限りは入れない。
私はお茶を飲んでない。


前から思っていたが、やっぱり女房はエイリアンだったのだ。
そして日本茶が好みのようだ。
物理的な空間は何の支障もなく移動できるのだ。

そのことはずっと私に隠しているが、時々こんなことでボロを出す。


ちょっと怖い話

2007年08月17日 | Weblog
私はすべての感覚を失っていたが、聴覚だけが妙に冴えていた。
ベッドに横たわる私の胸に医師が聴診器を当てる仕草が空気を通じて伝わってくる。
次に小さな懐中電灯を使って、こじ開けた目に光を当てる。
私の口元に医師が顔を近づける。
そして腕時計を見る。
「9時35分、ご臨終です」
と厳かに言葉を発する。

「えっ、私が死んだ?、この意識は何なんだ、まだ生きているっ」
と叫ぶが、実際には私は死体のように横たわっている。

3日後に私は葬儀を終え、死体焼却所にいた。
誰も私の死を疑うものはいない。
「誰か気づいてくれっ」
と祈るが所詮無理な話しだ。

突然皮膚に知覚がよみがえり熱気にむせた。
「助けてくれぇ~っ」
と突然に大きな声になった。


子供の頃、焼却場の係員が、火を入れた後にそのような大声を聞いたことがあると言う話を聞いた記憶がある。
それは本当に生き返った声かもしれないし、体内の空気が熱で外に出るときに喉を震わせて発する音かもしれない。
今ほど医学が発達しておらず完全な死を確認出来ていなかった時代があった。
完全な死を迎えないままに、焼却熱で突然すべての知覚が元に戻って生き返ったのかもしれない。

ヨーロッパはいまだに土葬が習慣になっている。
昔は墓を暴く泥棒がいたと聞く。
一緒に埋葬された貴金属など高価なものを狙っての犯罪だ。
そんな棺の中に時々、棺の中板が爪でかきむしられ血の混じった爪跡がついていることがあったと言う。
埋められた後に意識が蘇って、何とか出ようと爪でかきむしった訳だ。
これも医学がまだ完全な死を確認できなかった時代の話だ。