ぴかの独り言 GooBLOG vol.1

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生え変わる・・・いや、生まれ変わるのだ。

2014-08-25 11:44:00 | ノンジャンル
こんにちは。

なかなかすっきりしない天気が続いております。

それでも少しずつ、の気配を感じているのはあたしだけではないようです。


今朝も田んぼへ・・・

初穂を確認して今日で4日目でしょうか?

田んぼの稲たちは、それは一斉に時を感じて穂を出しておりました。

あたしゃ、毎年思うんだ・・・キミたち、何で今この時!というのがわかるんだい?

周りの田んぼでは、早稲の品種がすでに黄化すらするほどに育っておりますが、それもまた種としての

「オレたちは今こうしなきゃいけないんダカンネ、理屈はナインダカンネ!」

という命の根源にまつわるdesciplineとでもいうのか?意志のようなものすらあたしは感じておりまして、ただただ感服するのです。

そして、いずれ刈り取られることになる身を知るあたしは、こんなことも思う。

「キミたちの命は、粗末にしないから・・・」


どういうご縁かわかりませんが、どうやら命というものがありまして、それがたまさかあたしは人間という形で生まれ、彼らはお米という形で生まれたらしい。(という気がする)

そんなことは考えなくてもいいのだけれど、脳ミソのない彼らが、何であれほどにしっかりと生きる意志を見せるのか?(あたしには、それは彼らの強烈な意志に見える)

比べて脳ミソらしいものがあるあたしに、その強烈な生への意志はあるのか?

あるとも思うが、では、何のためのあたしの命ぞ?


田んぼを一通り観察して、帰り際、一つだけ腑に落ちたことがあった。

毎年毎年、同じように同じころに彼らは芽吹いて命をつなぎます。

あぁ、そうだ!

次の世代のためなんだ!

・・・

今のあたしの命の役割として、それだけはストンと理解できました。


脳ミソが何のためにあたしについているのかも不思議なんですが、言葉にならぬ何かを感じられるものは、研ぎ澄ませておきたいと思っております。


とっさに思い出した言葉。

「あちら側への入口へと続く道には、善意のレンガが敷き詰められている」

(マルクスの原文では「地獄への道は善意で舗装されている」と訳されているようです)


子供たちは、決してあちら側には渡しません! by お父さん







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