こんばんは。
夜中の3時です。
目が開いてどうしようもないので、ブログ、書きます。
一昨日、お医者の許可が出て、19日目にして流動食から解放された。
当初、少しずつ食べられるものにしましょうかね・・・という感じだったのですが、いざ実食となりましたら、
翌朝から、いきなりこれが出た。
据え膳食わぬは男の恥でございますから、ありがたくいただきました。
(本人、いきなり食えるか?と思っていましたが、食えるもんだね)
ただ、その後しばらくは、やはりというかななんというか下痢が治まらずに、半日トイレを行ったり来たりしましたよ。
それでも、こうしたご飯が食べられる判断をいただいたということは、あたしがそれなりの回復をしていると見立てられたと思うと、それは嬉しいのであります。
で、その日は3食、ご飯こそお粥ですが、しっかり献立通りをいただきまして、明けて翌日の昨日。
この日は大腸カメラがありまして、朝からまた絶食の上こちらを飲んで、昨日食べたものを全部排出するという、直木さんいうところのイジメみたいな行事が続きました。
これが大変まずい。
過去にも3回やりましたが、同じものながら、今回は格別不味かったような気がしました。
それでも、治療のためなら仕方がないので、9時から11時にかけておよそ1.5Lをゆっくり飲む。
飲んでしばらくすると、すぐ便意が表れてトイレへ。
これを10数回繰り返すと、便が透明になって、診察におあつらえ向きとなるのですね。
一応準備が整ったと検査部に報告はいったようですが、他の患者との調整もあり2時間ほど後にいよいよカメラ。
この頃になると、朝昼食べてない上に例の下剤で疲れてしまっていましたね。
それでも車いすに乗せられて、検査室へ。
前回カメラで初めて麻酔なしをやったらめっちゃ痛かったので、今回は麻酔でカメラだよ。
・・・
知らんうちにあっという間に終わって、半分寝ぼけながら部屋に戻りました。
その後も眠くて半寝しながら、そのせいで今午前3時の丑三つ時に、棟の応接室でこれ書いてます。
良い結果を願っています。
前回のおじいちゃんに続き、もう一つあたしの気にとまったことがある。
当然ながら、入院している人がいずれ退院していかれます。
そんな人たちの中に、たまたま同室の誼(よしみ)もあり
「ご退院、おめでとうございます」
と声を掛けますが、中に、
「退院したくないんだ・・・」
と、愚痴のようにおっしゃる方がいる。
どうやら、家に帰っても誰もいない、世話をしてくれる人もいない、頼む人さえいない・・・という理由があるみたい。
なるほど、そういうこともあるだろうと、あたしはようやく気付くのでした。
(あたしなんざ退院したいばっかりだから、つい「おめでとう」になってしまうのね)
そしてまた考えた。
図らずもそうなった人もいるだろうが、わかっていながらそうなるべくしてなった人もいる。
自己責任とかを言うつもりはなくて、それは本当に、なりたく無くても体がそう動いてしまうとか、障害があるとか、言わなくてもいいことを言ってしまうことを抑えられないとか、いろいろあるですね。
で、退院したのちに困る自分がいるから、退院したくないという結論。
さて、どうする?
・・・わからん。
一つ期待できるとすれば、政治力。
つまり、望まぬのに萬止むを得ずそうした人は、政治で救うしかないかもと思うのでした。
関係ない話を一つ。
小学校くらいかな?
家族で晩御飯を食べていて、何かの拍子にテレビかで可哀そうな捨て子の絵が映った。
それを見て、助けてあげたらいいのに・・・とあたしが言うと、父が、「芭蕉は、その子を見捨てた」と言った。
つまり、旅の途中で芭蕉さんが捨て子を見つけたときに、およそ世話ができるはずもなく、その子の生い立ちこそ恨め、その子に罪はなく、それをひっくるめて許せと念じながらそこを立ち去ったというお話を、父がしてくれた。
子供心にこれはある種、良い教訓になったと思っています。
まぁ、そういう事が、この退院患者にも当てはまると思うのね。
だから、国家とかという単位でないと対処できないことかと思うのでした。
そんなことを考えながら、あたしは幸せである・・・という結論でした。ちゃんちゃん。
あたしが幸せなわけの、一部紹介。
少し前の長男からの便り。
とっとと元気になれというのが、長男らしい。
次男は良くやり取りしてますが、一人でダイエット頑張ってます。
随分頼りがいが出てきました。
琴美ちゃん。
全方位に馬力の違いを見せつけております。
そんな琴美ちゃんに、いつも助けられています。
琴美ちゃん、ありがとう。
まだまだたくさんのご縁のお陰のあたしですが、それがまたあたしの幸せの原動力でもありますの。
みなさん、ありがとうございます。
早く退院して、みんなと遊ぼう。
よろしくお願いします。