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台湾で第2次の民進党政権が誕生

2016年01月17日 | Weblog

TMA講師代表:中村哲夫の専門的な研究

こまかなことは、報道メディアで十分な情報がえられる。なので、ここは北京と香港でのどのように台湾の政権交代が受け止められているかにつき解説しておきたい。

 まず、北京では、「台湾地区のリーダーが交代した」という見出しで、「地区政権」の交代という非常に抑制された形で、「人民日報」が報道している。香港では、大陸系の「文滙報」が、「人民日報」記事を紹介する形でしか報道していない。そもそも「台湾地区」という表記が、台湾が中国固有の領土という前提で、台湾の独立を認めないという厳しい一線を示している。香港では、民主派を代表する「明報」が、台湾の国民は、大陸との関係につき「現状維持を選択」という表現で抑制的に報道している。両者が共通するのは、台湾の民進党の勢いは、そのまま香港政治のありようを急速に変える刺激を避けようとしていることである。

 香港人は、植民地宗主国であるイギリスとの間で、自治政府を創る機会を1980年代に逃し、小平が上手く北京外交の力で、イギリスから香港返還をせしめることを黙認した。そもそも、固有に香港人といえる定住民の文化が定着していたとは考えにくい。

 それに対し、台湾では、中国国民党は大陸からの亡命政権である。この政権を合法的に、非暴力で野党に押し込むことに成功したのは、日本統治時代に、日本領台湾を経験した人々である。国民党が台湾に渡ってくる以前に、日本の統治下で、台湾の社会インフラを構築してきた福建系、広東客家系の住民である。特に、台南地区では、亡命政権である国民党への批判は強い。ところが、今回の政権交代は、北部の台北の学生運動に端を発している。国民党の中国共産党との第3次国共合作路線への学生の異議申し立てが、民進党の台北市での躍進を生み出した。

 香港人のおかれている法的地位は、イギリスの香港返還が北京政府に対して行われたことと深く関係している。自主独立の努力がなかったからである。台湾人の場合、日本の敗戦は、国民党に対し宣言されたものだから、蒋介石国民党の台湾統治権には、第2次大戦の戦後処理が絡んでいる。民進党の勝利は、日本の台湾統治権を日本領台湾の住民に返還したというシナリオとなる。だが、これに対し、当時の日本人には、自己犠牲による台湾住民への貢献がない。台湾人が自己犠牲を伴いながら勝ち取った成果である。香港の報道が過熱していないし、北京も中台関係の「現状維持」がたもたれると平静を装っているが、おそらく台湾の国民党が再び政権の座を回復するのは10年以上も先になるだろう。

 民進党がうまく国際外交を展開し、シンガポールなどの広東系、福建系の海外華僑華人2億5千万の支持を手にすれば、中国の歴史は台北から大きく変化する可能性も否定できない。台湾では、浙江系の移民集団が政権を失い、浙江系による第3次国共合作が破たんしたことを意味する。僕は台湾の方には何の貢献もしていない。ただ、2011年の辛亥革命100周年の記念行事では、中国大陸からの招待を断り、台北の友人のお誘いで台北で研究報告をした。民進党の古い体質は、大嫌いであるが、今回の台北の学生、女性の運動は、民進党という政治ツールを動かし、慎重に進路を選択していることで、やがてアジアの歴史の大道になると思われる。歴史家の勘として、5年前に中国人社会の意識変化を読み込んでいた。民進党が孫文、蒋介石に対する客観評価、世界史における役割評価を間違えないならば、世界の大政党への道は開かれる。これが、僕の民進党系の歴史家への提言である。


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