富山マネジメント・アカデミー

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国境なき世界へ向かう困難と偏狭な民族主義への回帰

2016年12月03日 | Weblog

TMA講師代表:グローバル企業の出現により、地球的規模の「国境なき世界」論は、20世紀よりも21世紀になり、それを支持する人が増えた。理由は、かなり広範囲な国際結婚の広がりである。しかし、歴史の大勢は、まだグローバル化が主流ではない。しかも、グローバリズムを推進する主体はどこにもない。世界政党が消え、全ても政党が国家の寄生しているからである。世界史には、マルクス主義の世界政党が存在した時期があった。けれども、民族間の利害の対立が克服されないままに、各国の共産党が分立することになった。例外的には、ユーロが地域グローバリズムとなったが、ユーロそのものを支える単一の政党はない。種族主義的な民族の政党・政治運動に回帰する動きが主流になった。

偏狭な民族主義への回帰という点では、今や例外なき共通現象となっている。しかし、それにも細分化の極限がある。2017年からは、アメリカ国民の選択により、偏狭な民族主義国家の露骨な利害の対立とその調整のため、露骨な局地・限定的な戦争が、さらに常態化するだろう。

歴史は、グローバリズムとナショナリズムとの左右の振幅を伴いながら、高次の調整へと進む。2020年のアメリカ大統領選挙は、ひとつの目安となる。日本ン経済と経営組織にとり有利なのは、グローバリズムである。しかも、日本流のグローバリズムである。文化的なソフト・パワーを主体に、日本が孤立しないように、なおかつ周辺国のナショナリズムによる軍事攻勢に耐えるには、リスク・ヘッジの限度内で、国内の右傾化と底辺層への福祉を徹底させることが望ましい。その際、朝鮮半島からの近代、現代の移民の問題である。「在日」を排斥することで、日本人が失うものは大きい。かといって、外国人選挙権まで整えるのは、理屈を明快にしすぎる。左右の両極を避け、中間の「ぬるま湯」が最適の選択である。憲法に関心を持ちすぎるのも、まるで無関心なのも、両極端である。我々には「中庸」という、「あいまいだけど正解を含む領域知」に生きる知恵がある。答えは、左<中庸域(正解が隠されている)<右という不等式の範囲で示されている。孔子は、両極をとらない、と。


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