座間コミニティー

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◆彼らはあなたの家の豊かさを心ゆくまで飲むでしょう。

2015年03月04日 18時22分34秒 | 聖書

(詩篇三六・八)

シェバの女王は、ソロモンの食卓の豪華さに驚いた。同時に、食卓に連なる臣下の数が多いのにも驚いた。しかし、恵みの神のもてなしに比べれば、これも取るに足りないことである。数えきれないほど多くの神の民が、日々養われている。彼らは飢え、渇き、大いなる食欲をもって宴会の席につくが、そのうちの一人でも満足しないで帰ることはない。一人一人が、またすべての者が満ち足り、いつでも満足する。主の食卓に連なる群れは、天の星のように無数であるが、その一人一人が十分な食事を与えられている。一人の聖徒がどれだけの恵みを必要としているだろう。その一日分であっても、無限なるお方のほかにだれも満たすことはできない。しかし主は、ご自分の食卓を一人ではなく、多くの聖徒のために、一日ではなく幾年間ものために、しかも幾代にもわたって備えてくださる。
冒頭の聖句に示されているごちそうの豊かさに目を留めよ。あわれみの宴会に連なる客は、十分な満足を与えられる。否、「心ゆくまで飲む」。それも、普通のごちそうに満ち足りるのではなく、善と美を尽くした神の家の特別なごちそうに満ち足りるのである。そしてそのようなごちそうは、主の御翼の陰に信頼をおくすべての人の子たちに、約束され、保証されている。
かつて私は、神の恵みの家の裏口で、食べ残しでもいただけるなら満足であると考えたことがあった。私は「小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます」と言った女のようであった。しかし、神の子らのうち、残り物を与えられる者は、一人もいない。メフィボシェテのように、彼らはみな、主ご自身の食卓からいただく。私たちはみな、期待するよりはるかにまさる恵みにあずかることができる。そして、私たちの必要がいかに大きくても、神が私たちに実際に与えてくださる恵みの豊かさにしばしば驚嘆することになる。

 


「信仰の創始者であり、

2015年03月04日 18時21分52秒 | 聖書

完成者であるイエスから目を離さないでいなさい」(ヘブル12:2)

サタンの攻撃は、とにかく主から目を離させる事に来る。
それに成功しさえすればよい。
それで自己を見るように仕向ける。
例えば、対人関係が極めて苦手で、恐怖症的な人がいたとする。
それは、ずっと自分を気にするからだ。
相手と対している時も、全関心は自分に向いている。
神でもなく相手でもない。自分に集中している。
自分しか見ていない。相手が自分をどう見るか、周囲の人はどう見るか、心配でたまらない。
自分は緊張しないか。自分はちゃんと対応できるか。
今、この時も自分は相手にをどう思われているかと、絶えず気にする。
又、自分の恐れと不安を払拭しようと、その事にやっきになってしまう。
結局相手の事など全くなく、始めから終わりまで自分の事だけになる。
自分から始まり自分に終わる。
しかし、一見支配的でないし、わがままでもないので、自分も人も、実は強烈な自己中心である事には気づかない。
ここが盲点だ。外に現れる形は様々だが、あなたにも感じるところがあるか。
そこに強烈な自己中心がある事に気づき、認め、神に持って行こう。
神は取り扱い、自由にして下さる。
関心が常に自分にあり、自分を向き、絶えず自分を見ている事が、神を見続けることを妨げている。
そこに気づく事から始まる。出来ないまま神のみもとに行けば良い。
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自己主張したりしないので、一見わからないが隠れた強烈な自己中心がある。
関心が、人にどう見られているかという自分に向く。
実は人ではなく自分だ。ありのままを主に告げよう。


今日の聖人の記念日

2015年03月04日 07時59分13秒 | キリスト教

聖カシミロ

1458年-1484年

 カシミロは、ポーランド王カシミロ4世の息子として生まれた。母親の影響で信仰深く育てられ、幼いときから宗教教育を受けた。

 1471年、父の命令によってハンガリー王になることを強いられたカシミロは、同国に向かう途中に敵と戦うことなく引き返してきたために、父王の怒りをかい、一時城に軟禁された。その間も、たゆまず祈り、イエス・キリストの受難に心を合わせていた。

 カシミロは、父王が不在のときには国内を統治し、国民に心を配った。生涯独身を誓い、神にささげて生き、26歳の若さで結核で亡くなった。

 彼の徳は国民から慕われ、死後も彼の墓地では多くの奇跡が起こったといわれる。

 ポーランドの保護の聖人として親しまれている。


◆知恵ある生活

2015年03月04日 07時58分07秒 | 聖書

私の命令を守って、生きよ。
私のおしえを、あなたのひとみのように守れ。
それをあなたの指に結び、
あなたの心の板に書きしるせ。 (箴言七2―3)

先日レストランに入ると、私の前で食事をしていた中年の女性の指に、赤い毛糸が結んであるのに気がつきました。「ははん、大事なことを忘れないように結んでいるんだな」と分かりました。
私たちは、分かりきっていることや大事なことを忘れたり無視したりすることが多くあります。そして、普段は忘れている分かりきったことの中に、改めて重要さを発見することがあるのです。
人間は、神に造られ支えられています。この神を忘れては幸せはありません。このことこそ、最も大切な、しかも忘れ去られていることではないでしょうか。ひとみは、見えないような小さなごみが入っても敏感に痛みます。このひとみのように、このことを忘れるな、神の教えを忘れるな、指に毛糸を結びつけるようにして忘れるなと聖書は言うのです。
神を忘れた生活の第一の特徴は、自分勝手な生活・不誠実な生活です。精いっぱい働いて、あたたかい家庭に生きるのは、何と幸せな生活でしょうか。しかし、誠実さがない自分勝手なだらしない生き方によっては、幸福な愛のある家庭・あなたの人生の基地は築けません。いいえ、そればかりでなく自分勝手な不誠実の生活は、必ずといっていいほど家庭の中に、争い・軽蔑・冷たさ・断絶を生みます。子どもも妻も自分勝手になり、非行や家庭内暴力発生につながります。子どもは独り立ちできず、わがままになってしまいます。
神を忘れた生活の第二の特徴は、愛のなさです。神の愛さえ確信するなら、人生はどんなあらしも大丈夫です。「しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです」(ローマ八37)と、パウロは語りました。

 


◆わたしの恵みは、

2015年03月04日 07時57分24秒 | 聖書

あなたに十分である。(Ⅱコリント一二・九)

もし神の聖徒のすべてが貧しくなく、また試練も受けないならば、私たちは恵みの半分も知ることはできないだろう。枕する所さえない放浪者が、「それでもなお、私は主により頼む」と言い、またその日の食事にも事欠く貧しい者が、なお栄光を主に帰し、夫を失い苦難の道を歩んでいるやもめが、なおその信仰をキリストに置いているのを見る時に、彼らが福音に対していかにすばらしい光を添えているかを思う。神の恵みは、信者の貧困と試練の中で立証され、あがめられるのである。
聖徒たちはいかなる逆境にも耐える。彼らはすべてのことが働いて益とされ、外見上悪と見えるものの中から真の祝福がいつかはほとばしり出ることを信じ、神が速やかに患難の中から救い出されるか、あるいは神が適当と思われる間、困難の中で支えられることを信じる。聖徒の忍耐は神の恵みを立証するものである。
海の真ん中に灯台があるとしよう。静かな夜なら、その建物がはたして強固であるかどうかを知ることはできない。あらしが猛り狂った後初めて、灯台がそれに耐えることができたかどうかが判明する。聖霊の働きも同様である。もし怒濤の中に囲まれていないなら、聖霊の働きが真実であることを知り得ない。またあらしにみまわれなかったなら、それが強固であることを知ることはできない。神の名器となる人々は、困難の中にも惑わず、毅然として立つ人々である。
 恐れおののく叫びの中に
 勝利を信じて毅然と立つ
神の栄光を現そうとする者は、多くの試練を受けることを初めから覚悟していなければならない。多くの戦いを経ないで、主の御前に輝く者となることはできない。もしあなたの道が険しければ、あなたが全能の神の恵みをさらに現し得ることを信じ、それを喜べ。神があなたを見捨てるなどとは、夢想だにしてはならない。そのようなことは忌みきらうべきことである。今日まであなたを満ち足らせてこられた神は、最後まで信頼すべき方である。

 


第1列王記22章13-23節

2015年03月04日 07時56分18秒 | 聖書

22:13 さて、ミカヤを呼びに行った使いの者はミカヤに告げて言った。「いいですか。お願いです。預言者たちは口をそろえて、王に対し良いことを述べています。お願いですから、あなたもみなと全く同じように語り、良いことを述べてください。」
22:14 すると、ミカヤは答えた。「主は生きておられる。主が私に告げられることを、そのまま述べよう。」



 北の王国イスラエルの王アハブは、国境のラモテ・ギルアデの地域が自分たちのものであって、そこがアラムの国に占領されていることを憂いていました。

そこで南の王国ユダの王ヨシャパテが、アハブの所を訪れてきた時に、自分に協力してそこを奪い取ってくれと頼みました。

彼は了解をしました。

そこで王が、彼に仕える400人の預言者にこの事を尋ねました。

すると彼等は皆、王が勝利を得るでしょうと言い、戦いに出ることに賛成をしました。

しかしヨシャパテは、別の預言者にも聞きたいと告げました。

それがミカヤでした。

彼は王に対しても、主の御心を伝える事にのみ関心がありました。


エレミヤ5章10,18,24節

2015年03月04日 07時54分03秒 | 聖書

★ぶどう畑の石垣に上って滅ぼせ。しかし、ことごとく滅ぼしてはならない。そのつるを除け。それらは主のものではないからだ。
★しかし、その日にも、-主の御告げ-わたしはあなたがたを、ことごとくは滅ぼさない。」
★彼らは心の中でも、こう言わなかった。『さあ、私たちの神、主を恐れよう。主は大雨を、先の雨と後の雨を、季節にしたがって与え、刈り入れのために定められた数週を私たちのために守ってくださる』と。

使徒の働き5章40~42節
★使徒たちを呼んで、彼らをむちで打ち、イエスの名によって語ってはならないと言い渡したうえで釈放した。
そこで、使徒たちは、御名のためにはずかしめられるに値する者とされたことを喜びながら、議会から出て行った。
そして、毎日、宮や家々で教え、イエスがキリストであることを宣べ伝え続けた。

■O:今日のコラム
3月3日の朝です。今日1日も、天のお父さんをほめたたえ、聖霊様の力を受け、イエス様の御名による救いを宣言していきましょう。僕らが語る一つ一つの宣言は、とても重要だからです。

天のお父さんは、エレミヤを通して、「帰ってこい、イスラエル、帰ってこいユダ」と言います。滅ぼせ!っと言いながらも、ことごとく滅ぼさないことを宣言されるのです。主の大きな愛を思います。そして、この滅ぼし尽くされなかった民、悔い改めた者たちの祈りによって、この民の子孫として、イエス様が誕生してくださったのです。イエス様がぶどうの木です。僕らは、イエス様につながる新しいつるとなるのです。

使徒たちは、イエス様がキリストであることを宣言して伝え続けました。天のお父さんの子供であるイエス様の十字架と復活を、聖霊様と共に証人として証を宣言しました。この場所で、捕らえられたのにもかかわらず、再び続けました。議会に引き渡され、むち打たれ、普通ならやめてしまうでしょう。でも、この時、使徒の一人一人には、イエス様が語っていた言葉が生きていたのだと思います。
「人々には用心しなさい。彼らはあなたがたを議会に引き渡し、会堂でむち打ちますから。」(マタイ10:17 )

この時が来た。聖霊様によって語るべき時が来た。耳元で聖霊様が教えてくださる言葉を屋上で言い広める時が来た。使徒の一人一人には、イエス様の御言葉を思い出すことで、喜びが満ち溢れていたのです。


今、僕らは、一つ一つの宣言を大切にしていきましょう。聖霊様の声を聴き、御言葉を宣言していきましょう。
イスラエルの民が当時言えなかったことを、今、僕らが、宣言していきましょう。
『さあ、私たちの神、主を恐れよう。主は大雨を、先の雨と後の雨を、季節にしたがって与え、刈り入れのために定められた数週を私たちのために守ってくださる』と。

先(秋)の雨、後(春)の雨は冷たいです。人の目には辛いものです。しかし、この一雨ごとに季節は確実に変わっていきます。種は成長していきます。秋は種が実ります。春は芽が膨らみ始めます。主の守りを宣言していきましょう。


■A:考えてみよう
御言葉を宣言していきましょう。宣言できることを感謝しましょう。
『さあ、私たちの神、主を恐れよう。主は大雨を、先の雨と後の雨を、季節にしたがって与え、刈り入れのために定められた数週を私たちのために守ってくださる』と。
今日語る一つ一つの宣言を聖霊様に導いて頂きましょう。天のお父さんをほめたたえていきましょう。イエス様の御名を叫び求めていきましょう。


■P:祈り


イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。


3月3日(火)のつぶやき

2015年03月04日 01時43分01秒 | キリスト教

使徒の働き4章29~30節(エレミヤ書4章) goo.gl/IFweLS


◆わたしは悩みの炉であなたを試みた。 goo.gl/EUqWw5


「あなたがたは、心の包皮を切り捨てなさい。 goo.gl/OTQeKp


◆こうして、イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。 goo.gl/f70U1r