(新しく来られた方のために、3年サイクルで同じ内容を繰り返します)
結婚する二人は、こう言います。「愛しているから、好きだから結婚します」と。私は、「好きではなくなったら、どうしますか?」と、初めに、水を注すことにしています。愛には、3つの種類があることをお話ししましょう。第1が、結婚する人たちがよく言う「好き/だから」という愛。顔形、性格が好き、だから愛するというものです。しかし、もし病気でもすれば、顔は変わります。リストラに遭えば状況は変わります。同じように、変わらないと思っている、好きというこちらの感情だって、いつも同じというわけにはいきません。だからの愛は、好きという感情の上に乗った、不安定な愛といえるでしょう。2番目は、「もし」の愛。「もし、いい子にしていたら、ごほうびあげようね」「もしあなたが大学に入ったら、お父さんお母さん、どんなにうれしいことか」そういう条件つきで愛された人、期待を背負わされた人は、相手の喜ぶように生きる結果、余裕のない人生を生きるようになってしまいます。「もし」の愛で関係付けられた人は、相手を喜ばせようと、知らず知らずに自分らしさを失っていくしかありません。第3は、聖書が言う「でも」の愛。あなたが今、どういう人であっても、また将来、たとえ私の気に入るような人にならなくても、「でも」私はあなたを愛します。・・これは、神の愛、キリストの愛として、聖書が紹介する愛です。現在も将来も、私たちがどういう人であれ、「でも」あなたを受け入れますという、絶対無条件の愛です。カウンセリングの基本は受容と共感ですが、この神の絶対無条件の愛に近づけて、治療を試みるものだと私は思っています。しかし、神の愛はどのように人間が真似しようとしても出来るものではありません。神は、独り子キリストを投げ出してしまわれた。十字架によってその証拠を示して、絶対無条件に私たちの存在そのものを受け入れてくださるのです。この「でも」の愛の中で、私たちは、自由な人生を生きることができるのです。あなたも神さまの愛の中で、自由な生き方を生きてごらんになりませんか。