座間コミニティー

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◆弱い者を守れ

2011年12月23日 07時35分06秒 | 聖書

あなたはおしのために、
また、すべての不幸な人の訴えのために、
口を開け。
口を開いて、正しくさばき、
悩んでいる人や貧しい者の権利を守れ。(箴言三一8―9)

箴言三一章の初めから少なくとも九節までは、マサの王レムエルのための母親版の帝王学ともいえます。政治が複雑化し分業化した現在でも、やはりよく当てはまることが述べられています。
・ 女に力を費やすな。
・ 酒におぼれるな。
・ 弱い人を思いやり、助ける政治をせよ。
王・政治家・官僚とかぎらず、少しでも人の上に立つ人・富める人・教養のある人は、弱い者をばかにしてはなりません。これは、何回心に言い聞かせても足りないような鉄則です。
私たちは、視力障害の方よりも言語障害の方を疎外しやすいように思います。私の集会などに、時々、耳や口の不自由な方が来られます。通じないのでめんどうくさい、いちいち筆談では大変だ。――私自身、そんなふうに感じる自分がいやになります。
昔、南部の殿さまに仕える武士で、塩川八衛門という人がいました。殿さまに無理やりに押しつけられて、多津という耳の不自由な娘と祝言します。多津の両親もはればれしないし、塩川八衛門の家の者も迷惑顔です。ところが、だれにも好かれなかったこの多津が、その後だんだん明るくなり、幸福に満ちあふれた人となったのです。八衛門はこう言ったといいます。「人という者は、男女の区別なく、大切に扱えば大切なものとなる。」
王の王、主の主にいます神が、みじめで、あわれで貧しくて目の見えない裸の(黙示録三17参照)私たちを愛し、大切にしてくださいます。ここに、私たちが喜びにあふれ、平和を保ち、愛して生きようと努める秘密があります。上に立つ者は、小さい弱い者をばかにしたり、見くびったりせずに、大切にすべきです。

 


◆どうぞもっと上席にお進みください。

2011年12月23日 07時33分40秒 | 聖書

(ルカ一四・一〇)

私たちのたましいに恵みの生涯が始まる時、大きな恐れとおののきをもって神に近づく。罪を意識し、そのためにへりくだるたましいは、自分の立場がいかに厳粛であるかを知って圧倒される。主の前に立って、その荘厳さのゆえにたましいは地にひれ伏す。偽りのない内気な思いをもちつつ、たましいは最も下座に着く。
しかし、後の人生で恵みのうちに成長するにつれて、もちろん自らの厳粛な立場を決して忘れないし、また生殺の権をもっておられる神の御前に立つ時の聖なる畏れも失わないけれども、一方でこの畏れはすべての恐怖を取り去るのである。畏れは聖なる畏れに変わり、もはや恐怖によって暗くされることはない。彼はキリスト・イエスにあって、さらに神に近づくために上座のほうに招かれる。
その時、神の人は神性の光の中を歩み、ケルビムのように主イエスの血潮と義の二つの翼で顔をおおい、敬虔にへりくだって御座に近づく。こうしてそこに愛と善とあわれみに満ちた神を見いだし、絶対的な神性をもたれる恐るべき方としてよりも、むしろ彼と契約を結ばれた親しい方として神を認めるのである。
彼は、神の中に、その偉大さよりはむしろ善を見、威厳よりは愛を見るであろう。このような時、たましいは以前の謙遜な態度を失わないが、さらに、聖いとりなしの自由を楽しむ。なぜなら、無窮の神の栄光の前にひれ伏しつつも、たましいは果てしないあわれみと無限の愛の前にあるというさわやかな意識をもち、「愛する方」に受け入れられているとの自覚によって支えられているからである。
こうして信者は上座に進むように命じられ、神にあって喜ぶ特権を与えられ、聖なる信頼をもって神に近づいて、「アバ、父」と言う。
 こうして私たちは力から力ヘと進み
 日ごとに恵みの力に育ち
 ついに、御姿に似るようになり
 顔と顔とを合わせて神にお会いするようになる