あなたはおしのために、
また、すべての不幸な人の訴えのために、
口を開け。
口を開いて、正しくさばき、
悩んでいる人や貧しい者の権利を守れ。(箴言三一8―9)
箴言三一章の初めから少なくとも九節までは、マサの王レムエルのための母親版の帝王学ともいえます。政治が複雑化し分業化した現在でも、やはりよく当てはまることが述べられています。
・ 女に力を費やすな。
・ 酒におぼれるな。
・ 弱い人を思いやり、助ける政治をせよ。
王・政治家・官僚とかぎらず、少しでも人の上に立つ人・富める人・教養のある人は、弱い者をばかにしてはなりません。これは、何回心に言い聞かせても足りないような鉄則です。
私たちは、視力障害の方よりも言語障害の方を疎外しやすいように思います。私の集会などに、時々、耳や口の不自由な方が来られます。通じないのでめんどうくさい、いちいち筆談では大変だ。――私自身、そんなふうに感じる自分がいやになります。
昔、南部の殿さまに仕える武士で、塩川八衛門という人がいました。殿さまに無理やりに押しつけられて、多津という耳の不自由な娘と祝言します。多津の両親もはればれしないし、塩川八衛門の家の者も迷惑顔です。ところが、だれにも好かれなかったこの多津が、その後だんだん明るくなり、幸福に満ちあふれた人となったのです。八衛門はこう言ったといいます。「人という者は、男女の区別なく、大切に扱えば大切なものとなる。」
王の王、主の主にいます神が、みじめで、あわれで貧しくて目の見えない裸の(黙示録三17参照)私たちを愛し、大切にしてくださいます。ここに、私たちが喜びにあふれ、平和を保ち、愛して生きようと努める秘密があります。上に立つ者は、小さい弱い者をばかにしたり、見くびったりせずに、大切にすべきです。